名前は、目の前の見慣れない格好のまま微動だにしない男性を眺め、つまらなそうに瞳を細めた。
1時間程前までは、いつもはしない化粧を丁寧に施し、滅多に着る機会のない洋服に袖を通し、気分は上々・夢いっぱいだったはずだ。
そのわけは、部活が休みである本日、彼氏とゆっくり過ごす予定があったからである。
しかし、いざ彼の家に行ってみれば、ベッドに寝転がる彼は発売されたばかりの雑誌───月バスに夢中ではないか。
生粋のバスケバカであることは重々承知していたが、彼女をほったらかしとは酷い。
色々と緊張して気合いを入れてきた自分が馬鹿みたいだと、小さな溜め息を吐いた名前がちらりと横目で彼を窺うも、眼鏡の奥の真剣な眼差しは手元の雑誌に釘付けだった。
その姿もちょっとカッコいいと思ってしまうのは、惚れた弱みなのか。
まさかバスケに嫉妬するわけにもいかず、手持ち無沙汰な名前は床に座ったまま、彼の部屋の一角を陣取る古めかしい格好をした男性の人形たちへと視線を戻した。
授業である程度の知識があると言えど、正直、誰が誰だかさっぱり分からない。
だが確実なのは、重苦しい鎧を着込んだこのフィギュアたちは、どれもこれも丁寧に扱われており何故かキラキラと輝いて見えるということだった。
全く興味はないし、誰かさっぱり分からない───が、カッコいい。
しかも、顔が今風に美化されているということもあってか、揃いも揃ってイケメンだ。
「順平、私この人がいい」
「───は?」
疑問符と共に、ついさっきまで下を向いていた双眸が不思議そうに見開かれる。
何を言い出すんだと言わんばかりに、日向は片眉を上げた。
「これ」
名前は名前で、駄目押しと言わんばかりに1つの甲冑人形を指差す。
歴史に詳しい日向からはすぐにその人物の名前が返ってきたが、彼女の聞き覚えのある名前ではなかった。
時代が違うせいか、長ったらしくて覚えられそうにもない名前である。
「オマエ、こーゆーの興味ないだろ?」
「うん。全然分かんないけど、この中ならこの人がいい。イケメンだし賢そう」
ふーん、と言いながら、日向は手元の雑誌を閉じると、のそのそと名前の隣に腰を下ろした。
彼の好きなものの話題であるはずなのに、どこかテンションが低いようである。
「………こーゆー奴がタイプ?」
「え、まあ、うん。イケメンで賢かったらポイント高いよね」
「………サカイとか?」
「サカイって…サッカー部の?」
名前が思い当たる"サカイ"───坂井は、同じクラスで学級委員でサッカー部の主将でしかもエースという、皆の憧れの人物だった。
顔立ちも整っているし、成績も両手で数えられる程の順位である彼は、確かにイケメンで賢く、ポイントは高い。
───だが。
「坂井くんはイケメンだし頭もいいけど…違うの」
「…?」
「バスケバカで、ちょっと二重人格っぽくて、頼りがいあって、その…………」
彼女の胸を甘く締め付けるのは、学年の人気者、理想の人物ではなくて───
「…………やっぱ言わない」
「名前」
ふいとそっぽを向いてしまった名前だったが、呼ばれた名にすぐに振り向きたい衝動にかられながらも動けずにいる。
理由は単純明快、自分でもはっきりと分かる程、頬に熱が集まっていたからだ。
「名前」
グイと腕を掴まれ、名前の体が傾いた。
そして次の瞬間には、温かい腕の中に囲われている。
「もーまじ何なのオマエ。殺す気か」
「それ、こっちのセリフだし。バカ」
鍛えられた胸板に擦り寄り強く脈打つ鼓動を聴きながら、名前は赤い顔のまま唇を尖らせた。
ぎくしゃくとどこか擦れ違ってはいるようだが、高鳴る鼓動はやけに正直である。
「名前」
「…なに」
「顔上げろ」
「…やだ」
「顔上げろ」
「やだ」
「何で」
「恥ずかしい」
全てを隠すように日向に貼りついたままの名前だったが、それが更に彼の中のスイッチを押すこととなったらしい。
「知らん。無理。焦らすな。待てん」
温もりから無理矢理剥がされ転回させられた名前の視界には、見慣れない部屋の天井と、鋭い光を見せる双眸。
固い床が自分の熱で溶けていくような錯覚に、さっきからけたたましく鳴り響いている胸がそろそろはちきれそうだった。
「じゅ、順平…?」
「心配させんな。緊張させんな。ダァホ」
「意味分かんな…」
抗議の声は、試合のときとはまた別の意味でいい具合に集中してしまっている彼の唇に飲み込まれてしまう。
容赦ない口付けに身も心も蕩けていく中、名前が日向の首に腕を回せば、2人の間の眼鏡がかしゃんと音を立てた。
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