06
アカギは笑う南郷を見ながら座り直し、ちゃぶ台に肘をついて掌に顔を乗せた。
「何、南郷さんって、そっちの人?」
「は?」
「俺みたいんなら男もいけちゃう口」
「・・・」
一瞬何を言われているのか分からなかった南郷は、だが、短い沈黙の後ようやくアカギの言葉の意味が分かり、サッと青くなった後に、ボッと赤くなった。
「っ・・・まさか!」
「なんだ、違うの」
「んなわけないだろ!俺は至って健全だ!」
「残念」
「は?」
「惜しいな」
「・・・お前、今なんて?」
「冗談だって。本気にしないでよ」
アカギは悪戯っ子のようにニッと笑った。
「へ、変な冗談言うなよ。お前だと洒落にならない」
「なんでさ」
「え」
「なんで俺だと洒落にならないの」
「お前、そういう奴に好かれそうだからなぁ」
「・・・」
「色白いし、顔立ちも綺麗な方だしな」
「そう?」
「あ、気ぃ悪くするなよ?褒めてるんだからな?」
「悪くなんかしてないよ」
「そうか」
「それに自覚あるし」
「え」
「実際何度か声掛けられた」
あぁなんだ男好きに好かれそうな顔だと言うことに自覚あるってことか。綺麗な顔だと言うことに自覚あるのかと思って驚いたよ。それじゃただのナルシストって奴だもんなぁ・・・って、違う違う違う!
と、少し長い考え事を一人頭の中で反芻してからようやく南郷はアカギに突っ込んだ。
「声掛けられたって!男にか!」
「あぁ」
「かぁぁ!どうなってんだ今の日本は!」
ビールの空缶が南郷の手の中でペキリと握り潰される。
借金を背負っていた男が日本を語ることこそどうなっているんだ日本は、と思うべきであろうが南郷はそこには気付かない。
「歓楽街ふらついてたら、オッサンが声掛けてきたんだ」
「お前大丈夫だったのか!」
「当たり前じゃない。人居るとこだよ?襲われるわけじゃなし」
「そ、そうか」
「いくらって聞かれたから、アンタはお断りって」
「その断り方おかしくないか」
「そう?」
「そいつじゃなきゃ良い、みたいじゃねぇか」
「あぁ、言われればそうだね」
事も無げにそう言うアカギに、南郷は溜息をついた。
「それにそんな言い方したら、怒り出して何されるか・・・」
「そうみたいだね」
「え」
「馬鹿にしてるのかって、いきなり」
「お前さっき襲われるわけじゃなしって!」
「襲われてないよ」
「襲われてるじゃねぇか」
「そう言うのかな」
「言うよ!」
「でも殴ったら大人しくなったぜ?」
「ん?」
「飛び掛かってきたから、一発、顔面に。そしたら気絶した」
「・・・」
「サツ来る前に逃げたからどうなったか知らないけど」
「お前なぁ」
道理もクソもあったものではない。
そもそも、大人の男が少年に値段を聞く時点で道理など無いに等しいのだ。
「無視しても答えても怒るんだもの。殴った方が早いじゃない」
「いやいやいや」
「普通に引き下がる人も居るし」
「なんか違う。論点がずれてきた」
「ロンテンって何」
「大体!子供が歓楽街なんてウロつくなよ!」
「仕方ないじゃない。乾いてたんだ」
「え?」
「何か、面白いことがないかって」
「面白い?」
「生きてることを感じさせてくれる何か」
「アカギ・・・」
「新宿ぐらい腐った町なら、ありそうだろ?」
「お前、そんな・・・」
「それがなきゃ生きてる意味なんてないよ」
「そんなこと、言うなよ」
南郷は不意に胸が苦しくなって、ちゃぶ台の上で片手を握り締めた。アカギは南郷が哀しそうな表情をしている理由が分からなくて首を傾げる。
「南郷さん?」
「暫く、俺と居ろ、お前」
「・・・うん」
ただそれだけ返して会話は終わった。
