女が、広い駅のホームの二十分の一ほどを占領していた。
 意図的にでは無いのだろう。女は中心で必死に、広がった白を剥がしていた。一歩踏み出した爪先がかさりと滑る。……テストの答案。この女、教師らしい。テストの内容からすると、高校。
 今時の高校生もタイヘンだ、こんな『おっちょこちょい』を絵に描いたような女にものを教わらなくっちゃあならないなんて。

 女の周りに人が集まり始めた。これだけ盛大にバラ撒けば当然だ。下心丸出しの男からエコバッグ持った主婦まで、女に声を掛けては端からプリントを拾っていく。

 いつもの癖で、女の手を何の気無しに見た。いささかてのひらが小さすぎる気がするが、指は短くないしキレイだ。教師らしく切り揃えられた爪が、プリントを拾うたびに、がり、がり、と傷付いていく。思わず、乗車の列から外れた。あっと思った時には後ろの男が隙間を詰めた。
 まあ、良い。この電車に乗れなくても、遅刻はしない。『習慣』を崩されるのには腹が立つがたいしたことじゃない、修正さえすれば良いのだし、今は教師の方が気になった。

 プリントの床はもうだいぶ狭くなって、主婦と教師の世間話も佳境だ。わたしは数歩歩いて、あまりよろしくない点数のテストを拾った。ゆうべ切ったはずの爪がざらざらした床を擦る。

「あ、すいません、ありがとうございます」
「いや、いいんだ。大変だね」
「あは、よくやるんです……いつもはもっと人のいないところで」
「気をつけなきゃダメよ!大事な大事なテストなんだから」
「すいません。ありがとうございました、ありがとうございます」
 ぺこぺこ頭を下げる女に薄いプリントの束を差し出す。サラリーマン風の男が女の首筋から胸元にかけてをちらりと見たのをわたしは見逃さなかった。わたしもしっかり女の手を観察したが。よく見ると、女の手には青や赤のボールペンの線がたくさんあった。
 そんなものは洗えば落ちる。優しく洗ってやるのも一興だ。女の隣に寄り添う自分を想像しかけてからすぐに我に返る。女がわたしの手からプリントを受け取った所だった。
「ありがとうございました、みなさん、どうもすいませんでした」
 ちょうどいいタイミングで電車がホームに入った。主婦もサラリーマンももうどこかへ行ったらしい、女は一人で鞄にプリントを詰めている。どうせこの電車には乗れそうも無いから暇つぶしに、爪の手入れの話でもしてやろう。


20091012


もしかして吉良さん車通勤ですか


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