都内、中心部からやや離れた閑静な土地に、知る人ぞ知る高級料亭がある。広い敷地を囲う白い漆喰の壁の一部分、外からは死角になっている奥まった場所に、勝手口とも違う、事情のある客専用の裏口があった。
たった今そこから出てきた人物がいる。さらさらとした黒い髪に、その髪と同じ黒いコートを羽織った若い男だ。慣れた様子でまっすぐに外に向かって歩いていたが、道に出て角を曲がったところに立っていた人物にその瞳が見開かれた。

「スローン、待っててくれたの?」

言葉だけなら甘い言い回しだが、その響きの虚しさなど誰より臨也が知っているだろう。全てを放棄し承知した上で、形ばかりの台詞を吐くのだ。
自分が臨也の傍にいるのは、彼を見張り、その飼い主に縛り付けるため―――しかし、スローンは敢えてその上辺に乗った。

「ああ。まずかっただろうか?」
「ううん。今日の人達は大丈夫…でも、あんまり近くにいると危ない。はやく行こう」

そう言ってスローンの太い腕に細い手を添え、白い囲い壁から離れて石畳の道へと進む。

「今日は何か食べたいのある?帰りにスーパーに寄っていかなきゃ」
「そうだな…」


臨也は料理は人並みにできるようで、なんでも小さい頃から親は家を空けがちで、妹たちの面倒を見ていたため家事は得意らしい。臨也が毎日作る、日本の一般的な家庭料理たちは、ロシア人のスローンでもほとんど問題なく食べられた。たまに、日本特有の面白い食材や料理に驚いたり感心したりすることもある。以前冷蔵庫にあった梅干しを見て、なにかチェリーなどの木の実を加工した物かと思い、朝食を作っている臨也にこれは何かと尋ねた。すると臨也は振り向いていたずらっぽく笑いながら、「スローンさん、食べてみますか?」と一つ摘んで差し出してきたのだ。細い手首をそっと持って、ぱくりと口にした後の自分の悶絶具合は、さぞ滑稽だったことだろう。臨也など目に涙を浮かべていた。そのあと、「も、おなかいたい…」と腹をおさえながらも謝っていたが。


「…臨也の作る料理なら、なんでもいい」
「………」


返事がないので怪訝に思い下を見る。はるか眼下にある小さな丸い頭は、俯いていて表情が見えない。

「どうした?」
「…なんでもない。スローンって大真面目にそんな恥ずかしいこと言うんだもん」

顔をあげた臨也は何故か怒っているのか、少しそっぽを向いていた。何か間違えたのかと「どこが恥ずかしかったんだ?」と問えば、もごもご言いながら再び俯いてしまう。ふと、臨也の耳がほんのり赤くなっているのに気付いたため、足を止めて「すまない。俺は臨也を辱めたんだな」と、スローンは顔をしかめた。


臨也も足を止めてスローンの方を向くと、服の裾をきゅっと掴みながらようやっと顔を上げる。その顔はやはりちょっと怒っているみたいに少し眉根が寄せられていて、不機嫌っぽく唇を尖らせていた。しかし、己の推測が間違っていたことを、スローンはその滑らかな頬が赤くなり、やがて唇が柔らかくほどけていったのを見て理解した。

「…怒ってないんだな」
「うん」

ほっと安堵して、ぽんと小さな頭に手を置いてから再び前を向いて歩きだす。寄り添うように隣を歩く臨也が、楽しそうに今夜の献立を考えているのを聞きながら、2人はゆっくりと帰路についた。




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