昔、一時期だけ葵が京都から離れて何処かに行ってしまったことがあった。物心ついた時から一緒にいた、たった一人の妹。夜もふけた頃、その葵をおとんがいきなり連れ出したのだ。あの時ばかりは、俺もおとんに噛みついた


『や…っ、おとうさん、いたいよ…!はなしてよう…!』
『……』
『おとん!葵はいやがってるやろ!それに葵をどこへつれてくきなんや!』
『…坊、理解して下さい。私らは葵様に一緒に来てもらわなあかんのです』
『八百造に蟒まで…!おかしいで!みんなして葵をきゅうにつれだして…!』

あの時ばかりは皆して何か様子が違くて。どこか焦ったように葵を必死に連れ出して行ったおとん達は、俺の声なんか無視をして。嫌がる葵を拐うように連れって行ってしまった。ー…あれは確か、明陀宗が正十字騎士団に所属することになった数日前のことだったと思う





***




「……柔造、金造。二人はいつから知ってたんや」

あれから。意識を失ってしまった奥村と葵。…奥村のほうは霧隠先生に連れられて、懲罰牟へと入れられてしまったらしいが。葵のほうは俺や柔造達が旅館の一室に運んだ。未だ目を覚まさない葵を布団に横たえ、俺らは彼女を見つめたまま言葉を交わす。…二人は、いつから葵がただの人間じゃないことを知っていたのだろうか

「…京都出張所に勤めるようになってからッス。それまでは全然知りませんでしたよ」
「俺もですわ。それこそ、和尚さまの諸々の事情で葵を養子にしたとばかり…」
「……正十字騎士団が葵を守るよう明陀宗に命じて引き渡した、そうなんやな?」
「…ええ、そうです。だから葵には常に目を光らせたうえで、明陀の者が交代で監視もしてました。葵が万が一にでも命を落とせば、明陀宗は正十字騎士団から除名されかねんと」
「……」

ー…そうだ、小さい頃から葵はやたら過保護にされていた。夕方になったら外に出るなとおとんにきつく言われていたし。葵が学校に通うことになってからも、門限は6時だなんて言われてた。そのうえ、家の中でも葵の隣にはいつも明陀の誰かがいた

「…俺は金造よりも大分前にその事実を知らされました。葵を守るのは明陀宗の仕事なんやと。…守るのは簡単です。何なら葵を軟禁でもして四六時中見張っておけばいいんですから」
「柔兄…」
「でも、そんなことは明陀の者で誰一人出来んかった。…皆が皆、いつの間にか好きになってたから。見ず知らずの女の子に、いつの間にか愛着がわいて…俺かて葵を可愛い妹のように思ってました。葵のことを…明陀宗は保護対象として見れなかったんです。むしろ義務感じゃなくて、それは…」
「ん、う……?」

ごそり。不意に動いたと思えば、葵の目がぱちりと開いた。…良かった。目が覚めて。やっぱり葵が意識を失っていたのは、強い悪魔の血をひいた奥村と接近したからなんだろう

「…?あれ…竜士、くん?それに金造兄ちゃんに、柔造兄ちゃんまで…」
「葵、目ェ覚めたんやな!」
「葵お前、深部で倒れたんやで?覚えとるか?」
「…深部で…?」

首を傾げる葵は「えっと…」と顎に手をあて考え込む。…悪魔が葵に与える影響がどれだけのものなのか。俺は知らない。けど、今はまだ安静にしとくべきだ。俺は葵に「…ともかく、今は休みや。あんま頭使わんでええ」と注意し、布団をかけ直してやった

「…ま、目が覚めたなら一安心や。じゃあ坊、あとは頼みます。俺らは仕事がありますので」
「ああ」
「葵!坊も言ってたけど、無茶しないで安静にしとるんやで!ええな?」
「う、うん…」

ガラッ。襖を開けて柔造と金造が出ていく。それと同時に、葵が思い出したかのように「そっ…そうだよ!竜士くん!奥村くんは!?奥村くんは無事なの?」なんて騒ぎ始める。…あーもううっさいわ。本当に人の事になると口うるさい奴やな

「奥村なら無事や。今は霧隠先生と一緒におる」
「そ、そっかあ…良かった」
「……奥村のこと、心配なんか?」
「!あ、当たり前だよ!だって奥村くんは友達だし…それに竜士くんとお父さんの仲を取り持とうとしてあんな…」
「……」
「…あんな…」

…葵は奥村があんな化け物じみた姿になったことをどう思ったんだろう。青い炎を身に纏い、黒い尻尾を伸ばした奥村を…。そう恐る恐る聞いてみれば、案外葵はショックなんか受けていないようだった

「…なんか、他人事じゃないから。奥村くんがああいう人間離れな状態になってても…それは私と同じだし」
「葵…」
「…私ね、ずっと不思議だったんだ。何で私みたいな子に竜士くん達が優しくしてくれるのか。勝呂家とは血の繋がっていなくて、この京都の地で生まれた人間でもなくて、そのうえ皆が見えないものが視える…そんな私を、竜士くん達は…」
「それは皆お前が好きだったからや」
「!…竜士くん…」
「皆お前のこと、ずっとずっと大切に思ってたんや。柔造だって金造だって子猫丸だって志摩のやつだって、俺だって…皆お前を本当の妹みたいに思ってた」

「…それに今までずっと気付かないなんて、お前はほんまアホやな」なんてため息をつけば、葵は馬鹿みたいに呆けた顔をして俺を凝視した。そして「それは…皆が優しくて素敵な人達だったから、だね。私…皆に会えて良かった」と震えた声で言葉を紡ぎ、葵はふわりと微笑んだ

「…まあ、そうやな。明陀の人間に悪いやつはおらんからな」
「……あ、あの」
「?何や?」
「その…りゅ、竜士くんも私のことそう思ってたの?」
「は?」

そんなん…俺にとっては葵は可愛い妹や。戸籍上も、もちろん気持ち的にも。そう伝えれば、葵は少し動揺したように言葉を詰まらせた。そして何故か顔をかああっと赤らめる

「え、えっと…も、もしかして竜士くん、昨日の夜のこと…覚えてない、ですか?」
「…はあ?」

昨日の夜?昨日の夜って言ったら……アレやろ?確か俺は廊下で爆睡しとったんや。霧隠先生が間違えて渡した酒を飲んだせいで。…それがどうしたんや?何か問題あったのか

「…そ、そっか。覚えて、ないんだ…」
「?葵?」
「覚えてないなら…仕方ないんだけど、私はその…一応、竜士くんに返事をしておくね」
「は?返事?」
「えっとね……私の好きは、ちょっと違ったみたい。私のは少し近過ぎて…意識するとか、そういうことじゃなかった。大切で大好きで愛しい…家族なの。隣にいてくれなきゃ嫌だ…けど、いつでも近くにいられることに安心を感じるから、特別とは少し…違くて」
「??」

何や……どういうことや??首を傾げる俺を余所に、葵はガバッと布団を頭から被り丸まる。…意味が分からん。俺は布団の上から軽くぽんぽんと叩き、「お、おい葵。ちゃんと説明しい」と呼び掛けた

「っ…な、何でもなく…もないけど、何でもないっ!」
「は?何やそれ。どっちなんや」
「も、元はと言えば竜士くんのせいなんだからね…!」
「?」

…何でいじけとんのやコイツ。それから暫く、子猫丸と志摩が俺を呼びに来るまでこの押し問答が続いたというのはまた別の話である


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覚えていないらしい勝呂くん




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