「可能性を諦めちゃだめよ」

…最初は何を言っているのか分からなかった。何の脈絡もなく出てきたその言葉の羅列に「はあ」とただ意味もなく返す私に、目の前の老婆は困ったように微笑んだ

「あなたはこうして生きているんだもの。目の前にはたくさんの選択肢があるわ」
「?あー、あはは、おばあちゃんの若い頃の時代の日本でならそうだったかもだよね」
「…確かに、おばあちゃんの娘時代にはしびゅらしすてむなんて、便利で小難しい機械や決まりはなかったわねえ」
「いいなあそんな時の日本に生まれたかった」

自分の生きたいように生きられる世界。その行く先がたとえどうであれ、そんな世界のなかで私も生きてみたかった。自由とは何だろう。何も縛られるものがないということはどんな感覚なのだろう。幾度とそう思いを馳せては現実から目を逸らしてきた。「シビュラシステムの生み出す完璧さが構築するこの国で私たちは生きているのです」と豪語する大人たちからの洗脳に耳を塞ぎ、時折疑問を投げかけたりして。私はこの時代で、社会から要らない存在として生きてきた

「まあ潜在犯でありながら執行官として働けてる分めっけもんだけど。外には出れるし、これ以上ストレスケアの薬飲まされることもないし、一応プライベート空間も寝床もあるもん」
「そうねえ…でも薬はともかく、あとのは普通の人間だったら当然受けていい待遇よ」
「あはは。だからおばあちゃん、私は普通の人間じゃないんだ犯罪係数オーバー200の人格破綻者、だよ?」
「あら、人格破綻者だなんて。珠子ちゃんはこんな老いぼれたお婆さんの長話に付き合ってくれる優しい女の子よ。そして私の可愛い可愛い孫」
「……」

ガラス越しににっこりと柔らかい笑みを浮かべるおばあちゃんが見える。私はガラスにぴたりと手をつけ、きゅっと唇を噛みしめた。…ああ、なんて遠いんだろう。触れることすら、もう二度と叶わない。どうしてこの人のために私は自分の色相を保つことが出来なかったのだろう。

「……いや、違うか。‘私が害を与えるものとシビュラに判断されたから‘一緒に生きられないんだ」
「え?」
『面会時間終了です。監視官は執行官を連れて退室してください』
「あ、珠子さん…」
「…ん、大丈夫だよ朱ちゃん。今行く。じゃおばあちゃん、ばいばい。病院にはちゃんと行くんだよ」
「ええ分かってるわ。…ああそうだ。珠子ちゃんに渡したいものがあったから公安局の方に渡しておいたわ。なんだかの検査をしたら珠子ちゃんの元に直接届くはずだって言ってたわ」
「?そうなんだ。分かったありがとね」
「じゃあ、常本さん。この子のことどうぞよろしくお願いしますね」
「おばあちゃん…常守さんだって。前も言ったじゃん」
「こ、こちらこそ!猫田さんもどうぞお帰りはお気を付けて。さようなら」

先に部屋から出れば、朱ちゃんが最後におばあちゃんに深々とお辞儀をしているのが見えた。…最近新しく来た我らが飼い主は、やはり面白い子だ。何故か彼女は私たち執行官をほかの人間と同じ目線で見て、同じように接してくれる。監視官と執行官、むしろ一般人と潜在犯の壁なんて何のそのだ。以前秀星くんも言っていたが、彼女ほど健康で善良な市民を私は知らない。…まあそんなたいそうな理由でなくても、老婆とその孫の面会に付き合ってくれる監視官が朱ちゃんでよかった。ギノさんみたくねちねちと嫌味を言われ、面会中ずっと睨まれていてはたまらない

「月に二度、かかさず面会に来てくれるなんて嬉しいですね。それに珠子さんのおばあさんってとても優しそうな素敵な方です」
「う、毎回付き合わせちゃってごめんね?なにしろ面会すら飼い主同伴じゃないとダメだから…」
「いえ。まだ三度目ですけど、私も珠子さんのおばあさんに会えるの嬉しいんです。私おばあちゃんっ子だから、自分のおばあちゃんを思い出すというか」
「ああ、そんなこと狡噛が言ってたかも…いやでもそう言ってもらえると有難いよ。ギノさん同伴だとおばあちゃんも来にくいってこぼしてたし。その前は狡噛監視官に付き合ってもらってたんだけど退屈だとか渋られてたし」
「あはは…目に浮かびます」
「…まっ、もう会える機会は二回もないかもだけど」
「えっ……?」

驚いたように目を丸くして「どうしてですか」と尋ねてくる朱ちゃんに、私は頭の後ろで腕を組み「んーだってさあ」と口を開いた

「先月くらいから感じてたけど、あれはヤバいでしょ。痩せこけた頬に蒼白くて血色の通ってない肌に覚束ない手取り……まあ口だけは相変わらず達者みたいだけど」
「…それって…」
「もってあと二か月もないくらいじゃないかな。長い間こういう仕事やらされてると変なとこで感がつくんだよね」

「そ、それなら今すぐにでもおばあさんに会いに…」と口を開いた朱ちゃんに、私は「いやいいのいいの」と笑い返した

「私が何かできることはもうないんだから。おばあちゃんのことじゃなくても、この世界には。それは10年も前にシビュラにそうレッテル付けられちゃってるから」



ーー
この世界で生きるということ




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