気まぐれな非処女について


 今日は、僕のおかしな恋人の話をしようと思う。

 彼女の名前は浅川あや。軽くウェーブがかった薄茶色の柔らかな髪、健康的ですべすべの肌、大きな瞳をふちどる長いまつ毛、桜色の小さな唇。彼女は惚れた欲目でもなんでもなく、美人でかわいい。二十という歳の割にはやや子供っぽい見た目ではあるが、そこもまた十分に魅力ととれるだろう。自由奔放で天真爛漫、裏表のない性格…悪く言えばというか、正しくはただ遠慮のないだけのあやだが、当然のように彼女はもてる。実際僕と付き合う前も男の影は絶えず、あやはなかなかに経験豊富な女性だ。僕とあやが高校生だった頃、付き合う前の話だが、あやと知らない男が寄り添って歩いているのを見たこともあるし、それどころか恋愛相談さえ受けたこともある(今となってはいい思い出だが、当時彼女に片想いしていた僕はその夜枕を濡らすこととなった)。
見た目も勉強も平均でスポーツができるわけでもなく、これといった特技も何もないただの大学生の僕が、どうしてあやと付き合うことができたのかは永遠の謎である。最近では人と波風を立てぬよう慎ましく生きてきた僕への、神様からのプレゼントと思うことにしている。
そのあやだが、付き合うようになってからおかしな言動をとるようになった。
前述したように、あやは経験豊富だ。実際二人で出かけるときや、互いに触れ合うときとかは、あやの動きはごく自然で手馴れている感じがある。逆に今まで恋人なんかいたことのない僕は、どちらかというと彼女に手をとってリードしてもらっている気もする、ていうか実際そうだ。
しかし、あやはいつもこういうのだ。
「私、こういうところ来るの初めて!」「こんなことするの、あなたが初めてよ」
 そう言って、あやはいつも嬉しそうに笑う。
 それこそうぶな少女が、初めての恋人との新鮮な毎日にはしゃいでいるかのように。
しかし、残念なことにあやはうぶな少女でもなんでもないのだ。
 むしろ幾多の男を斬り倒した、百戦錬磨の手練なのだ。
 それを彼女が上手いこと隠そうとしていたのなら「はじめて」発言もいじらしい彼女の気遣いと取れないこともないが、あやは付き合う前僕にほかの男の影を見せまくっている。いまさら隠そうとしても無理だとは、さすがに彼女もわかっているはずで。
 それでもあやはしつこいくらいに「あなたが初めてよ」と言うのをやめない。二人で某夢の国に行った時も、ゲームセンターでものすごく恥ずかしい思いをしつつプリクラを撮った時も、僕の部屋で触れるだけの口づけをしたときも。
 あやはにっこり笑って「初めてがあなたでよかった」と言う。そういうときに限って、あやの笑顔は最高に綺麗で、でもどこかさびしいような気がするのだ。本当に、初めてが僕だったらいいのに。いつもそう思いながら、僕はいつも黙って拳を握ることしか出来ない。
 そしてふたりが体を重ねることになった日も、あやは可憐に瞳を潤ませて言ったのだ。
「私、初めてだから優しくしてね…?」
 いまどきそんなテンプレートなセリフもないだろう、と思ったが、それよりもこんな時までそんなことをいうのか、というショックが大きかった。思わず一瞬手が止まり、僕はその場に固まってしまった。その時僕の瞳を覗き込んだ、上目遣いのあやの顔は、どうしてあんなに可愛かったのか。いぶかしげに僕の名前を呼ぶ声は、腹が立つほどに切なく甘く、綺麗だった。そうしてなし崩し的に続きをしてしまったあの時ほど、僕は自分の意志の弱さとあやの美しさを恨んだことはない。
 本当は全部経験済みなのも、初めてなのは僕のほうばっかりなのも、全部ぜんぶあやはわかっているはずなのに。
 どうしてあやは、そんな風に優しくない嘘をつくのだろう。いっそ前の男と比較してけなしてくれた方が(いや、それもかなり悲しいが)どんなにかいいだろう。どうしてあやは、「初めて」のふりをするのだろう。
どうして。
「そんなの、そうしたいからに決まってるじゃない」
 あやは実にあっけらかんとした表情で、正座した膝の上に握り拳を乗せた僕に言い放った。僕が人生でもトップ3に入るレベルの決意をして、あやを家に呼び出しどうしてあんな言動をとるのかを聞いた結果がこれだった。
 あやは膝の上に乗せたファッション雑誌を閉じて、僕に向き直った。
 あやの尻の下に敷かれたお気に入りの藍色のクッション(僕のだ)が窮屈そうに形をかえたのが目の端に見えた。
「あのね、私は確かに経験豊富で何人もの男を喰ってきた百戦錬磨の手練れよ。あなたにはいろいろ見られているし、そこをいまさら否定する気もさらさらないわよ。そんなの言われなくてもあなたがちゃんとわかってる≠フも、わかってる。
じゃあなんでかっていうとね、そんなの簡単よ。『はじめて』があなたってことにしたいだけなの。どういうことかわかる?」
 僕に人差し指を突き付け、あやは眼光鋭くまくしたてる。美人のあやが迫るとなかなかの迫力で、半ば気圧された僕は黙って首を横に振った。
 あやは、はああとため息をついて、まったくしょうがない人ねとでも言いたげに僕を見てきた。朗々と、まるで演説でもしているかのように、あやは大きく身振り手振りをして語る。
「今まで出会ってきた、私の『はじめて』を奪っていった男たちなんかより、あなたに私の『はじめて』をもらってほしかったのよ。本当にあなたが初めてならよかったって思ったの。だからせめて、口に出して言えばそんな気になれるんじゃないかって。だから言っていたのよ。これってどんなに名誉なことかわかる?あなた一人の女の子にすっごく想われてるのよ。」
「で、でも、そんなことしても事実は変わらないじゃないか」
何故か自信満々なあやの言葉はついうなずいてしまいそうになるが、こらえて反論する。
そうだ。何を言ったところで、事実は変わらない。あやの「はじめて」は他の男にすべて奪われつくしてしまったという事実は、変わらない。
 するとあやはたちまち呆れたような表情になり、やれやれと息をついた。「だから心の問題だって言ってるじゃない。私がそう思いたいから言ってるだけよ」
「あやはよくても、僕は嫌だよ!!」
 声を張り上げたのが自分だとに気付くのに、数十秒の時間がかかった。
 
