※捏造ドタチン宅や親御さんが出てきます






恣意的な事故により重体であった門田は、周囲の看病や祈りの賜物か丈夫さゆえか、先頃退院し自宅療養に移ることとなった。その知らせには遊馬崎達を始め友人知人、仕事仲間など多くの人間が安堵し喜んでいたのが記憶に新しい。


その日は比較的過ごしやすい、穏やかな気候だった。平日の昼下がりという時間帯は常ならば左官工として仕事に勤しんでいるはずで、門田は自室の布団に横になりながら妙な感覚を覚えていた。好きな仕事が暫くできないのは歯痒いが、偶には自宅で過ごすのも悪くないと割り切らせる。
父は仕事に出ていて、母は家事に務めているのだろう。買ってまだ手をつけずにいた本を手に取り、門田は固い表紙を捲った。



そうして半時ほど経った頃である。なにやら庭先の方で話し声がするなと思っていると、そうっと襖が開いて母親が顔を覗かせた。

「京平、折原さんてお友達がお見舞いにいらしてるわよ。お通しする?」

珍しい客の名前に驚いたものの、門田は頷きながら「ああ。お袋、悪いが茶を淹れてくれ」と返答した。すると母親は人が息子を訪ねてきたことが嬉しいのかふふと笑い、それから急に申し訳なさそうな表情をした。

「母さんこれからちょっと出かけなきゃいけないんだけど、大丈夫?」
「…おいおい、もう子供じゃないんだ。一人で歩けるし、俺のことは気にしないでいい」

呆れ交じりの苦笑でそう言えば、母も笑いながらじゃあ頼むわね、と静かに襖を閉めて去っていった。
ゆっくりと身を起こし胡坐をかいて、手元の書物に目を落としながら穏やかに来客を待つ。その内廊下をしずしずと近づいてくる気配がして、再び静かに襖が開けられた。

「こんにちは。ドタチン、具合はどう?」
「ああ、大分いい…って、どうしたそれ」

顔を上げた門田の視線の先に、級友の相変わらずはっとするような顔立ちが姿を現す。が、ふと感じた首から下の違和感に視線が降りていき、その格好に門田は怪訝な表情をした。

「お薬だよ。お母さまに頼まれちゃった」
「いや、そのエプロンだ」

音もなく畳を踏みしめ、臨也は微笑をたたえて両手にお盆をささげ持っている。その上には湯呑みと白い紙袋が乗っていて、出掛けについでにと母が持っていくよう頼んだのだろうと推測した。が、臨也はトレードマークのような黒いコートの上に母の白いエプロンをつけているのだ。見覚えのある使い込まれたそれを、門田はやや困惑したような表情で見た。布団を迂回して静かにそばに腰を下ろした臨也は、門田のその様子にクスクスと笑いながらそっと盆を畳に置いた。

「自分はでかけるから息子を看てやってもらえないかっておっしゃるからいいですよって答えたら、お母さまが」
「お袋…」

思わず片手で額を覆う。見目よく正座している臨也は細いとはいえ若い男であるのに、昭和の女性達がよく身につけたような、袖口が絞っているたっぷりとした主婦くさいエプロンが妙に似合っていた。

臨也は気にしていないようで、袋の外側に書かれてある処方を見ながら適量の薬を取り出している。そして白い掌に乗せて湯呑みと共に差し出されたそれを、門田は「悪い」と礼を述べつつ受け取った。
胃に流し込んだ後、残りの茶を啜りながらちらと来訪者に視線を向ければ、臨也は膝を寄せて薬の入っていたプラスチックをゴミ箱に捨てている。

