珍しく、トラサルディーには誰もいなかった。美味しいのに辺鄙なところにあるから元からお客さんは少ない(これに関してはものすごく不満)けど、よく来てる億泰くんや仗助くんもいないし、常駐してるはずのトニオさんもいない。ただ味見用の子犬が檻の中で大人しくしてこっちを見ていた。台所に土足で入りそうになって、踏み止まる。
……大丈夫だ、あのワンちゃんだっているんだから。道具にべたべた触ったりしなければきっと大丈夫。私は念のため入口のほうを覗いて、トニオさんがまだ来ないらしいのを確認してから、ワンちゃんの側に歩み寄ってしゃがんだ。檻の隙間に指を突っ込んで毛むくじゃらの鼻先を撫でる。可愛いなあ。
「ね、トニオさんどこ行っちゃったの?お買い物?」
せっかくカプレーゼだけでも食べて帰ろうと思ったのに、これじゃ今日という一日にしまりが無い。まあ、君にさわれただけで私は満足なんだけどね〜っ、と猫撫で声を出しながら擦り寄る頭を指先だけでめちゃくちゃに撫でた。
「私ここにいたらトニオさん怒るかな?どうかな?今から靴脱いで手洗えば大丈夫だと思う?君はなんで怒られないの?毎日毎日トニオさんの料理食べられて良いね。トニオさん誕生日いつだっ」
「名前サン?」
「うわっ、あ、あー、トニオさん!」
トニオさんが後ろでキョトンとして立っていた。慌てて立ち上がって手を振り回す。
「あの、違うんです、これは」
「ああ、良いんデスよ。今日はお店開けなイので」
「え?あ、そうなんですか?」
「ハイ」
イタリア訛りの日本語を聞きながら、珍しくコック姿でないトニオさんを眺める。そっか、お店開けないんだ。でも鍵開いてたしな。無用心なんだな、結構。イタリアってそんなに治安よくないよね?
「今日はまタ、どうしたんデス?もしかシテ食べに来てくれタとか?」
「あ、まあ……そうなんですけど……でも今日はお休みなんですよね。だったらいいですよ」
「パスタくらいなラすぐにお出しできマスが」
「いえ、いや、そんな、悪いです」
かあっと顔が熱くなった。今よくよく思い出したら看板も出てなかった気がする。もっと気のつくようにならないと、まずいな。イタリア人ってそういうとこ寛大なのかな。
そうですか?とにっこり微笑んだトニオさんから、ふいっと目を逸らす。
「あの、もうちょっとここにいても良いですか」
「かまいまセンよ」
「……グラッツェ」
「こちらこそ」
トニオさんを見ないまま振り返って、またしゃがみ込む。羨ましいんだよ、と心の中で呟きながら、ワンちゃんの鼻をちょっとだけ小突いた。


20090819


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