あやは驚いた眼で僕を見つめている。僕もおそらく同じような顔であやを見ていることだろう。今まで落ち着いて話しているつもりだったのに、気づいたら僕は立ち上がって息を荒げていた。
どうして僕は、こんな。
 考えて、一つの答えにたどりつく。
 ああ、なんだ。
 簡単なことじゃないか。
今になって、僕はようやく自分が嫉妬をしていたことに気付いた。
 あやに嘘をつかれたのが嫌なんじゃなかったんだ。
あやが「はじめて」というたびに、彼女の昔の男を思い出すようで、あやが僕だけのものでないことを思い知らされるようで、それが嫌だっただけなんだ。
 僕は、醜い独占欲に駆られていただけだったのだ。それを、あやのせいにしていただけだ。ああ、僕はなんて。
「あや、僕、僕は――」
 あやが、くすりと笑って唇をゆがめる。ぎくりとたじろいだ僕に、あやはもう一度微笑みかけた。あやは、きっと僕のことなんかお見通しなんだろう。ぼくが嫉妬をしていたことも、全部。ああ、どうしよう。頭が真っ白になって、何も言えない。
 
 ふわり。
僕の頭を、やわらかくあたたかなものが包み込んだ。花のような甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「ばかねー、あなたは。私の心も体もぜーんぶ、今やあなたのものだって、さっき言ったのにわからなかったの?」
 そう言って僕を見下ろすあやの顔は、眩しいほどに綺麗で、聖母のように優しかった。愛おしそうに細められた目が、僕に向けられているなんて信じられないほど、あやはきれいだ。僕はどうしてだか泣きそうになって、あやの小さな胸に顔をうずめた。あたたかい。
 あやの小さく笑う声が聞こえて、なんだかよくわからないけどひどく安心した。僕は単純な男なのだ。
「あ、そうだ。言い忘れてたことがひとつあるわ」
 顔をあげて、あやが言った。釣られて上を向くと、楽しげに笑う目と目が合う。
「うちの両親に菓子折りを持っていったのは、本当にあなたが初めてなのよ」
「……なにそれ」
「それだけ真剣ってこと。」
      おしまい






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