桜の木の下で

花が咲き散ってゆくこと、風が頬を撫で髪を揺らすこと、月が闇夜を静かに照らすこと、雪が世界を真っ白に染めること。
それらを美しいと思う気持ちをどうか忘れないでいてね、というのが身体が弱かった母の口癖だった。
病室のベッドの上からいつも窓の外を眺めていた母。

四季を愛でること。
美しいものを素直に美しいと言えること。

母がどうして口癖のようにそれを何度も言い続けたのかは最早推測するしかできないけれど、山田真澄はそんな母の教えをしっかりと胸に刻みこんでいた。



だからかもしれない。
白い桜の花の絨毯の上に散らばる無数の赤黒い跡やその側に倒れる人、そしてその上にどっかりと座りこみ煙草を吹かす人物に対して思わず足をとめて注視してしまったのは。




「いや、流石に違うか」



あまりの出来事に思わず一人呟いてしまう。それ程今目の前に広がる光景は山田真澄にとってインパクトの大きいものだった。

赤黒くヌルリと光る血痕らしきものは所々に散らばり、桜の木の下ということもあってかその不気味さが数倍にも増されているように感じる。よく見れば倒れている人間は一人ではないようで、無雑作に重ねられ文字通り「人の山」を築き上げている。その上に片足を組んだ男が、明後日の方を向きながら悠然と腰掛けていた。親指と人差し指で煙草を摘まむ仕草が独特で、眉間に皺を寄せふうーっと下唇を突き出して紫煙を吐き出す姿はさながらどこぞのヤクザの兄ちゃんだ。




「おい、何見てやがる」



急に声がしてはっと我にかえる。初めてみる驚きの光景につい注目してしまっていたが、流石に堂々とすることではなかったようだ。ばっちりと視線があったその人物は眉間に皺を寄せゆっくりと立ち上がると煙草を地面に投げ捨てぐしゃりと踏み潰す。



「あ、ポイ捨て……」

「あん?」

「……イエ、ナンデモナイデス」



明らかに眉間の皺を深くした目の前の人物はどうやら相当不機嫌なようだ。




「てめぇ何か言ったか」



先程よりドスを効かせた声でそう尋ねられ、俺は思わず素直に「ポイ捨て」と言い返した。自分としては相手の問いに正直に答えただけのつもりだったのだが、相手はそうとはとってくれなかったらしい。一瞬ポカンとした目の前の人物は目を数回パチパチと瞬かせたあと一気に顔を真っ赤に染め上げ瞳をギラつかせた。瞬間ドスンと大きな鈍い音が響き近くの桜の木の幹はまるでサンドバッグかのように蹴り飛ばされる。その豪快な蹴りと額の青筋に山田真澄の足は思わず後退した。ひらひらと不規則に舞い落ちる大量の花びらの中、ずしずしと肩を怒らせて歩いてくるその姿は最早般若そのものだ。



「てめぇ、俺を馬鹿にしてんのか」




目の前に来たその人物は顔をずいっと寄せて目を鋭くさせる。少し長めの黒い髪をオールバックにして流しているその頭の上は桜の花びらで真っ白だ。

真っ赤な顔は明らかに憤怒で満ちているのに、真っ黒の髪の上には先程木を蹴り飛ばした時に大量に舞い落ちた桜の花びらで真っ白になっている。それがあまりにもアンバランスで、山田真澄は変に力が抜けてしまった。
ーーそもそも、何故ポイ捨てをした相手に自分は逆ギレされているのだろうか。怒られる側は、自分ではなく相手の方ではないか。そう思ったら急に相手の態度が理不尽なような気がしてきて、山田真澄は困ったように眉を寄せた。



「あの、馬鹿にはしてないです」



そう言って山田真澄はすうっと自分の右腕を伸ばすとそうっと相手の髪の上の花びらを払った。途端、視界いっぱいに花びらが広がる。



「桜の花びらいっぱい乗ってて可愛いですけど、喧嘩もポイ捨ても木を蹴るのも良いことじゃないです」





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