甲斐偵察3
――佐助視点―→
「なかなか活気のある街だ」
現時点の要注意人物として、かなりの上位に置きたい相手は、そんな事をのたまいやがった。
「織田領には劣るがな」
その声で寄せた眉に更に力が入った。不満一杯の内心が今更隠せるわけもなく、自然と自分の目が冷ややかなものになるのがわかる。
かつて自分を捕らえたような男と、どうして自国の中を歩き回らねばならないのか。
『…案内させといてそれはないんじゃないの?』
「本当の事さ」
笑う男の左側、自分はすぐにも斬りつけられる位置にいる。
それなのに欠片も優位に立った気がしないのは何故か。
『そんなことばっか言うなら、案内なんか止めるよ?俺様』
精一杯の意地で軽口を叩いてみるものの、結局見透かされているようで居心地が悪い。ちらりともこっちを向かないことがまた相手の不気味さを増す。
こんな風に見張ったって意味がないような気もするが、だからといって逃げ出せない。本能と意地がぎりぎりのところでせめぎあう。
「そう、拗ねるな。付き合ってくれりゃあ、直に面白いものを見せてやる」
『…面白い、もの?』
聞き返す自分の声が低い。怖いと叫びそうになるのを押し込めているからだ。
忍の沽券に関わりそうな問題だが、きっとこいつはどうにもならないだろう。自分にはむしろ、この男の横を平気で歩いて行く町人の感覚の方が信じられない。
気付かないやつらの気が知れない。
「武田の役に立つかは知らんがな」
目だけで笑われた。にぃっと音でもしそうなそれに思わずどきりと心臓がはねる。
背筋が冷えるような目だと思った。
『何かそれ…微妙なんですけど』
「ま、明日になればわかる」
その後もずいぶんと連れ回され、結局休んだのは下弦の月が天頂にかかろうとする頃だ。
何だか恐ろしく消耗したような感じがすると、しゃがみこんだ地面に向かって呟いてみる。
しかし高向が見たのは街や村、後はせいぜい市程度で、本当に戦場の下調べに来た風はない。今すぐにはまだこの男と敵対しないらしいとわかり、ほんの少しだけ安堵した。
日も出る前の暗いさなか、気ばかり疲れた日はあっという間に次の日にかわる。
なんだって休憩時間はこうも短いもんなのか。
「行くか」
…この男が寝ていたのか起きていたのか、結局最後までわからなかった。
その声を合図に歩き出したのは、南。やや南西かもしれない。このままこの道を進めばたどり着くのは小田原、北条の本拠地だ。
『北条に面白いもんなんかあったっけ?』
今あの城に動きはない。というか、有能な傭兵を集めてはいるが、あそこの当主は守る事にしか関心がないはずだ。
「北条にはないな。だが、あそこは伊達領と隣接している」
高向は、昇りたがっている竜にとって北条は丁度良い餌のようなものだと言った。
『…まさかアンタ、今から伊達がこっちに来ると思ってんの?』
前を走る男の速度は忍の自分と変わらない。それでもまだ会話をする余裕があるらしい。獣道とも言えないような森を、迷いなく、滑るように駆けていくのがまるで人ばなれして見えた。
「来る。伊達の速攻を見物させてやるよ」
目を見張る自分をきれいに無視して、自信たっぷりにそう言い切る。
だがこればっかりは、いくらこの男が常識の通じない相手だからと言って信じられない。
『ありえないね!伊達は戦の準備なんかしてないよ』
戦は大掛かりな物資や兵士の支度がいる。まして敵国のそれを見逃すわけもなく、どれだけ秘密裏に進めようと他国にそれは隠しようもないのだ。
『俺様はそんな話聞いてない』
「お前が知らないだけさ」
伊達が攻め入るなど部下の一人からもそんな報告はうけていない。
自分で調べた時だってそんな素振りは見えなかった。
「俺の耳目は特別製だからな」
『忍から戦を隠せるもんか。賭けてもいいね』
山道を上がる背中に言い切る。
自分の耳目は正しいと信じている。忍がそれ以外の何を信用できるものか。
「なら、そこから覗いてみな」
急に止まるから、後ろを走っていた自分は危うくぶつかりかけた。
『…ちょっと!』
「いいから」
渋々木の間から見下ろした先、凝らした目に映ったのは、はるかに延びた兵の列。粛々と進んではいるものの、間違いなく戦に向かうそれである。
『……まじかよ』
「あれは前衛だろう。もう少し見やすい場所に行くぞ」
信じられない。
本当に伊達は軍を起こしていたのか。
それよりも、どうしてこの男は自分も知らないような情報を掴んでいる?
…まるで調子が狂う。どうにもこの男にのせられている気がしてならない。
それでも促されるまま、更に足を速めた男について薄暗い山道をひたすら走った。
不安ばかりが高まるとはいえ、今この一戦を見逃す手はないはずだ。
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