03


 すぐに扉の開閉音がして、アカギが部屋に戻ってきた。

「…起きたんだ」
「うおっ!」

 南郷のあまりの驚きようにアカギもさすがに一瞬目を瞬いた。

「・・・」
「・・・」

 お互いそのまま固まって、短い沈黙の後にようやく南郷の頭が覚醒したようで、あぁ!と声を挙げる。

「アカギ!」
「・・・うん」
「そうだったそうだった」

 状況を今更把握している様子の南郷を、アカギはまるで不思議な生き物でも見るようにマジマジと見詰めてしまった。
 南郷はと言えばそんなアカギに気付きもせず、盛大に欠伸をして、盛大に背伸びをして、盛大に腹を掻いた。それから緩慢な動作で、何かを探すように辺りを見回す。

「あれ?煙草・・・」

 思わずアカギはククッと笑ったが、あまりに小さな笑い声だったので南郷はやはり気付いていない。

「アンタ、やっぱり見た目通りだな」
「あ?何?」
「何でもないよ。煙草、そこ」

 アカギが指差した先には、南郷が跳ね起きたときに足元に寄った掛け布団があり、それに巻き込まれるようにして煙草と財布がグシャリと潰れていた。

「あー、あったあった」

 南郷は煙草を手繰り寄せればちゃぶ台の方に移動して座り直し、中からライターを取り出して一本銜え、火をつけた。
 それから灰皿が無いことに気付き、また慌てて辺りを探す。
 そういえば寝る前に片付けたのだということを今頃思い出したが、どこに置いたかは思い出せない。
 灰が落ちる前にと慌てるが、正直、今更灰の一つや二つ落ちた所で気にするような畳ではない。
 それでも煙草の灰は灰皿に、という固定観念を持つ男はあちこち見回している。

「ここだよ」

 アカギが棚に置かれていた灰皿に気付いて、それを手にちゃぶ台に歩み寄り、置きながら南郷の隣に座った。

「お、悪いな」

 南郷は屈託のない笑顔をアカギに向けて、煙草の先をトンと灰皿の淵に叩いた。
 完全にアカギを許容している空気に、少年は少しだけ不思議に思った。
 南郷は赤の他人を家に上げて、熟睡して、そして今は隣に居ることに何の疑問も持っていない。
 共に死線を掻い潜った昨晩のことを思えば、南郷の中では他人ではない扱いになっているのかもしれない。
 アカギは南郷の命を救ったのだから、それもおかしくはない。
 だがそれでも、アカギにとって南郷は他人だった。
 そんな自分を傍に置いてこれほどに油断している大人が、アカギには珍しいのだ。

「変な人だな、アンタ」
「何だよ突然」
「・・・」

 南郷は、自分を見詰めてくる十三歳の少年の目に、昨晩のような陰りと熱はないが、あるべきはずの輝きも無いことに気付く。
 今更驚きはしないが。

「よく寝れたか」
「まぁね」
「そりゃそうだ。もう三時回ってるしな」
「あぁ、南郷さんもよく寝てた」
「なんだ。お前もしかしてけっこう早く起きたのか」
「いや、アンタが起きるちょっと前だよ」
「そうか」

 南郷は煙草を灰皿に押し潰すと立ち上がって流しに向かい、蛇口を捻って水を出す。
 それを掬って顔にぶつけた。
 何度か繰り返してから水を止め、慣れた仕草で手を伸ばしてタオルを取り、顔を拭く。
 少しサッパリしたか、首をコキコキと鳴らして部屋の方を見た。

「アカギ」
「何」
「腹減ったな」
「うん」
「何か食いに行くか」
「うん」

 素直にただ頷く少年に歩み寄って、その白い頭をワシャワシャと撫でた。
 アカギは片目を細めて少し迷惑そうな顔をしたが、南郷は大して気にしなかった。
 そして今度は財布を布団の隙間から救出し、ポケットに捻り込む。

「何が食いたい」
「何でも良い」
「まぁ大したもんは奢ってやれんけどな」

 眉尻を下げて笑う男は、昨晩三百万を儲けたはずであったが、あまり自覚は無いようだった。
 次の勝負の種金になるという理由があるのかもしれないが、南郷は恐らく、今はそこまで考えていないだろう。
 それから二人一緒にアパートを出て、歩いて一分もかからない所にある小さな定食屋に入った。
 昼も過ぎている半端な時間のせいか、客はほとんど居ない。
 顔馴染らしい店主と奥さんが、笑顔で迎えてくれた。

「お、南郷さん、いらっしゃい」
「あら、今日は一人じゃないの」
「あぁ、甥っ子なんだ」

 昨晩の設定は引き続き適用されているらしい。
 アカギはそれに大しては特に何も言わず、素直に従った。
 軽く会釈をして、小さく「どうも」とだけ答える。

「あらでも、学校は?」
「え。あ、えっと・・・」

 ようやく気付いたか南郷は頬を掻きつつ、嫌な汗を額に浮かべて苦笑いを浮かべた。

「あー、その・・・」

 答えに窮していると、カウンター向こうから店主が声を掛けて来る。

「バカお前。今日は日曜だろうが」
「あぁ、そうだったわ。嫌ね、毎日仕事してると曜日が分からなくなっちゃうわよ」

 あっはっはっ、と豪快に笑う奥さんに、店主は溜息を零した。
 南郷は違う意味での溜息を漏らす。
 危機は脱した。
 と思っていたのだが、否、まだ終わりではなかった。

