――ぁふ、


ふいに出た欠伸に、臨也は無意識に口を片手で覆う。涙がにじんで、細く白い指がこしこしと目元を擦った。


『どうした、もうおねむか?』
「ん…」


文面だけだと意地悪そうにも受け取れるが、チャットの相手――九十九屋の口調が優しいのが、なんとなく臨也には分かる。


「だって、もう12時すぎてるじゃないか」
『まぁな。じゃあ、今日のところはこれぐらいにしとこうか』
「ああ。情報感謝する」
『いいさ。それで、報酬の件だが』


臨也はだんだんと霞がかってきた視界で、なんとか画面上に現れる文字を目で追う。


「なんだよ…変な代償だったら承知しないから」
『じゃあ要望に応えて。おやすみのキスをしてほしい』


ぼんやりと画面を見ていた臨也の柳眉が顰められ、じぃっと顔を近付けて意味を解読する。そして理解したとたん、白磁の頬がかあーっと赤くなり、臨也は口をぱくぱくさせた。


「何言ってんだ?バカじゃないのか?」
『おつむの出来はお前よりいいぜ?』
「ムカつく…」
「ふざけんな、俺は、真面目に…」
『よくできましたって、褒める意味もこめて、な。お前の唇が安くない事も知ってるさ』
「なに言ってるかよくわからない…」
『考えてもみろ。俺はもっと滅茶苦茶な報酬をお前に請求することもできる。それが、画面越しのキスで賄ってやろうというんだ』
「………でも、そんな、」
『何?』


続きの催促に、臨也は再び眠気が襲いかかってきつつある頭を支えながら、ぱちぱちと入力した。


「恥ずかしい…だろ、ばか」
『――――』


拒否の態度を示したものの、九十九屋に強く来られたら最終的には承諾してしまうような気がしていた。臨也の返答への反応がないので、どうしたのだろうと小首をかしげる。ややあって、音もなく画面に文字が現れ始めた。


『本当は、ひとしきりからかってやるつもりだったんだが…』
「む、なんだよそれ。最悪――」
『待て、冗談じゃあない。分かるだろ?』
「知らない。おやすみ」


むっとしてしまい、そのままの勢いでさっさと切り上げ退室してやった。黒くなった画面に自分の顔が映り、拗ねたような表情をしていたのに気付いてはっと目を瞠る。


「九十九屋って、やっぱり意地悪だ…」


小さく呟いて、ふわ、とあくびをする。目元に涙が滲んで、もう本当に寝なきゃ、と椅子を立ち上がった。
そのまま自室に向かおうとしたところで足を止め、パソコンを振り返る。


「………」


無言でしばらく何もない画面を見つめたあと、そろそろと近づいて身を屈めた。
ぎゅ、と目をつむって、音もなく柔らかな唇でほんの軽く触れる。その行為は一瞬で、ぱっと急いで顔をはなすとパタパタと自室に走り去ってしまった。

程なくしてバタンとドアの閉まる音がして、広い室内には静寂が下りる。








『――まったく、参ったな』


一部始終を見ていたその男がぽつりと独りごちたことなど、臨也は知る由もない。




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