「ん……」

夜。その日私はあまり体調が優れなかったため、早めに寝床に入っていた。うとうとと瞼が重たくなってきた、まさにその時。何だか部屋の外から声が聞こえた。誰か大勢の人の声に、ドタドタと続く足音。…何かあったんだろうか。私のこの部屋は旅館の隅っこのある一室に設けられているため、騒いでるのは旅館の人達であることは間違いない。私は廊下に出て、声のするほうに駆け出した


「ー…た、大変や!えらいことになったで!京都出張所が襲撃を受けたんやて!」
「!?なっ、何でそんなことに…」
「まさかアレが…"不浄王の右目"が狙われたんか!?」
「それって…あそこに封印されていたものがか!?一体誰が何の目的て…」
「それは分からん。とりあえず和尚さまらが未遂に止めたらしいわ」
「…?」

不浄王の右目…?何だろうそれ…。確かに京都出張所の深部を警護するように、明陀の人達は上から命令を受けていて。実際、柔造兄ちゃん達や蝮姉さん達もそのお務めを頑張っている。でも、それがその、"不浄王の右目"を護るためだった……?

「…で、現場はどうなってるんや?京都出張所のもんらは?」
「聞いた話じゃ負傷者はぎょうさんいるらしいで」
「死人がおらんのが幸いやけどな…。だけど所長さんが特に酷いらしい。何でも瘴気にあたったとか…」
「!」

八百造さまが…?その言葉を聞いた瞬間、私は弾かれたようにその場から走り出した。後ろからお母さんか旅館の誰かが私を呼ぶ声が聞こえたが、私はそのまま走り続けた。…私に何が出来るかなんて分からない。だけど、このままでもいられない。早く、八百造さまの顔が見たい

「(それに…確か今日は柔造兄ちゃんや蝮姉さんが京都出張所の警護にあたっていたはずだ)」

皆は無事なんだろうか。旅館から京都出張所は近い。が、体調が優れないこの状態ではそれも遠く感じる。胸が苦しい…呼吸があまり上手く出来ない。必死に動かしてるはずの足も、まるで鉛のように重い。涙が出そうなくらい苦しかったが、私はその辛さを無視して走り続けた

「はあっ、はあっ…」

見えてきた、京都出張所…!今回の騒ぎで野次馬も多く取り囲むなか、私は人混みを押し退けて前に進んだ。すると、京都出張所の中から続々と人が出てきた。…旅館で言われてた通り、瘴気とやらにやられたんだろう。どの人もぐったりとした様子だ。担がれて出てくる人もいるし、担架に運ばれてくる人もいる。その場で佇んでいると、目の前を見慣れた人物が横切った

「…!お父さん!」
「!葵、何でここに…」

驚いた様子のお父さんに駆け寄った。お父さんは明陀の人に肩を借りて立っている状態だ。やっぱり瘴気にやられて…。私は「お父さん大丈夫?」と掠れた声で言葉を紡いだ

「私は大丈夫や、腰を抜かしただけやから。それより葵、お前風邪を引いてるのに…外に出てきたらあかんやろ?」
「で、でも私はみんなが心配で…」
「所長!所長大丈夫ですか!」
「!」

出張所から八百造さまが担架に運ばれて出てきた。彼は苦しそうに顔を歪ませている。そちらに視線を移した私に、お父さんが「…葵、私のことはええから八百造達についててあげ」と言葉を紡いだ。…お父さんがそう言うならば。私はそれにこくんと首を縦に振り、お父さんの傍を離れ八百造さまに駆け寄る

「八百造さま!大丈夫ですか!?」
「…葵…」
「状態は?もう医工騎士の祓魔師さん達は呼んだんですか?」

八百造さまを運んでいる人にそう尋ねれば「いや、まだ現場の処理に手一杯で…彼らが来るには時間がかかる」という返答が返ってきた。…悪魔による怪我を治せるのが医工騎士の祓魔師だけとは限らない。何の力もない私にだって、出来ることはあるー…

「…なら、早く旅館に運びましょう」
「え?」
「旅館でなら十分な治療が出来ます。薬草だってたくさんあるし、人手だって足ります」

処置が遅れては元も子もありません。…手が空いてる人は旅館のほうに怪我人を運んで下さい!お願いします!と声を張り上げ、私は携帯を取り出した。旅館の番号に電話をかけ、今から怪我人が多くそちらに行くから部屋をいくらか用意してほしいという旨を伝える。そして私はポケットに入っていたポーチから小さめの手拭いを取り出した

