3
わけがわからずポカンとする真澄は保健室内の小さな丸椅子にひょこんと座らされていた。目の前では消毒液やら絆創膏やらを準備する猫目の男の人がぶつくさ言いながらも手際良く手を動かしている。
「えっと、」
「ちょっと黙ってな、あんた鼻血出てんだから」
そうなのだ。
自分は何時の間にか鼻血まで出していたらしい。そう言われてみれば鉄のような錆びたような味がしたようなしなかったような。あれ、でもずっこけた時顔面は打ったが血は出なかったような……あれ?
「……いつから鼻血垂れ流してたんだろう」
「あんた日本語通じないの?いいから下向いて黙ってなさいよ」
キッと猫目で睨みつけられ、俺は大人しく下を向く。ポタポタと垂れた血が白い体操着に落ちたのを何処か他人事のように見つめた。ーー血って、あんまりキレイじゃない。黒っぽく濁った赤が、まだ数回しか着ていない真っ白な体操着に染みてゆく。
「ちょっとーっ!」
いきなりぎゅむっと鼻を脱脂綿で摘ままれ息が止まった。
「っ、は、え?」
「下向いてろって確かに言ったけど、体操着に鼻血垂らせなんて言ってないわよっ」
「あ」
「あーもー染みになるととれないんだから!取り敢えずさっさと脱いで」
「え、」
相手の押しの強さにペースを奪われ言われるがままだった真澄だが、流石にこれはまずいのではないかと思った。普段なら全く気にする所ではないのだがーー先程のあの光景が鮮明にフラッシュバックする。思わず視線を逸らしたくなってしまうのをすんでのところで堪え、真澄は代わりにじーっと相手の瞳を見つめた。
困惑に揺れたーーなのに真っ直ぐと此方を見つめる真ん丸な瞳に春日流花は内心笑っていた。彼は先程の自分を見て困惑し、ビビっている。全く、失礼しちゃうわーっと他人事のように思った。こういう偏見は慣れっこだし、一般的に良く思われないことも長年の経験から学んでいる。ーーだけどそんなの俺の自由じゃない。
流花は自分の顔のパーツで一番気に入っている自慢の猫目を少し細めて鼻血をたらたら流している少年を見やった。痩せ型の貧相な体躯、小作りな顔のパーツ、そのくせ自己主張の強い眉、どれも全く好みではない。
「あのねぇ、俺にも好みとかあるわけ。男なら誰でもいいとかそんなわけないでしょ」
あんた自意識過剰よ、とデコピンをくらわせれば目の前の少年は瞳を真ん丸にしたかと思えばカーッと顔を真っ赤に染めた。その表情は怒りなどはなく、ただ羞恥のみを浮かべている。ーーあら、可愛い反応。流花はのんびりとそんなことを思った。大抵のヤツはここで逆ギレするか慌てたように言い訳するのに、目の前の少年は図星だったのか恥ずかしそうに目を伏せ唇をぎゅっと結んでいる。なーに、この子。こんな様子を見せられたらますますからかいたくなっちゃうじゃないね。
「俺はね、ガタイが良くてもっとギラギラしたのが好きなの。あんたは圏外よ」
「……」
俺の割と辛辣な言葉に、少年は眉を八の字にしながら此方を無言で見つめ返す。その瞳はまるで飼い主に叱られた小型犬のようで、ごめんなさいと無言で訴えているかのようだ。
ーーなによ、これじゃ俺が悪いみたいじゃない。
「べつに、怒ってないわよ。それと体操着のことは親切で言ってんの……分かったらさっさと脱ぎな」
こくんと一つうなづいた少年はいそいそと体操着を脱ごうとしたので流花は摘まんでいた脱脂綿を無理矢理彼の鼻の穴に押し込んだ。流石に上裸は寒いだろうとベッドの上から毛布を引っ張り出してそっと肩にかけてやる。少年はぺこりと頭をさげると親指と人差し指で摘まむように毛布の端を胸の前に手繰り寄せる。どうやら手の平も怪我しているらしい。
「あんた学年とクラスと名前は?利用者の記録取らないとなんだけど」
「一年機械科の山田ますみです」
「ますみってどんな字?」
「写真の真に、空気が澄むの澄で真澄です」
「へえ」
彼の体操着を水道の水にさらしながら聞けば、彼は予想していたよりはっきりと言葉を発した。
「良い名前じゃないの」
「はい」
嬉しそうに返事する少年ーー山田真澄に流花は少し気を良くしていた。素直で馬鹿っぽくていいじゃないの。うちの犬みたい、と流花は普段はキャンキャン煩いが従順な犬ーーもとい、幼馴染を思い出してくすりと笑う。
「体操着、ちゃんと血とれたよ」
「あ、ありがとうございます!」
「べつにいいわよ、次は手当て」
ぐいっと椅子から立たせて傷口を軽く水洗いして消毒する。染みるのか眉をぎゅっと寄せる彼に我慢しなと声をかければ、彼はまた八の字に眉尻を下げるものだから流花はまたしてもくすりと笑った。この子は感情表現がやたらと眉に現れるようだ。
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