越後侵攻6
「主」
唐突に、謙信を組みしいたままの大輔に声がかかる。
その真後ろに現れたのは先程放った股肱、綾杉。
「申し訳ございません。一人逃しました」
身を縮めて片膝を着き、深々と項垂れた。叱責を待つ綾杉に対し、大輔は一拍の間を空けて振り返る。
『まだこの山中にいたぞ』
「…申し訳ございません」
『縛呪を掛けた。殺さずに拾って来い』
平身低頭する綾杉に手を振り顔を上げさせる。こんなことは大輔にとって然したる手前でもない。
寧ろ、綾杉を梃摺らせた忍のほうが優れすぎていたのだろう。
「御手を煩わせました」
『構わん。行け』
命ぜられるやいなやその姿は消え、一瞬の後にはたった今居たはずの形跡すら見当たらない。
この男が逃がすというのだから、件の忍の能力は推して知るべしというものだ。
『邪魔が入ったな』
二人のやり取りを呆然として見ていた謙信に向き直ると、気が逸れたのか大輔もふむと息を吐く。
『続きは屋根の下でするとしよう』
本当に宣言通りらしく、未だ謙信の首元に突き刺さっていた戟をあっさりと引き抜いた。
『立てるか?』
だが見上げるだけで謙信は何も返さない。その緩慢さにしびれを切らしたのか、大輔はその手を掴むと答えを待たずに引き起こした。
軽い体を腕に収めるとついでとばかりに額に指を着け、大輔は謙信にも元就と同じ呪をさっさと掛けてしまう。
「……そなた、めが…」
ぱしんとした音が消えると、ようやくぽつりと声を出す。
『光ったか?』
頷く。純粋に疑問なのかほんの少し首を傾げて見上げている。
見ず知らずの将に捕まったばかりだというのにその姿には呆れる程警戒感がない。
「なにゆえめがひかるのです」
『力を使うと光っちまうのさ』
重瞳の特性で、隠せなくもないが面倒なので大概は光るままにしているのだ。
『それより、あの忍はどうする。連れて行くか?』
このまま放って置けばおそらくは死ぬことになるだろう。実際のところ、今も息をしているかはあやしいくらいだ。
「! たすけてくれますか!」
『別に構わん。なら早く手当てをしなけりゃな』
言ってすぐにかすがに歩み寄り、自分のつけた傷を確かめる。一番目立つ傷にだけ布を巻き、とりあえずの処置とした。
それ以上の治療は本陣に戻らないことにはなんともならない。
『馬…では振動が響くな』
とはいえ歩きではやや遅い。ならばと腕を一振り、目の前にはいつかの巨大な鳥が現れた。大輔が好んで用いる移動手段でもある。
固まる謙信にかすがを抱えさせ、荷物のように巨鳥に乗せた。
『暴れるなよ』
「…!しかし…」
これほど得体の知れないものに乗せられて動じない方がおかしいだろう。戸惑うだけですんでいる謙信は比較的落ち着いていると言える。
『暴れなけりゃ大丈夫さ。落としゃしねえよ』
右手で自分の戟を掴み、空いた左手で大輔は後ろから謙信を越してかすがまでを抱え込む。
巨鳥は掛け声もなく浮き上がり空を一鼓。更に高度を上げてくるりと旋回して見せた。
『手は離すな』
そして本陣に向かい、巨体は線を引くように下降して行った。
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