そしてまた二人、一つの布団で眠る。もう特に違和感は無かった。
朝になって起きたときには南郷はアカギを抱き締めていたが、特にお互い何を言うでもなく、普通の起床であった。
「おはよう、南郷さん」
「ん・・・」
時計を見ればまだ早朝で、南郷はまだ酒が残っていたか、返事もそこそこにまた目が閉じていく。
「また寝るの?」
「あと、もう少し・・・」
「まぁいいけど」
アカギは南郷の腕をどかし、布団から這い出る。
捲れた布団を南郷はまたモソモソと被り直した。
「俺の腕、重くなかった、か・・・」
眠い頭と呂律の回らない舌でそう聞くが、アカギは「別に」とだけ答えて、ちゃぶ台の上にあるコロッケを漁っているらしいのが紙袋の音で知れた。南郷はその音を聞きながら、再び眠りに落ちていく。
アカギは摘んだコロッケを食べながらその様子をジッと見ていた。
口をモグモグとさせながら、四つん這いになって南郷の顔を覗き込む。南郷が寝返りを打てば、今度は上から覗き込むようにしてまた見詰めた。
「・・・」
コロッケを飲み込んだアカギは、南郷の観察を止めて台所へ顔を洗いに行く。
顔を洗い終えれば今度は窓へ。静かに開けて、自分の制服の乾き具合を見るために掌で触れてみた。
大丈夫そうだと感じたか、アカギは制服ズボンとカッターシャツ、Tシャツと下着をハンガーから外して、窓を閉めたのだった。
**************
南郷の目が再び開いたのは、二度寝を開始してから数時間後だった。
目を開け、ボンヤリと天井を見詰める。
もう随分と明るい。腕を伸ばして目覚し時計を手に取れば、昼前だと分かった。
「寝過ぎたな・・・」
ボソリとそう呟けば、重そうに身体を起こして背伸びをした。
「おいアカギ、俺の煙草・・・アカギ?」
よく見れば、部屋のどこにもアカギの姿がない。
暫しの間の後、南郷は立ち上がって台所へ向かい、便所の扉をノックした。
返事はなく、扉を開ければやはり誰も居ない。
ついでに用を足してから、台所で手を洗い、やはりついでに顔を洗った。
部屋に戻ればちゃぶ台の前に座り、置いてあった煙草を一本出して火をつけた。
フゥと一息、紫煙を燻らせる。
「どこ行ったんだ・・・」
何気なく呟いた一言。
不意に昨晩の野良猫を思い出した。
気まぐれにやってきて、気まぐれに出て行く、あの野良猫たち。
南郷は固まったまま動かなくなる。
だが、煙草の灰が手の甲に落ちてようやく我に返った。
「だぁっ!」
驚きに上がった心拍数が収まるのを待ち、やや唖然とした表情のまま煙草を灰皿に押し潰す。
それから急いで窓を開け、洗濯物を見た。
昨晩干したものから、アカギの服だけが消えている。
「まさか、ホントに・・・」
いなくなってしまったのだろうか。
フラリと野良は違う宿を探して去ってしまったのだろうか。
もしかして新宿に、いや、それはない。
行くとしてもアカギならきっと夜だ。
じゃぁ今はどこに居る。
南郷は未だ信じられないようで、窓を開けたままゆっくりと座り込んでしまった。
驚きというより、軽いショックだった。南郷が思い出す限りではそんな素振りは一切なかったはずである。
徐々に不安がこみ上げてきた。また危ない橋を渡っているのではないだろうか。
だがよくよく考えればここに居ても数日後には危ない橋にぶち当たるのだ。安岡が上手いこと話を決めれば、かなりの額を賭けた麻雀を打たなければいけなくなる。その前に消えて良かったではないか。
南郷はつらつらとそんなことを考えながら、呆然と窓の外を見詰めていた。
随分と天気が良い。青空。
頭の中を駆け巡る「何故」は、鳴りを潜めていく。
ソレハヒトトキノ