ふらふら、とひょろっこい若い男が歩いている。まだ明るい時間だが人通りの少ない道で、彼の存在に気付いている者はいないようだ。その時、ついにがくんと体幹がバランスを崩し、そのまま前へ倒れこむと思われた―――が。
「っと…やれやれ、危なっかしいねェ」
飄々とした口調のその男は、一体いつから居たのか、倒れかけた男を支えて抱きかかえた。顔を覗き込めばどうやら意識を失っているようである。一瞬だけ渋い顔をした後、背中と膝下に手を回し、ひょいと抱え直す。そうして軽々腕にもつと、細い道の先に消えた。
「ん…」
ゆっくりと目蓋が持ち上がる。何度か瞬きをしたあと、不意に警戒心が一気に蘇りさっと辺りを見回した。そこは全く記憶にない部屋の中で、調度品や色合いから判断するに、壮年の男性の寝室のようである。未だ警戒しながら、そろそろと上体を起こす。体はどこも痛くないし、頭も妙な感じはないので暴行を受けたり薬を嗅がされた訳ではないらしい。
一番最近の記憶を手繰り寄せるが、確か、依頼人に会いに行ったその帰りだったように思う。最後に誰かに会った記憶はないため、やはり心当たりがなくて不安になった。 とりあえずベッドから出よう、と上掛けを掴んだそのとき、計ったようにガチャリとドアが開いた。
「目、覚めたかい?」
ドア枠いっぱいはある大きな体で入ってきたのは、燃えるような赤い髪にサングラス、という派手な男。今はトレードマークの一つである赤いスーツの上着は脱いでいるが、それでもその伊達な外見は一度見ればそうそう忘れないものだった。
「赤林、さん?どうして…」 「ああ、寝てていいよ。急に起きると危ないからねぇ…また倒れられちゃったらおいちゃん参っちまうよ」 「また…?」 「おや、覚えてないのか」
驚きに軽く目を瞠る臨也に数歩で近づき、再びベッドに押し戻す。一瞬拒むような空気を発したのには何も言わず、赤林は長身を屈ませてゆったりした笑みで青年を見下ろした。
いつもは常に張りつけたような笑みを浮かべている臨也だったが、相手のせいか、あるいは体調が優れないのか…無表情に赤林を見上げている。しかし、ふいと目を逸らすと、おやと瞬く赤林を尻目に素早くベッドから降りた。
「…帰ります」 「待てよ、情報屋さん」
そのままドアに向かう臨也の腕を後ろから掴む。
「介抱していただいたんでしたらありがとうございます。頼んでませんがね。もう大丈夫なので、これで失礼させて――」 「大丈夫、四木の旦那には何も言わないでおいてやるよ」 「……」
ぐっと臨也の肩口に顔を寄せ、ドアとの間に閉じ込めるように覆いかぶさる。歴然とした体格差は最初からだが、こうして見れば、本当に軟弱な体の、なまっちょろい子供だった。こんな小僧が、大やくざの幹部をお得意様とする情報屋などと、俄かには信じがたい。一体どのようにして成り上がってきたのか――不意に一抹の興味が頭を擡げた。
「それに、今更だろう?あっちこっちに尻尾を振っているのは…」
台詞と共に、すうっと腰を撫でる。この男は性根はともかく容姿は大変に目の保養になるもので、ノンケな赤林も食おうと思えば食えないこともなかった。現に組の上層部の何人かは、彼を稚児にせんと目を付けている。
「…触らないでください」 「おや?冷たいねぇ。人間全員に愛を与える妙な男だって聞いたんだけどなぁ―――」
言いながら丸い尻を柔く揉んだ瞬間、臨也がばっと振り向いたと同時にキラリと光る物が目に入る。無言で視線だけを下ろせば、細い手に握られた一本のナイフがぴたりと首筋に向けられていた。
赤林は黒曜石のような瞳をじっと見下ろしていたが、やがてニヤッと大型の犬のように笑った。不埒な働きをしていた手をゆっくりと離しながら、何事もなかったように話し掛ける。
「送っていこうか?」 「いえ、ひとりで帰れますので」
そう言い、最後に臨也もようやくいつもの冷たい笑みを顔に浮かべた。調子が戻ったのだろう。赤林はそか、残念、とおよそそんな風には思えぬ口調でおどけてみせた。
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