池袋の片隅にある、ひっそりとした住居。その隠れ家のフローリングの床に、たった今その部屋の住人が寝転がっている状態だ。


「うー」
「臨也、床に寝ると痛くないか」
「うー?」

赤い顔をしてふにゃんとしている臨也は、床にうつ伏せになったまま顔だけこちらを見る。その綺麗な瞳はアルコールによってとろんとしており、スローンの顔を見上げてきょとんとした後、ふわりと微笑んだ。

「へーきだよぉ。きもちいい」
「そうか…」

壁にもたれて床に胡坐をかいているスローンは、ハイペースではないとは言えテキーラを飲んでいるというのに、飲み始めからまったく顔色が変わらない。さすがウォッカを毎日のように愛飲するロシア人、といったところか。

「ロシアの人がテキーラのんでる。じゃどー」
「…別に問題はないぞ」

そう言えば、臨也はくすくすと笑った。酔いのせいか表情が随分無防備になっていて、こうして見ると日本人はただでさえ若く見えるのを考慮しても、本当にあどけない顔をする。粟楠の連中がこの情報屋の小僧を高校生に見える、と評していたが、彼なら高校生でも通用するだろう。

スローンがそんなことを考えていると、臨也は力の抜けたままごろんと横を向いた。床か家具かに視線を落としてはいるが、見てはいないだろう。

「スローン」
「ああ」
「ロシアのさむーいところにさ、俺を連れ去ってよ」

グラスを持つ手が一瞬止まった。部屋の空気もそれに合わせて、瞬間だけ時が止まったような気がする。スローンはわざとゆっくりと、再びグラスを口に運びながら、その言葉を発した心中を探ろうと臨也に視線を戻した。相変わらず弛緩しきった体を投げ出して、ぼんやりとした瞳は宙を見つめている。口元の微笑を見て、スローンは無意識に眉根を寄せた。

「…なぜおかしくもないのに笑う」
「は?」

怒気や怪訝というよりは不意を打たれたような声を発して、ようやく両の目がこちらを向く。それに微かに安堵を感じながらスローンは問いを重ねた。

「諦めきったような笑みをなぜ浮かべる」
「………」

臨也の口元から笑みが消える。アルコールで仄かに潤んだ両の目だけがスローンを見つめ返しているが、その綺麗な対称の瞳を見つめても、この男の感情は読めない。分厚い分厚い壁で、固く固く覆ってしまっているのだ。やがて、殊更ゆっくりと臨也の唇が動く。

「…日本人は、悲しいときも、笑うことがあるんだよ。スローンがしらないだけ」
「…そうなのか」

日本文化の一つだったのか、とスローンは納得して頷いた。話を流せたと判断して、臨也は再びうっすらとした微笑を浮かべた表情に戻る。もっともそれはいつもの貼りつけたような笑みで、先程不意に見せたそれはすっかりと隠していた。

「スローン、連れ去ってくれる?」
「四木に殺される」

スローンの返答に噴き出した臨也は、おかしそうに華奢な手の甲で目を覆った。

「逃げたら逃げたで追ったりしないでしょ。俺にも君にも、べつに執着ないもん、あのひと」

手で隠されているため、表情は見えない。ただちらりと覗いている唇がまた哀しげな笑みを浮かべているのに気付いて、スローンはグラスを床に置いて真っ直ぐに臨也を見つめた。


「臨也の悲しみはなんだ?」
「……」
「お前にその、日本人の習性をさせているのは誰だ」


夜の帳の降りた室内に、蕩々とした低い声がじんと響く。
臨也はぼんやりと手を下ろして、数度瞬きをした。それから不意にスローンを見やってにこ、と笑う。

「そうだなぁ、例えばこの冷たい床とか」

そう言ってむくりと起き上がると、ぺたんと床に座り込んだ姿勢で臨也は目をこすった。

「もうねよう、スローン。酒盛りなんかおしまい」

スローンは口を開きかけたが、見ると本当に眠そうにしていたので何も言わず再び口を閉じた。この青年はあくまで任務のターゲットで、深入りする義理も必要もないのだ。そう己を納得させると、何故か胸の辺りに靄を感じて、スローンはそれを流し込むように残りの酒を一気に煽った。




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