帰還
『あっらー?なんかいつもより格好いいんじゃないの?』
朝、すでに起きていたらしい大輔は、昨日までとはどこか違った。
「気合いが違うんだろ」
ニィッと笑う。確かに格好自体はそれまでと変わらない上下白の袴姿だ。
「斎戒沐浴して臨むような大掛かりな術なんだぜ?気合いも入るってもんだ」
聞けば、失敗すると異なる世界に飛んでしまうどころか、最悪は生死にかかわるという。
確かにそれは気合いでも何でも入れてもらいたいところではある。
『…練習とかしないの?ぶっつけ本番?』
「何回やっても慣れたりしない。どれが成功するかだってわかりゃしないんだよ」
一回目でも十回目でも、成功率は変わらないのだとか。だからってはいそうですか、と納得しきれないのは仕方がないというものだろう。
「まぁ術自体は先々代の当主も成功させたらしいからさ。…不安だろうとは思うけどよ」
まったくだと、上目遣いにねめつける。
忍が続けられなくなったらどうしてくれるのか。
今のを聞いて不安にならない奴がいるなら、是非とも見せてもらいたいものだ。
「そんな顔するなよ…」
『だって、安心材料なんか全然ないじゃん。これからやられる当事者に言うことないんじゃない?』
「だからって隠した方がまずいだろうが。…保険もかけてやるから睨むんじゃねえよ」
大輔の言う保険とは、違う世界、あるいは元の世界に戻ったとしても身体に何らかの問題が生じたような場合、一時的に“こちら”の世界に戻る事のできる呪符。
そんな便利なものがあるらしい。
『くれんの?』
「用がなくなったら燃やせよ」
少し厚い紙に書かれた線を目で追う。
使う時は額に当てて強く念じるのだとか。
「その呪符の反応がなくなり次第、俺も警戒を解くんだからな」
『へぇ?じゃあ一生持ってようかな〜』
「おい、洒落になんねぇよ」
便利さにはそれなりの労力も絶えずかかっているのだと、渋い顔をして言う。たぶん長引けばその分大輔も疲れるということだろう。
そもそも呪符を使えば自分にも更なる負担がかかるらしい。だから、本当に必要な時以外は即燃やすようにと念を押された。
『要するに、大輔ちゃんが失敗しなけりゃいいって話でしょ?俺様は燃やし忘れたりしないよ』
「俺こそ失敗なんかしねえな」
呪符を没収してやろうかと笑う。その大輔の手を丁重に戻し、急いで呪符を懐にしまう。それからさっさと例の部屋の襖を開けた。
いつも大輔が籠もっていた場所だ。
『……………』
中心に置かれた自分のクナイ。
それを起点に床やら壁やら、いたるところに仕掛けのような何かが施されていた。
「そのクナイの奥に座ってくれ」
言われるままに移動する。なんとも言えないこの部屋の“らしさ”に、忘れかけていた緊張が戻ってくるのがわかる。
いよいよ自分の手には負いきれない事が始まるのだと思えば、否応なしに気が引き締まった。
正面に向かい合って座る大輔の手には、房のついた棒と空の杯。いつの間にしたのか目のまわりには隈取りのような黒い化粧までされていて。
その強調された目が自分を見る。
意図を持って視線が合わされた。
「俺を信じろ」
「俺だけ見てろ」
言い聞かせるように、はっきりとそう、言い切った。
確かに、大輔が自信たっぷりに笑うのを見て、肩の力が抜けたのは事実。
だがそれ以上に、衝撃を受けてしまったのも事実だ。
目を離せない自分をよそに、半眼に閉じた大輔はさっと右手の棒を振る。それについた房がなびいて動く。
最早、術は始まっているのだ。
ふと気づく。
足元には落としてしまったらしい団子の包み。
そして一本のクナイが刺さっている。
それらを無意識に拾い上げながら、改めてぐるりと首をめぐらせた。
まわりは森。まぎれもなく武田の治める領土、見慣れた自分の通り道である。
『………』
手にしたクナイはもちろん自分の物で、空いた場所に戻せばすっかり収まった。
何の変化もない団子の包みを地面に置き直し、火薬を使って爆破する。
もう一度買いに行かなくてはと踵を返した。
「佐助えぇぇっ!!遅いではないかっ!!!」
『ごめんね〜旦那。店がちょっと混んでたんだわ』
二往復分待たされたせいか、少々ご立腹気味な相手をなだめ、団子に茶を添えて出してやる。それだけで、すぐに機嫌のなおるいつも通りの自分の主君。
団子屋の店主も、一刻とあけずに再び買いに来たことをあんなに不思議がっていたではないか。
二言三言の会話をして、与えられた城の一角に下がる。
注意深く確かめた自室も、これまで見た何もかも、まるで変わらない。
なんの違和感もなく進む日常だった。
座り込んだまま、拍子抜けしたような意識を持てあます。自分が過ごした七日間など欠片もなく、いっそ白昼夢だったのではないかと思う程だ。
『(…それとも、趣味の悪い忍の技か)』
おそるおそる自分の懐を探る。
指先に触れる紙の感触があり、取り出せば確かに大輔に渡された呪符だった。
合図を送るような仕掛けがない事を確認し、燃やす。一筋の煙さえあがらない。
本当に、敵の忍術にかかったわけではなさそうだし、城はどこまでも平和なまま。
『…あれだけ脅したくせに、傷の一つも、つけちゃくれないんだからさ』
卑怯だと、灰も残さなかった呪符に呟く。
有能すぎるのも良し悪しだろう。これではまるで、初めから何もなかったかのようではないか。
『あんなの…ずるすぎだよ…』
三日間必死で打ち消した感情を、最後の一言があっさりとが甦らせてしまった。
自分のためだけに向けられた笑顔が、今も目に焼き付いて離れない。呪文を唱える声でさえ、朗々と頭に響いているのに。
無理矢理自覚させられた思いだというのに、それを寄せる相手がこの世のどこにもいない人物だとは。束の間見た幻覚に惚れるなど、愚かしいにも程がある。
『…ほんと、俺様ってば報わない…』
自分の馬鹿さ加減をあざ笑い、区切るように息を吐いた。
『さてと。…休憩は、おわりってか』
忘れてしまえと言い聞かす。元から自分には感情なんて要らないものだ。
胸の欠けが痛いのも、きっと今だけの気のせいに違いないから。
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