リナリア、僕は枯らしたい
*大人男鹿と大人神崎
「よぉ」
からん。一つ扉が鳴って、そうして現れた神崎に男鹿はゆっくり目を細めた。しばらく会わないうちに、頬のラインがほんのり柔らかくなっている。そのせいか昔のぎすぎすした印象は受けず、唇のピアスも外れて… 頬の傷も、大分薄れていた。向かいの椅子に座り込み、レース越しの日差しに目を細める穏やかさ。自然な仕草も静かな振る舞いも男鹿が知る彼とはかけ離れたもので、戸惑いはそっと喉の奥へ言葉を留める。神崎は何も語らない男鹿にイラつくでもなく、のんびりとメニューを開いた。頼んだのが甘いココアで、それにようやく昔の面影を見つける。
「久しぶりだな」
「……おう」
「驚いた。連絡来るとは思わなかったから」
「…近く、来たから」
「……お前が、そんな理由で?」
俺はてっきりなんかヤバいことやらかしたかと。おら、手汗。無邪気に差し出された手に手を重ねて、それが冷たく湿っていることに男鹿は目を見張った。緊張して、焦って、それであの態度だったとは相変わらず見栄を張る奴だ。それは変わらない。そう思って、ようやく男鹿は笑うことができた。不満そうに神崎は手を拭う。
「やべぇ印象しかねぇんだよ、お前」
「アンタのがやべぇだろ」
「なんで」
「やーさんのくせに」
「……いや、」
「あ゛?」
「家業は… 継がなかった」
言葉を失う男鹿に、神崎は微笑む。
「俺、…知らなかった」
「わざわざ言うようなことじゃねぇし、まっとうに働いてんだからいいだろが」
注文したココアが湯気を立てる。ふぅふぅ息をかける神崎の、その指に光るものを見て男鹿は静かに爪を立てた。手に食い込んでいる間は、大人しく話せるような気がした。
「それ」
「ん〜?」
「指輪」
「……あぁ」
「それで、やめたのか」
「まぁ、それもある」
少しな。そういう癖に幸せそうで、男鹿はすぐに嘘を見抜く。銀色に光るそれは、なんだか神崎にとてもよく似合っていた。高校を出て、少しも連絡取らなかった男が羨むようなものではないのだ。
「…ガキがさぁ」
「うん」
「うぜぇって思ってたんだけど、」
「…うん」
「できたら、結構かわいくて」
「………」
「お前もあん時、こんな感じだったのかって」
「…ふぅん」
照れたように頬を掻く、その傷に爪を立てたかった。あの時あの場所で、あんなに堪えなかった傷が今は一つもないこと。それが何より受け入れがたい。なにもわからないまま焦って飢えてイラついて、そんな姿が見たかった。でもそれは戻りたいと願う男鹿だけのもので、だからだまって爪を喰いこませる。頬を掻いた指は男鹿の視線に傷つくことなく再びカップにそえられた。
「今から反抗期が怖ぇの。馬鹿みてぇだよな」
「おう、馬鹿みてぇだな」
「テメェ…」
「どっち?」
「…なにがだよ」
「女か男かって」
「……教えねぇ」
「なんで」
「お前、娘っつったら浚いそうな目ぇしてる」
冗談めかして言うくせに、やたらと真剣な表情だった。のったり、冷めた珈琲が男鹿を映す。そんな目をしているだろうか。覗き込んでも同じ顔が見つめ返してくるだけだった。
「そっか、娘か」
「げ」
「げ、じゃねぇよ。浚わねぇし。失礼な奴だな」
まだ彼の眼に幼く見えるだろうか。わざとらしい膨れっ面に、けれど神崎は大人びて笑って見せた。高校時代によく見た先輩ぶった態度。ふっとゆるんだ雰囲気に男鹿は俯く。浚わねぇよ、別に、そいつは。
「なんか言ったか」
「別に」
ただ、よかったなって。嫁だか娘だか知らねぇけど、せいぜい尻に敷かれてろよ。神崎は幸せそうに、はにかんで笑った。
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片思いばっかですいません…