「病院には来てなかったな」
「呼ばれなかったから。今日は、ドタチンが欲しがるだろう情報が入ったから来たんだよ」

こちらが呼ぶもんじゃないだろう、と思ったが口には出さず、門田は情報とやらに関心を向けた。

「ドタチンを撥ねた犯人が分かったかもしれない」
「そうか。早いな」
「落ち着いているね」
「あいつらに何かありそうか?」

門田とはそれなりに長い付き合いの臨也は、名詞を出さずともすぐに察したらしくこくりと頷いた。

「大丈夫だよ。少なくともすぐに彼らに危害が加わる気配はない」
「そうか…」

目を閉じると、無意識に張り詰めていたらしい全身からゆっくりと力が抜けてゆく。あいつらが易々とやられるとは思っていないが、万が一の可能性もなくはないのだ。

「それで、どうするの?この情報、いる?」

臨也は空になった湯呑みを受け取り盆に置きながら尋ねた。確かに今現在自分にとって最も留意すべき点は、誰が、何のために自分を片付けようとしたのかである。が、門田は敢えてそこを置いておいて尋ねたいことがあった。

「臨也、どうして今日はここに来たんだ?」
「え…」

まさかそんな質問が返ってくるとは思っていなかったのだろう、臨也は本当に珍しく不意を突かれたような無防備な表情をした。それはひどくあどけなかったが、臨也は直ぐに表面をいつもの微笑で取り繕ってしまう。

「言っただろ。ドタチンが欲しがりそうな情報が――」
「連絡すればいい」
「…臥せってる人間に電話するほど、非常識な人間じゃないんだけれど」
「人づてに伝えるとか、俺や知人が買いに行くまで待つとかあっただろ」
「情報は鮮度が大事なんだよ。迷惑だったんならそう言えばいい、帰るし来なかったのに」

門田が静かに問い詰める度臨也の表情は段々と顰められていき、とうとう拗ねてしまったのか、足裏を起こして立ち上がりかけた。しかし門田は慌てる様子もなくほっそりとした手首を掴み、こちらを向いた臨也と目線を合わせる。

「お袋に俺の看病を頼まれたんだろ。約束を守れないのか?」
「俺がいたほうが頭が痛むんじゃないの」
「お前が座ったら頭痛がマシになる」
「……」

臨也は真直ぐに見つめてくる目線、掴まれた手首やそっぽなどに視線を彷徨わせた挙句、無言で大人しく元の場所に座り直した。放せば逃げると思っているのか何なのかは分からないが、臨也が腰を下ろしても門田が手首を解放する様子はない。その自分とは全然違う手をじっと見下ろしながら、臨也は徐に口を開いた。

「…別に、他の同業者に先を越されたくなかっただけだよ」
「分かった」
「ほんとに分かってるの?」

臨也は顔を上げ、疑わしげな表情を隠しもせずに言う。門田はふっと笑い頷くと、手を放してそのがっしりとした腕を伸ばした。

「ドタチ…」
「俺は岸谷ほど付き合いは長くないが、俺なりにお前のことを分かってるつもりだ」

艶やかな黒髪はくしゃりとなぜられ、大きな掌が離れていくと重力に従ってさらさらと落ちる。臨也は呆けたような顔をしていたが、やがて膝上の両手に視線を落とし、きゅっと握り締めた。

そして不意に顔を上げると同時に門田に向かって両腕を伸ばす。突然胸板をぐいぐいと押してくる臨也に、門田は怪訝な顔をして戸惑った。臨也の細腕では自分の体はぴくりともしないが、俯きがちなため表情も窺えず、意図が全く読めない。

「おい臨也…」
「さっさと横になって、ドタチン。しょうがないから、お母さまが戻るまでいてあげる」

その言葉に流されるように枕に頭をつけたのを確認すると、臨也は盆を引き寄せて両手で持ち、滑らかな所作で立ち上がった。何か言おうとするのを振り切るように背を向けると、来たときと同じように一歩一歩畳を踏みしめていく。そうして襖のはたまで来た所で不意に振り向いた臨也は、悪戯っぽく笑ってみせた。

「初めて会ったときから思ってたけど」
「なんだ」
「ドタチンって、お父さんみたい」

その言葉に目を見開くさまを鈴を転がすように笑って、臨也は「特別に、看病代は情報料に含めてあげる」と言い残して出ていった。閉じた襖の向こうを静かに遠ざかっていく足音を耳にしながら、門田は暫く呆然としていたのであった。




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