月夜の晩に





ふと、気配を感じて目を覚ます。
別段何かの物音がしたわけでも、誰かに触れられたわけでもない。
それでも自分の眠気が退いていくのを謙信は寝起きの頭で感じていた。

床の中、伸ばした手に当たるはずの温かさは既にない。
いつもならば自分を抱えるか上に乗せるかしているものだから、その空しさがやけに寂しい。

相手の姿を探して自然と動く謙信の目。
すっかり覚めてしまったそれが見つけたのは、場に合わぬ小さな文机に向かう見慣れた男の大きな背中。
さらさらと動く筆は、一体何を書き綴っているのだろうか。

…などとは考えるだけ無駄な事。
大輔が動くのは何時だって主君である信長に関してのみであるということは謙信もとっくに知っている。
ましてやこんな夜更けに起き出してやるのだから、言わずもがな。


「起こしたか?」


気付けばじっとその背を見つめていた謙信に、振り向かないまま大輔が言う。


「…いいえ。あかりをたしましょう」

「いや、直ぐ終わる」


起き上がった謙信に、構うなと軽く制止をかける。
確かに簡易な机は到底大輔に合う大きさではない。臣下が書面と共に持ち込んだのだろう。
急遽用意されたそれで済ますのだから、書き物の量は少ないに違いない。


「…それでは、せめてつきをあかりにおつかいなさい」


だけれども、やはりこの暗さではと、謙信は立ち上がって窓に寄る。
障子を開けばぼんやりとしていた白い光が、いよいよ明るさを増して室内を照らす。
謙信の山城程ではないにしろ、ここも地上より遥かに高い位置にあるせいか光は長く入り込み、部屋の奥まで明らかにした。


「そのふみもまた、いくさをもたらすものですか」

「…広い意味では、そうとも言える」


僅かに固い声で問う謙信に苦笑しながらも大輔は認める。
織田の圧倒的な武力の前に、戦は度々一方的な殺戮の場になりやすい。清廉な軍神殿にとっては、それが気掛かりでならないのだろう。


「だがこれは戦を止める調停状だ」

「ちょうていの…」

「天下に戦はつきものだが、勝手に起こされても困るのさ」


あくまでも、手の内でやってもらわねば、と言う大輔は吐いた台詞とは似ても似つかない穏やかな顔で笑う。
そんな顔をするからうっかり信じたくなってしまうのだと、おそらく分かっているのだろうけれども。


「いつまでそこに居るつもりだ」


開いた障子のすぐ側で座る謙信に変わらぬ調子で投げかける。


「ですが、みごとなまんげつですよ」


呆れたのか感心したのかはわからないが、大輔は薄く笑って振り向いた。
筆を置いた右手で手招かれば、謙信も素直に寄る。


「あれに見入るな」


膝の上に乗せてぽつりと言うのは、まさか思ってもいなかった台詞で。


「…なにゆえ そのようにいうのです」

「月は我等の眷属よ」


隙を見せれば引き込まれるぞと腰を抱かれる。
驚いているのか目を丸くする謙信の耳に大輔は更に声を吹き込んでいく。
あれは夜道を行く者の友ではなく、誘い惑わす魔の物であると言い切れば、まさかと謙信が更に驚く。


「…………」

「信じられないか」


つい、と大輔が手を動かせば、タンッと小気味良い音をたてて障子が閉まる。光源が遮られ、一気に室内は薄暗くなった。


「まぁ信じる必要はない」


だが、と


「あんな石ころにお前をくれてやるのは癪だからな」


自分のものだと言うように、抱いた腰を引き寄せる。
いっそう近付いた距離と二人分の合わさった影のせいでお互いの表情は判らなかったが。
首に当たる大輔の息が温かく、何とも言えない充足感に謙信もひっそりと笑った。









* * * * *






夜道を行く者の行く者の「友」なのか「供」なのか最後まで迷った結果、お友だちの方にしてみましたが……間違ってたら生暖かい目で見逃してやってください;





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