「あらでも、それじゃぁどうして制服なの?」
「え」

 確かにアカギは、上はどこにでもあるカッターシャツだが、下は制服ズボンである。
 再び南郷は嫌な汗を浮かばせた。

「あー、それは、その・・・」
「もしかして、不幸事か何か?」
「え?あぁ、そう、そう」

 思わぬ所から助け舟。目の前の難題自ら助けの一言が舞い降りた。
 南郷が慌てて何度も頷くと、奥さんは途端に眉尻を下げて勢いが無くなってしまった。

「ごめんなさいね、私ったら余計なことを」
「いやっ、良いんだ、良いんだ!な!」

 南郷は何か一言求めるように、それまで後ろで黙って動向を見守っていたアカギに顔を向けた。
 とうとう白羽の矢を立てられたアカギは、だが特に動揺もせず、視線を南郷から店の奥さんへ移した。

「えぇ、不幸事と言っても、七回忌の法事ですから」
「そ、そうなんだよ!七回忌だから!もう思い出になっちまったようなもんだ」
「そう。でもねぇ」
「それに仏さんはかなり遠い親戚でね、俺は二、三度しか会ったことないんだ、実際。でも墓がこっちにあるもんだから、親戚の集まりに呼び出されてね」

 アカギもさることながら、案外に南郷も肝が据わっている。
 少し意外だったが、アカギの表情には出ていない。

「こいつもつまらねぇなんて言うもんだから、法事も終わったし、親戚達の飲み会からちょいと抜けてきてね、ここの美味い飯を食わせてやろうと思って」
「褒めても何も出ないわよぉ?そんな罰当たりな子たちには」
「いやホント、ここの飯は生きてるうちにいっぺんは食っとく価値あるよ」
「もう、口が上手いわねぇ」
「本音だって」
「じゃぁ腕により掛けちゃおうかしら」
「頼むよ」

 南郷の満面の笑顔に、奥さんは楽しそうに厨房へ入っていった。
 安堵の息を吐きながら、二人はテーブルへと移動する。

「焦ったなぁ」
「そう?」
「・・・」
「何」
「まぁいいさ。ここな、寂れちゃいるが味はホントに良いんだぜ?」
「ふぅん」
「昼なんかけっこう混んでるんだ」

 そんなことを言いながら四人席のテーブルに向かい合うように腰を降ろすと、すぐに奥さんが、寂れてて悪かったわね、と突っ込みながら水を持ってきてくれた。
 南郷は口が滑ったというように肩を竦めて苦笑した。
 だが奥さんも店主も特に気を悪くした様子はないようで、南郷を見て笑っている。
 上手いのか下手なのか、分からない男だとアカギは思った。

「サバの味噌煮まだある?」
「あるわよぉ」
「じゃぁ俺はそれで。アカギ、何にする」

 言ってから南郷は、甥を苗字呼びするのはおかしいことに気付いたが、特に店主達は気にしてる様子が無かったのでホッと安堵した。
 深くまで踏み込まずに居てくれてるのだろう。このご時世だ。誰にだって色々と事情はある。
 アカギも気にしている様子はない。

「俺も、同じので」
「じゃぁサバ味噌、二つで」
「はい、サバ味噌定食二丁!」

 奥さんの元気な声が店内に響いた。
 高度成長期の今、バランスの悪い好景気と不景気。それに反する活気があちらこちらで入り混じっている時であった。
 元気を売りにしなけりゃやってられない、と言うのがこの店のモットーである。
 南郷は水をグイッと飲んでから、店主たちの様子を伺い、小声でアカギに話し掛けた。

「そういえばお前、学校、どうしてんだ」

 思い至るまでが遅かった質問ではあるが、南郷らしいと言えば南郷らしい。
 奥さんの問いがあるまであまり考えなかったのだろう。
 だが出会いが昨晩のあれでは、学校とアカギが連想されないのも仕方が無い。

「今更だね南郷さん」
「まぁ確かにな」
「いんだよ、今日は日曜だ」

 南郷の問いは「今日は」という意味では無かったのだが、アカギがいいと言うのならまぁいいか、と南郷は肩を竦めた。

「そうか」
「あぁ」

 あまり問答としては完全ではなかったが、思ったよりもすぐにサバ味噌定食が目の前に運ばれてきたので話はそれ以上続かなかった。

「おまち」
「お、美味そうだ」
「これはおばちゃんからサービス」

 奥さんが指差したアカギの盆には、恐らくは蕎麦かうどん用の掻き揚げが二つ乗っている小皿があった。

「あれ、おばちゃん俺には」
「南郷さんはそれ以上おっきくなったら困るでしょ。この子は育ち盛りなんだから、ね」
「ありがとうございます」

 あまり表情には出ないが、アカギの素直な礼だと南郷は思った。
 やはり子供だ。瞳はあまり嘘をつかない。

「いいのよいいのよー」

 奥さんは明るい声でそう言いながら仕事に戻っていった。
 客は少ないが厨房で仕込みがあるのだろう。
 夕方になればまた客が押し寄せる。

マズハエヅケ

<< back next >>

戻る





「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -