帰還準備三日目
昨日と同じように出かけ、昨日とは違う場所を見て回る。
そして、ある一カ所で足が止まった。
『…旦那?』
一件の店、その硝子戸のすぐ奥で聞き慣れた声がした気がした。
立ち止まって振り向けば、店に入って行く男。開いた硝子戸の脇の「てれび」という物に目が留まる。
『あららー、独眼竜に風来坊まで…』
よくよく見れば、あまりにも見慣れた二人までがその箱の中で動いていた。
『これはゲームソフトの販売促進をしているものですね』
突如隣りに現れる。今の今までクナイとして持ち歩いていたはずの式神だった。
自分が近づいてじっと眺めていたせいなのか、つらつらと説明を並べだす。勿論げーむそふととやらの説明も忘れない。
『なんで旦那たちがいるの?』
「異世界の影響の一つです」
昨日した本の例えを覚えているかと言う。むしろあんな不思議な話を、たった一晩くらいで忘れる方が難しい。
「すべての世界はバラバラに存在しているわけではありません。そしてそれらの世界は互いに何らかの形で影響しあっているのです」
自分の世界の現実が、この大輔の世界では仮想世界としてその存在があることを主張しているのだとか。
世界同士が交差しているという事象の証明のようなものらしい。
『あ、俺様もいる』
言われるまま適当にいじりつつ画面を動かすと、その中に自分の姿と声があらわれた。
『うわー…、なんか、すごい変な気分』
ボタン一つ押すだけで画面の中の自分が動き、攻撃して敵を倒す。体を動かすこともなく、精神が疲れることもない。
それなのに、箱の中では自分の使う技を自分ではない佐助が使っているのだ。
「お求めになりますか?」
しばらく続けていると、抑揚のない声で式神が言う。
『へ?…あー…うん、いらないかなー流石に』
ちらつく既視感。それでも完全に異なる世界に嫌気がした。好きにはなれないという、拒絶にも似た感覚が強すぎる。
まさかこれをあの家にまで持ち込む気にはなれない。
『…さてと。今日の夕飯は何を作りましょうかねー』
からくりを置いて、そのまま何事もなかったかのように店を後にした。
『大輔ちゃん?』
呼ばれて、ゆっくりと大輔の頭が動く。向けられた目だけが何かと訊ねてくるが、その事自体に呆れてしまった。
『本当に平気?今日はやけにぼーっとしてるみたいだけど』
「…悪い。何の話だったんだ?」
聞いていなかったと謝る。
その答えに、わざと大げさにため息をついてみせた。
『そうじゃないでしょ。相変わらず顔色は悪いし…俺様は心配してるわけ。あ、もちろん大輔ちゃんの体のことだからね』
まさか今更、戻れるかどうかの心配をしている訳ではない。それでもわざわざ念を押したのは、大輔の場合そう解釈しかねないとこの二日間で判断したからだ。
『夕食の時も様子がおかしかったし…やっぱり根詰めすぎなんじゃないの?』
そう言えば、うなるような考えるような曖昧さで大輔はうつむいている。
『倒れてもしらないよ』
「…そこまで言うなら、手、借りるぞ」
肩をすくめた自分に向かって大輔は手を出した。首を傾げるが、大輔は何も言わずそのまま手を伸ばしている。
「心配してくれるんだろ?」
しばらく考えてしまったが、結局出されたその手に自分の左手を乗せてみる。
そのために縮めた数歩分の距離が、いざり寄った以上に、もう一歩分だけ詰まったように感じた。
『…これ、なんの冗談?』
文字通り“手を借りて”いる大輔。しかしその行動の意味はさっぱりわからない。
「佐助の体と気を借りている。接した部分から互いの気を循環させて、普段よりも早い時間で意識的に新たな気を作り出す」
平たく言えば、他人を使って自分の回復をはかっているのだろう。こちらの何かを奪っているということではないらしいので、疲れるわけでもないとか。
『へー?あ、本当にちょっとぽかぽかしてきた』
意外にもかなり心地良い感覚だった。男同士で手をつないでいるということを抜きにしても、十分気持ちがいい。
座ってそれを感じつつ、ぼんやりと目の前に座る大輔を見る。
今は閉じられた目が、自分を見ていないのが残念だとふと思う。
何かが満たされるような感覚の中、半分まどろみかけてしまっている思考に警鐘を鳴らす意識はなかった。
「…もう十分だ」
悪かったなと手を離された瞬間に、はっと我に返る。一瞬自分の忍らしからぬ油断に驚いたが、見れば確かに大輔の顔色は先ほどとは打って変わって元気そうになっていた。
…治っているということは、あの感覚を大輔も共有したのだろうか。
「明日休んで体調が万全になったら、明後日には佐助を戻せる」
今日で必要な準備は全て終わったから、と。
式神は何日もかかると言っていたのに、実際はたった三日で完了したらしい。
本当に大輔は有能なのだろうと改めて知った。
『…そっか。了ー解』
何事もないようなフリをして返す。
自分でも、先ほどまでの温い思考などまるでなかったような声だと思う。
それでも空気にだけは緊張が混ざってしまったのを、隠しきれはしなかったけれども。
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