07
「そうだ、よな」
いつかは居なくなるはずだったんだ。
驚きはしたが、でも、これでいつもの俺に戻る。
それだけだ。
暫くボンヤリとしていれば、不意に玄関の扉が開いた。
「っ!!」
油断していただけに南郷は酷く驚いて、ビクッと大きく肩を揺らしてすぐに玄関の方を振り返る。
そこに居たのは出会ったときと同じ格好をしているアカギだった。
「鍵開いたままだぜ南郷さん」
「アカギィ・・・」
「起きてたんなら閉めなよ。無用心だな」
だが恐らくは鍵を開けたままにしていったのはお前だろうと、思いはしたがすぐに消えた。
鍵を持っていないのだから閉められない、などという当然の理由はどうでもよく、戻ってきたことが嬉しかった。
嬉しかったというより安心したという方が正しい。
「お前っ、どこ行ってたんだ!」
「え?」
「心配したんだぞ!」
「・・・」
「いきなり消えるから!」
「学校だけど?」
「え」
短い沈黙。
よく見れば、アカギの肩には見慣れない麻鞄がぶら下がっていた。
「あ、あ、そ、そうか、だよな、学校、か」
それから途端にアカギがクックッと笑い出す。腹を押さえて背を丸め、声を殺すほどに笑いが止まらない。
「お、おい。いや、俺はその、もしかしてまたお前が危ないことしてるんじゃないかって、心配に」
南郷は取り繕うようにそう言うが、先ほどまでの憤慨は思い出せばかなり恥ずかしい。
アカギはようやく笑いが収まったか、目尻の涙を拭いながら扉を閉めて靴を脱いだ。
「分かったよ」
部屋の方に入れば鞄を壁際に放り投げ、南郷の前に座り込む。
「心配、してくれたわけだ」
「・・・あぁ」
「南郷さん、もしかして寝起き?」
「え」
「寝癖あるぜ。こんな時間まで寝てたの」
「悪かったな」
こんな時間というが、一応はまだ昼前である。
それに気付いた南郷は腕を組み、大人の権威を取り戻そうと口を開く。
「まだ昼前だぞ。学校が終わるには早いだろ」
「あぁ、やっぱりつまらなかったから帰ってきたんだ」
「お、お前なぁ」
「腹減ったよ俺」
「・・・」
南郷の試みは成功しなかったようだ。
アカギは立ち上がって冷蔵庫へ向かい、開けると麦茶を取り出した。
それをコップについで一気に飲み干す。そして麦茶をまた冷蔵庫に戻した。ビール以外に唯一、この冷蔵庫に入っているものである。
「コロッケがあるだろ」
「出る前に俺が全部食べた」
「朝から揚げ物食ったのかお前」
「何」
「いや、やっぱ子供だな」
「何言ってんの」
南郷は、心配していたこともショックを受けていたことも、さらには戻ってきたことを喜んでいることも、なんだか全てが馬鹿らしくなって、平然としている少年を見ながらフゥと一息ついた。
アカギは眉を寄せて首を傾げる。
立ち上がった南郷は何か買ってこようかと考えたが、ふと乾麺ならあることを思い出した。
冷蔵庫に入れなくていい食べ物は全て、つまみと一緒に流しの下に詰め込んでいた。
調味料の類も一緒に入っている。
「冷麦でいいか」
「あぁ」
それから二人で冷麦を食べ、食事が終われば南郷は部屋の掃除を始めた。
アカギは邪魔だったので買い物に行かせることにする。
「俺一人で?」
「は?買い物くらい一人で出来るだろ」
「・・・」
「なんだよ」
「銭湯も飯も一緒だったのに」
「お前なぁ」
「行ってくる」
南郷の財布と、買う物が書かれた紙切れを持ってアカギは家を出た。
そもそも掃除をしようと思い立ったのもアカギが居るからなんだが、まぁいいか、と南郷は作業を開始する。
洗濯物を取り込んで、代わりに布団を干して、溜まったゴミを全部外に出す。
アパート用のゴミ捨て場があるので纏めて放り投げた。
それから便所も掃除して、それが終わった所でアカギが帰ってきた。
「お、早かったな」
「大した量じゃないし」
腕に抱えられているのはほぼ食料品である。それと新聞。
さすがに毎日外で食べるのも金が掛かる。南郷は元々、自炊と外食が半々の男だ。
新聞は置いて、袋の中身を冷蔵庫に入れていった。
「よし、と。あぁ、アカギ、布団叩いといてくれ」
「・・・」
「でもお前腕細いからなぁ、折れちまうかぁ」
「やる」
南郷の一言が効いた。
渡された叩き棒を手に庭に出て、布団を叩き始めた。
青い空に、パン、パン、と小気味良い音が響く。
南郷は部屋を箒で掃き、雑巾で棚を適当に拭いた。
簡単ではあったが、とりあえずこんなものだろうと掃除を終える。
ふと外を見れば、叩くのを止めていたアカギが南郷をジッと見ていた。
「ど、どうした」
「南郷さん、女みたい」
「はぁ?」
「掃除して楽しそうな顔してる」
「綺麗になったら気持ち良いだろうが」
「ほら」
「あのなぁ」
「布団、終わったよ」
「あ、あぁ」
掃除が終わればちゃぶ台を戻し、南郷は麦茶を注いだコップを手に腰を降ろした。
窓は開けたままで、風が入り込んでくるのが気持ち良い。
初夏の暑さも、そのおかげで少し和らいだようだった。
「南郷さん」
「ん?」
「麻雀、教えて」
「は?俺がお前に?」
「俺、この前聞いたことしか知らないよ」
そうだった。
あれだけ圧勝したにも関わらず、アカギは素人なのだ。
勘はずば抜けているが、ルールはまだ知らないことが多いだろう。
「あー、そうだな」
この後、あの安岡という刑事がセッティングする勝負が待ち受けている。
こんなほのぼのとしている場合ではないのだ。
だがアカギは至って冷静で、別段慌てている様子はない。純粋に興味から出た言葉であるようだった。
「俺が教えるのも変な話だな」
「どうしてさ。アンタが教えてくれたんじゃない、最初も」
「そう、だな」
南郷は改めて、引きずり込んだのは自分なのだと実感する。
だがこの男が引き込まずともいつかはアカギはこの世界に足を踏み入れていただろう。
「俺は教えるの上手くないぞ」
「知ってる」
「・・・」
カチンと来たが、大人気ないかと南郷は何も言わなかった。
「じゃぁ、そうだな、えっと・・・あぁそうだ!良いものがある」
言うと南郷は棚の方に向かい、膝をついて並んでいる本を物色し始めた。
「お、あったあった。ほら」
アカギに差し出されたのは日に焼けて色が少し薄くなっている本。表紙には『麻雀手解き』と銘打たれている。
「・・・何これ」
「見たまんまだよ」
「南郷さん教えてよ」
「若いうちに字を読むのは大事だぞ」
「年寄りくさいこと言うね」
「いいからそれ読んでろ」
アカギは少し不満気に暫く表紙を見詰めていたが、南郷が新聞を取ってちゃぶ台にまた戻ってしまえば、大人しくページを捲り始めた。
南郷も新聞を広げ、灰色の紙面を眺める。
アカギは視線を本に向けたままで南郷の背中に寄っていき、自分の背中をポンと寄り掛からせた。
「ん?」
南郷は背を振り返るが、どうやら本に集中しているらしきアカギを見て、何も言わずに顔を戻した。
重いわけではないし、今日はちょうど暑くもない。
困ることもないのでそのままにしておいた。
ヒザシノゴトク