ニアに続いて彼女の部屋に入り、華奢な彼女の代わりに持ってやった荷物を机の上に置いた。

「助かったわ、ありがとう」

ニアは笑顔で礼を言う。ロナードは軽く手を振り応えた。
人の部屋に長居もなんなので立ち去ろうとした彼の目に、彼女の背後のある物が飛び込んできて思わず立ち止まってしまった。それは厚紙か何かで作られた、少し歪んだ星。
窓枠に立てかけられ鈍く光を放つそれに気を取られていると

「あの星はザードが取ってきた星よ」
「…届くとは思えんがな」

冗談を本気の声色で言ってみれば、ニアは口に手をあて楽しそうに目を細めた。
そして自分の背中の方を振り返り、懐かしむような口調でゆったりと話し出す。

「貴方たち空の人たちにとって、星は身近なものかもしれないけれど、私たちにとってはとっても遠くて手の届かないものなの。でも確かに光ってて、憧れで、希望みたいなものだったの」

星はロナードたちクラウディアの住人でさえ遠くに感じるものだが、雲の下暮らす人々にとっては尚更そう感じるのだろう。
そういえば、地上は雨ばかりで曇った空が広がっていて、星なんて見ることができなかったと一度エルディアに訪れたことのあるロナードは思い出す。
その地上への訪問は自らの意思ではなかったが、とあの頃を懐かしむ彼の脳裏に、どこかで見た光景が過ぎる。
エルディア、星、輝く星…この記憶はいつのものだっただろう。

「ザードはね、昔から私に星を見せてくれたのよ」

ニアはその星型の紙を手に取り、愛しむように胸に抱いた。その瞬間、その言葉にはっとロナードは思い出す。

満天の星空と、満面の笑顔。星を見せてくれたあの子たちのことを。



「なぁ…俺やっぱあのロナードって男、怖ぇんだけど」

唇を尖らせザードが言う。机に顎をついて行儀の悪いことだ。彼はこういう行動をするから子どもっぽく見られてしまうのだと向かいに座るラナは思った。決して身長のせいだけではないのだと。
ラナは林檎の皮を器用に回しながら剥き、じろりと横目でザードを見た。

「私はそう思わないよ」
「そうかぁ?だって全然笑わないじゃんあの人」
「私はロナードに助けられたし、あの人はお姉ちゃんの仲間だもん。それに、ロナードは良い人よ。私、そういうの勘でわかるの」
「ラナの勘は当てにならねーからな。スパイだって可能性だってあるだろ」
「なにそれ、ひっどい!絶対スパイなんかじゃないもん!!」

いつもの如くぎゃあぎゃあと口喧嘩に発展し、自由エルディアのアジトは騒がしくなった。メンバーたちにとっては見慣れた光景なのだろう、誰も注意をしないし、それどころか笑って見守っている。
いつもはこのまま放っておかれ、更にエスカレートした言い争いはエリオルの拳骨がふたりの脳天を直撃することによって終幕となるのだが、今回はちがかった。

「なんの喧嘩だ?」

ふたりが座る食堂のテーブルに、居候している渦中の人物であるロナードがいつの間にか近づいていたのだ。
彼はラナの頭に手を載せ、身を屈めザードとラナの顔を交互に覗いている。

「ロ、ナド、」
「どうした?」
「なんでもないよ!」

焦ったようにラナが手を振る。ロナードは特に疑いもせず幾度か彼女の頭を撫でてから手を離した。そして静かになったふたりをじっと見つめる。居心地が悪くて背をロナードに向け、なんだよ、と一言ザードが呟いた。
するとロナードは淡々と、

「いや、俺が一緒に旅をしていた仲間の中にも、しょっちゅう喧嘩をしているやつらがいてな」

え?とザードは振り返った。彼が自分のことを話すのは珍しかったからだ。
ロナードの声はどこまでも落ち着いていて、そこから感情を読み解くことはできない。
だが微かに細められた目は空の上を懐かしむようで、それを見ていたザードは何故か心が痛んだ。

「そうなのか」
「あぁ。だが本当に仲が悪いわけではなくて、なんと言うか、お互いを認めているからできるような喧嘩だった。お前たちみたいな」
「ロナード…」
「あと俺にも親友がいて、そいつとはよく殴り合いの喧嘩をしていたな」