「…八百造さま。これ気休めにしかなりませんが、瘴気に当たった箇所に添えてて下さい」
「…?これは?」
「薬草を揉んで、その汁を染み込ませたんです。少しは痛みが和らぐと思います。たまたま一枚だけ持ってたので」

八百造さまに手拭いを渡し、私は担架を支えている人に「引き止めてすみません。もう行って下さい。八百造さまをよろしくお願いします」と頭を下げた。…やはり事態は深刻そうだ。そのまま旅館へと向かう彼らや行き交う人々を眺め、私は軽く頭を押さえた。…視界が歪む。頭がわんわんと鳴り響く。こんなときに体調を崩すなんて私は馬鹿だ。つい自分を責めたくなる

「けほっ、けほっ…早く私も旅館に戻らなきゃ…」
「なーにが戻らなきゃ、や!こんのアホ!」
「!い、痛あ…!?」

急にバシッと頭を叩かれ、私は身体のバランスを崩した。が、すぐに首根っこをひょいと持ち上げられ、私の身体は宙に浮く。えええ…何この状態!?っていうか誰!

「お前風邪引いとるんやろ?あんま外をフラフラするな!風邪悪化させたいんか!」
「!き、金造兄ちゃん!?」
「まあまあ金造、そんな責めてやらんでもええやないか。葵はようやってくれたし」
「柔造兄ちゃんも…!ぶ、無事だったんだね!」

私の首根っこを掴んでいる金造兄ちゃんと目の前で朗らかに微笑んでいる柔造兄ちゃんは、見たところ瘴気にやられた痕がいくつかあった。が、どうやら普通に自力で立てるほどではあった。…良かった、本当に。ホッと安堵をつくも、何故か両目からはぽろぽろと涙が零れ落ちていく

「うっ…本当に、二人とも無事で良かった…!」
「ハ、大袈裟やなあ。この金造様がそう簡単にくたばるわけないやろ」
「あはは、そうやんなあ。…葵、俺らは大丈夫やから泣き止みや」
「っ、う…ん」

泣きじゃくる私の頭を撫でてくれる柔造兄ちゃんの手は温かい。…二人は今、怪我をしているというのに。私は何をやっているんだろう。私は金造兄ちゃんに下ろしてもらうよう頼み、服の袖口でグイグイと強引に涙を拭った

「わっ、アホ!そんなんしたら顔が傷付くやないか」
「だ、だって…涙、止まんないんだもん…」
「さっきまでは旅館のほうに指示したりしてカッコよかったのになあ。またいつもの泣き虫さんに戻ってしもうたかー」

あははと軽く笑った柔造兄ちゃんに、私はかああっと顔を赤くしてしまった。さ、さっきの見られてたのか…恥ずかしいなあ。いや、こうして泣いてるところ見られてるのも相当恥ずかしいけど。私は涙を止めるのを諦め、二人の手をぎゅっと掴んだ

「?葵?」
「…とりあえず、早く旅館に向かおう?柔造兄ちゃんも金造兄ちゃんも私が治療する」
「……」

もちろん私は医工騎士の祓魔師でもないから、あくまで自分の出来る範囲でだが。薬草とかの知識なら少しは自分で勉強してるからあるし、何よりお務めで明陀の誰かが怪我したときは私が治療してたりしたから。少しは…役に立てるはず

「…いつも俺らにえんえん泣きついてただけのお前がなあ…」
「え?」
「あはは、ほんま月日が流れるのは早いわ」

今…何て言ったの?と二人に聞き返せば、優しい微笑みだけが返ってきた。?ど、どういうことなんだろう…これ以上聞いても仕方なさそうだ。私は二人の大きな手をぎゅっと握りしめ、歩を進めた

「…というか葵、お前ほんま大丈夫か?足元フラついてんで?顔も真っ青や」
「……大丈夫、だよ。こんなのへっちゃら」

金造兄ちゃんに弱々しい微笑みを返し、私は鉛のように重い足を一歩一歩動かした。…今、明陀の皆の役に立てないでどうするんだ。こんな大変な時に、私1人が風邪だなんだとへこたれてるわけにはいかない。竜士くんと約束したんだからー…。今私を突き動かしているのは彼と交わしたたった一つの約束、そして明陀の皆の力になりたいという気持ちだけ


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金造と柔造にとっては妹分のヒロインさん。



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