小十郎の場合
『………』
「香月様…」
遅い朝餉の、膳を挟んだ差し向かい。
にらみ合う…というよりは、小十郎が一方的に食い下がっているといった感じだ。
「好き嫌いはいけません」
舜の膳には小皿に残るキュウリの漬け物。
『…………』
そっぽを向いたまま、目線一つ戻さない舜。
それでも先ほどから粘り強く諭そうとする小十郎。
お互い一歩も譲らない中、ちらりと、鬱陶しそうに舜が小十郎を見た。
普段ならばこの辺りで嫌われるのを恐れた小十郎が折れるのだが。
「…っ!……そんな目で見ても駄目です!今日こそは食べていただきますぞ!」
どうやら今日の小十郎はたとえ嫌われても舜の為になるのならと、心を鬼にすると決めてきたらしく譲らない。
眉間のシワとその決意のせいで大の大人でも泣き出しそうな顔になっているが、本人はいたって悲壮な覚悟を決めたつもりだ。
「この小十郎の作ったキュウリ…そこいらのとは気合いが違います…!絶対に香月様の体にも…」
良いと言いかけた口が止まる。
視線の先、低い位置にある目がぱちくりと瞬いていた。
『…こじゅろうが作ったのか?』
これ、と指すので、当然であると頷いた。
それどころか漬けたのも自分だと小十郎が言えば、舜はもう一つ瞬いてから徐に箸を手に取った。
そしてゆっくりと一切れを口に運び、呟く。
『うまくない』
顔をしかめる舜におろおろと慌て出す小十郎。
しかし文句を言った当人は未だ冷静なまま二切れ目に箸を伸ばし、そしてまた顔をしかめる。
『でも、こじゅろうが作ったものなら食えなくもない』
「…っ!…香月様…!」
無表情かつ言葉の通りあまり美味しくはなさそうな食べ方だが、自分の作った野菜、まして好き嫌いをおして食べているのだと思えば小十郎の感動もひとしお。
はじめの決意が決意だっただけにうっかり目が潤みかけるほどだ。
それでもやはり嫌なもは嫌なのか、寄りかけている眉はなおらない。
『こじゅろう』
「は、」
呼ばれて何かと目線を上げれば、突き出されている小さな拳。否、箸か。
どういう事かわからず一瞬止まると、
『食わせろ』
「!!!!」
その言葉に固まりかける小十郎を無視してなおも突き出されている舜の箸。
早くしろとまっすぐ見てくる目が言わんばかりだ。
「…し、しかし…」
言いかければわずかに舜の目が細くなる。
それを見て仕方なしと小十郎も腹をくくった。
「………失礼します」
震えかける手を叱咤して、渡された箸で慎重にキュウリをつまむ。そして舜の前まで運ぶと
「(…!!!)」
何も言わずにぱかりと口を開けるのだ。
反対に開けているのが面倒で閉じた目も、小十郎にとっては信頼の証にしか見えず。
小十郎の入れたキュウリを咀嚼している姿からもまったく目が離せなかった。
まるで小鳥のヒナに餌を与えているようななんとも言い難い幸福さを感じつつ、思わず小十郎は空いた片手で口元を隠す。誰に見られている訳でもないが、本能的に今顔を見られるのはまずいと思ったのかもしれない。
もう一度繰り返し、皿が空になってしまうと言いようのない残念さが胸に残る。
再び目を開けた舜がごちそうさまと呟いてやっと、小十郎は意識を取り戻した。
「…待っていてください香月様…この小十郎、必ずや香月様の口に合うようなキュウリを作ってみせます!」
だからそれまでお付き合いしていただきますと、やけに張り切っている小十郎。
『……………あんまりだすなよ』
それに慌てた舜が抵抗を見せても、新たな決意に燃える小十郎の耳には舜の声は届かない。
輝く目には今日からの農業計画しか映ってはいないようで。
『…………(あとでぜったい、だっこしてもらおう…そしてひるね…)』
明日からはキュウリ三昧なのだろうかというわずかな不安を感じつつ。
諦めまじりにせめて完食のご褒美をもらおうと決めた舜だった。
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