遠くを見つめ彼は相変わらずの調子で語る。ただの事実を伝えるためだけにあるようなその言葉。本当はそこに沢山の感情や思い出があるだろうに、彼はそれを表すのが極端に下手なようだった。
それでもラナにも、ザードにもわかってしまったことがひとつあった。ロナード自身気がついていないのかもしれないその感情に。

ロナードが喧嘩も程ほどになと言い食堂を出ていく。そのすらりとして隙の無い背中を見送りながらラナが呟いた。

「ロナード、寂しいんだ」
「…おう」
「たったひとりで知らない場所に来て。仲間と離れ離れになって、寂しいんだよ。きっと」
「俺もそう思う」

初めて出会った彼は切りっぱなしの髪にぼろぼろの格好であちこち怪我をしていて、ザードの前に現れた。突然、空から降ってきたみたいに。
その時のロナードはまるで野生で生きる魔獣を思い起こさせるような、ぎらついた目をしていて、ただ目の前の敵に剣を振るったのだった。
そんな彼が徐々に心を開いてくれている。笑顔はまだ見られなくとも穏やかに会話ができるくらいにはなった。
それでも彼の心にはぽっかり穴が開いていて、それは空の上に行かなければ埋まらないのかもしれない。それが無性に悔しかった。

「何かできないかな、私たちで」

ぽつりと呟いたラナの言葉に、ザードが手を打った。

「空と言ったらあれだろ!あるよ俺らにできること!」
「え、なに?」

ザードはにぃと歯を見せる。

「秘密基地!」

その夜、ロナード無理やりラナに手を引かれ真っ暗闇の中エルディアの地を歩いていた。
どこに行くのかと問いかけても彼女は笑って内緒と言うだけで、諦めてロナードは不安げに揺れるランプの灯りを追っていた。彼女は慣れているのか夜だと言うのに足取りは軽く、草を掻き分け道なき道を突き進んでいく。
と、開けた小高い丘のような場所に出たとき、その向こうに同じようなランプの灯りを見つけた。おーいと呼ぶ声には聞き覚えがある。ザードだ。

「遅ぇ!ずっと待ってたんだぞ!」
「なにザード怖かったの?」
「そ、そんなわけあるか!」

顔を見合わせるや再び言い合いを始めてしまう。このままではここに連れてこられた理由がわからなくなりそうだったので、ロナードは間に割って入りふたりを宥める。

「それで、ここに俺を連れてきた目的は何だ?」
「あぁ、それはねぇ…」

ラナがにんまりと笑った。勿体つけるようにして、そしてばっと手を広げた。
だがここには何も無く、ただ綺麗な夜空が広がってるばかり。クラウディアで見るより遠くに感じる星空が…と、ロナードは違和感を感じ、首を空に向けた。
ここには何もない、が、あるはずのないものがあったのだ。

「気がついたか?」
「…星、が」

今までエルディアでは見ることが叶わないと思っていた、懐かしい星空がそこにはあった。

「そう!エルディアは空気が悪くて、どこにいても星は見えないんだけどね。でもここだけは何故か綺麗に見えるんだよ」
「俺たちの秘密基地なんだぜ」
「お姉ちゃんもこの星空が好きだったんだよ」
「そうか…」

ロナードは惚けたように、静かに星空を見上げる。
ずっと焦がれていた空が、この地に来てから遠くに思えていたあの世界が、今だけは繋がっていると実感できた。近くに感じることができた。
夜空に輝く星々はちかちかと点滅して、クラウディアのものよりもはるかに小さい。それでも、十分だった。

涙が出そうなくらい、胸がいっぱいになったロナードの視界に、ぴょこんとラナが入ってきた。

「元気出た?」
「え?」
「ロナード、寂しそうだったんだもん。だから元気づけてあげたくて」

ロナードは驚いて、後ろにいるザードを見る。彼は口をへの字に曲げて、

「お前さ、何考えてんのかわかりづらいんだよ」
「よく言われる」
「元気ないんだったら、そう言えよな。変な心配しちゃうだろ」

暗い中でも、ランプに照らされた彼の頬が赤いのがわかる。
照れているのかザードは目を逸らすと空を見上げた。

「ニアや他の仲間が落ち込んでるときは、ここに連れてきて星を見せてやるんだ」

希望が沸いてくるから。それだけ言うとザードは口を噤んでしまった。
ロナードは幼い彼らに心配をかけていたこと、自分の心に気づかれていたことに驚き、そしてじんわりと胸が温かくなった。
そんな彼にラナがいたずらっ子の表情で、ロナードの耳に唇を寄せた。

