「折原臨也様」

廊下から臨也のいる室内の戸口に姿を見せた鯨木は、平らなトーンで目の前の男の名を呼んだ。
なに?と小首を傾げる臨也に、何の感情も見せない無表情のまま鯨木は続ける。

「今晩は星が沢山出ていますよ」
「へえ、本当?じゃあ明日はいい天気だね」

僅かに目を大きく開いて驚いたあと、微笑する。しかし座ったままの臨也に、鯨木はくいくいと手招きをした。きょとんと不思議そうにする臨也に、そっとその手を優雅に差し出す。

「ご覧になられてはどうです。行きませんか」

もたらされた招待に、臨也は珍しく口を薄く開けたぽかんとした表情で、自分を誘なうように差し向けられた手と、その手を差し出す女の整った顔を交互に見た。

「星を?どうして?」
「綺麗だからです。貴方にも見せたくて」

臨也はしばらく不思議そうにしていたが、やがて段々と、柔らかな頬がほころんでゆく。少しだけ嬉しげに、臨也は縮こまっていた椅子から立ち上がると、その手に向かって歩いていった。スリッパのうさぎも、心なしか表情がいつもより明るい。





廊下の窓からも見えるが、光が反射するため軒先に出た二人は並んで夜空を見上げた。確かに、雲ひとつない黒い天空に数えきれない星々が瞬いている。臨也は白く染まる息を吐きながら寒そうに両の肩を寄せているが、それでも満天の光の粒を感嘆したように見上げていた。
そうして暫く見つめていると、ふと臨也が独り言のように呟く。

「流れ星流れないかなぁ。俺、見たことないんだよね」
「願い事があるのですか?」

鯨木は、隣に立つ臨也の方に顔を向けた。彼は両手を顔の前ですり合わせながら、未だ夜空を見上げている。その濡れたような黒い瞳に星の粒がいくつか写りこんでいるのに気付いて、鯨木は極僅かに視線を引き寄せられた。

「俺が興味があるのは、願い事をする人間のほうかな」

少し沈黙したあと、臨也はおもむろに口を開く。続いた台詞は、本当に独り言のように小さくこぼれた。

「だって、本当の流れ星は速すぎて、いなくなるまでに3回お願いを言うなんて無理だもの」

鯨木に答えるのではなく、まるで自分に言い聞かせるように呟く。薄い目蓋が僅かに伏せられて、鯨木には臨也がどこか遠いところを、もしかしたら時を越えた過去か未来かのいつかを見ているように思えた。

「…折原様」
「え?なに?」

此処ではない処へ意識を向かわせていたためか、不意を突かれたように臨也は呼ばれた方を向く。ぱちぱちと長い睫毛が瞬いて、もう瞳に写っていた星は見えない。その小さな鼻の先が赤くなっているのを見て、鯨木はふ、と息を吐いた。

「人間はその事実からも、“願いは自分の手で叶えるものなんだ!”という感傷的な何かを生み出すでしょう」
「ああ、確かに」

鯨木の言葉に、臨也は納得したようにこくりと頷く。

「流れ星を見れるほどツイているお方なら、ちょっとやそっとの事は大丈夫ですよ」
「…そうかもしれないね」

臨也は口元に手をあて、おかしそうにふふっと笑った。その後ろでは、変わりなく星達がさんざめくように明滅している。相変わらず臨也の鼻先がうっすら赤くなっているのを目に留めて、鯨木はくるりと体を反転した。

「風邪を引いてしまいますので、そろそろ中に入りましょう」
「うん」

連れ立ってその場を後にする二人の頭上では、星は流れる気配など微塵も感じさせずに、ただ音もなく闇を照らし続けていた。




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