中国征行2
内まで引き込み、取り囲む。
誘引、包囲、殲滅がこの地における必勝の方程式である。
その、はずであった。
ならばこの光景はどうした事だ。
包囲の為の伏兵は現れず、時間を稼ぐだけの予定であった己はその役目すら果たせていない。
ただ‘生かされて’いる。
そう考えながら元就は腹立たしさ以上に、眼前の男に対して空恐ろしさを感じている自分を理解した。
「増援を呼ばなくて良いのか?」
薄ら笑いを浮かべる男の手には戟、軽装の鎧を着けているだけ。飛び抜けて得物の扱いが巧みという訳ではなく、元就を呑むほどの多勢という訳でもない。
だが、途方もなく強いのだ。
ただ強く、それを覆すような弱味も見えず、何故攻撃が当たらないのかもわからないまま戦局が止まる。しかもどうやら停止すら、目の前の男の気分でしかないようなのだ。
そら恐ろしい程の力の違いに、いっそ人ならざる者の意思を感じてしまいたいくらいだろう。
相手の不透明な不気味さにじりじりと自身の気力が削られていくのがわかる。
一歩前に踏み出されれば、足が勝手に後退った。
「どうした。怯えて声も出ないか」
『…!、手勢も連れずにのこのこと現れたたわけに閉口しておったところよ』
そんな状態にあって尚、まだ相手に噛み付くのだから、自分は相当の負けず嫌いだなと頭の片隅で客観視する己もいる。
余裕があるというよりは、寧ろ勝てないと覚った自分の視点なのだが。
「成る程。だが手勢なら毛利軍の掃討をしている最中だ。単身の大将の相手など俺一人でも十分すぎる」
そうだろうと振られても元就には反論する術がない。しばらく剣戟を交えはしたが、傷をつけるどころか体勢を崩すことすら出来ていないのだから。
「しかしそろそろこの茶番にも飽きた」
『ならばとっととこの地から去れ』
努めて強気に言い放つが、指先の震えは止められない。手甲で隠れているにも関わらず、見透かされそうな男の視線が重い。
例え勝てないと自覚したところで、元就の方から国を渡す事など出来るわけがないのだから。
「威勢の良い奴は嫌いじゃないが、強がりも過ぎりゃあ体に毒だ」
顔色が悪いと揶揄われるも、元就にはそれを返すだけの余裕はもはや無い。
事実、極度の緊張から来る吐き気を堪えているので精一杯なのだ。
『だまれ!!貴様などに…この地を渡すわけにはいかんのだ!』
それでも敢えて踏み止まるのは、恐怖よりもその誇りにも似た一念だけでだと言っていい。
『退かぬというなら力尽くで排除するのみよ!』
意地を絞って輪刀を振りかざす。
その腕が、足が、動き出した瞬間止まるのだ。まるで見えない何かに阻まれるかのように。
耳役の報告通りである。
「無駄は知っている筈だが」
『…怪しげな事をしおって…!』
悔しげに唇を噛む元就を腕一本動かさないままの男が見据える。
そして、楔を打ち込むように、はっきりと次の言葉を続けた。
「その奇怪な術で、お前の国はもう落としてしまったと言ったらどうする」
びくりと元就の肩が大きく跳ねる。
「兵も将も、手駒は皆俺がもらった。今頃は身柄か首が浜辺に並んでいるだろう」
「耳役を押さえておいて、昨日までにここ以外の全てを制圧した」
島津が十日、ザビー教が二日。
耳役が解放されたのは更にその五日後だ。有り得ない話ではない。
有り得ない話ではないのだ。
だからこそ、今は考えないようにしていたというのに。
「守るべき場所は無いと言ったら、お前はどうする」
『誰が…そのような戯れ言を聞くと…』
息が乱れる。視界が揺らぐ。
真っ青な顔を歪めてなお食い下がる元就を、男はじっと眺めている。
「見かけのわりに根性のある…疾うに倒れていいんだが…」
ぼそりと男が呟く声は、耳鳴りに混ざって元就に届くには到らない。
ただ一人、目を細めて笑っている。
「国は俺が見よう。お前はただ俺に従え」
『何を言って…』
「生か死か、選ばせてやろうと言っているのさ」
にぃっと上がる口角がまるで人外の生き物のようだと元就には思われた。
恐ろしいと同時に、酷く抗い難い。
「ほら、部下たちも様子を見に来たぞ」
最後の抵抗を見せていた元就に、男は海上に漂う小舟を示す。指先を目で辿った先に見たものは、山と積まれた人の首。
『…!!』
「見覚えがあるだろう?」
当然だ。
別働隊の指揮のために先程別れた者から、遠方の統治を任せていた者まで、それらの首は皆位のある将のものばかりなのだから。
元就自身の手で選んで配した将ばかりその小舟には乗っていた。
「一番上に乗せてやろうか」
元就の意地が崩れる音がした。
駒とは言え、王将だけでは勝負にならない。自身が作り上げた国という組織が、すっかり無くされてしまった事を知った。
「選べ」
真後ろの男を振り返って見るまでもない。
小舟の方を向いたまま、元就は力無く膝をついた。
ごとり、と輪刀が手の中から抜け落ちる。
『国を持たぬ君主など、道化よりも質が悪い…』
亡命の出来る性格ではないことは元就自身が一番よくわかっている。
何より、張り詰めていたなにかは既に切れ、立ち上がろうという意志が生まれないのだ。
「…この手を取るなら、俺が居場所をやるぞ」
いつの間にか元就のすぐ側に男はいた。
死んでもいいと思い、生きている気もなかったが。
男の頭の上に後光のように太陽が在り、笑うその顔に正体も無い安らぎを見た。
ただそれだけ。
ただそれだけで、気付けばその手を取っていた。
「もう、お前は俺が貰ったぞ」
『…好きに思えばよい』
差し出された手に乗せたそれごと引き寄せられた。
存外に悪くはない気分であると思った事は、元就だけの秘密である。
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