「あんなこと言って、ザード、ロナードをスパイだって疑ったの反省してるんだよ」
「ラナ、お前聞こえてるんだよ!」

更に顔を赤くしてザードが飛び掛かった。きゃあきゃあ言いながらラナはロナードの背に隠れる。
ザードはラナを庇ったロナードをゆっくりと見上げ、ばつが悪そうに眉間に皺を寄せた。そして、

「悪かった。仲間を疑うような真似して」

ザードはまっすぐに言う。その言葉に今度はロナードが反省する番だった。
仲間、そうだ、仲間なのだ。
自分の気持ちはいつも空の上にあって、仲間も空の上にいると思っていた。だから早く帰りたい、と。
だが今は違う。この地上にも仲間がいるのだ。大切な、仲間が。

「…俺こそ、すまなかった」

ロナードは今までの色々な思いも込めて頭を下げる。
ロナードの表情は頬にかかる青い髪が隠していて、ザードには見えなかった。

「ありがとう」

でも、その言葉はしっかりと星空の下凛と響いていた。

「ロナード…」

ラナが彼の腕を掴んだまま背中から出てくる。心なしか不安げで、心配そうな彼女の表情。
ロナードは並んだふたりに向かい顔を上げる。そして、安心させるように

「お礼に今度クラウディアの星を見せてやろう。きっと驚くはずだ」

いつもより優しく感情を込めて告げて、彼は笑った。
初めて見るロナードの笑顔にラナは喜び、ザードは指を差す勢いで驚き、それから顔を見合わせて満面の笑顔になった。

「絶対、絶対だよロナード!」
「雲の上の星がここより綺麗じゃなかったら怒るからな!」
「任せろ。絶対に約束は守る。仲間だから、な」

三人は満点の星空を見上げて、声を上げて笑い合った。



秘密基地があってね、とニアは話しながらロナードにカップを手渡す。
なんとなく立ち去り難い気分だったのでロナードはまだ彼女の部屋にいて、彼女は作り置いていたポットに入れたカフを注いでくれた。

「そこから見える星空が好きだったの」

ロナードは無言でカップに口をつける。苦さの中にほんのりと甘さが広がる。

「でももっと好きだったのは、連れてきてくれるザードやラナが隣で笑ってくれてたこと。私、ふたりの笑顔が大好きなの」
「あぁ」

ニアは言った。星は憧れで、希望みたいなものだと。
ラナは寂しさを紛らわせるために星を見せてくれた。
ザードは言った。星を見ると希望が沸いてくると。

「俺も、同じだ」

星が好きだ。輝く星は輝く笑顔のあの子たちのようだから、好きだと思った。

「希望を与えてくれる」
「…それは星が?あの子たちが?」
「どちらもだ」

ふたりは静かに顔を見合わせて微笑んだ。
と、ニアの部屋の外、ラウンジだろうか、そこから微かに言い争うような騒がしい声が聞こえる。
きっとザードとラナの喧嘩にハントとそれからヴァイスまで加わって騒ぎになっているのだろう。ため息をつくとニアも同じことを思ったようで困ったように眉を下げた。

「元気なのは良いことなんだけどね」
「全くだ」

ロナードはため息をついて腰を上げる。ラウンジの騒動を止めに行くのだと気がつき、ニアがカップを受け取り、頑張ってと言った。

廊下を歩きながら考える。いつもは喧嘩する少年らを引き離してハントはヴァイスの雷に任せているのだが、さて今日は違う方法で喧嘩を止めてみよう。
丁度今日の夜空がうってつけなのはニアの部屋の窓から先程見えたのでわかっていた。思わず頬が緩む。

騒がしいラウンジの扉を開けて、ロナードは大きな声で告げた。

「みんな、星を見に行かないか?」
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