まだ授業が始まる前のゆったりとした時間、遥が教室に足を踏み入れると、そこにはちょうどクラスメイトでチームメイトな伊月俊がいた。

彼の席は一番廊下側の最前列なのだ。


「おはよ、遥。風邪?」

「あ、俊…」


小さく挨拶を返し、市販のマスクで顔半分を隠している遥は頷いた。

昨晩から喉が痛み始め咳も酷いためにマスク着用なのだが、それはもう見るからに病人という姿である。


「そうみたい。今日の部活は休むね。移しちゃいけないし」


今はまだ喉の痛みと咳だけではあるが、これからどうなるか分からないし、何より練習に打ち込む部員たちに移してしまってはマネージャーとして顔向けが出来ない。

マスクを外さず授業に参加すると決めたものの、部活は欠席が無難だろう。


「無理しない方がいいと思うけど」


そう言いながら伊月は遥の額へと腕を伸ばした。

優しく髪を避けた後に、今度は彼の整った顔が近付いてくる。


「………」


思わず目を瞑った遥の額と伊月の額がぶつかった。

ゆっくりと混ざり合う体温に大した差はなさそうである。


「熱はなさそう?」

「うん、今のところは。喉にきてるみたいだから…っ」


突如込み上げてきた感覚に、遥は慌てて目の前にある伊月の体を両腕で突き放した。

大きく息を吸い込めば、乾いた喉をひりひりさせながら咳き込み始める。

腹に鈍痛を感じる程回数を重ねても、後から後から押し寄せるそれは治まってくれそうにない。

マスクの上に更に両手を添え、身を縮こませた遥はとにかく耐えるしかなかった。


「こりゃ酷いな…」


難しそうな色を滲ませる伊月の声が、頭上から降ってくる。

そして同時に、遥は離れたはずの彼の温かい腕の中に招かれた。

彼の胸元に顔を埋めたまま背中を上から下へと優しく撫で下ろされると、次第に咳は治まっていく。

引き攣る喉の痛みに涙目になりながら遥が顔を上げれば、心配げな様子の伊月の瞳と搗ち合った。


「落ち着いた?」

「……うん、ありがとう」


とりあえず峠は越えたらしい。

彼から身を離し、鞄から水筒を取り出すと遥は喉を潤し始めた。

その度、喉に痛みが走る。

おそらくそこは、真っ赤に腫れ上がってしまっていることだろう。


「さっきも言ったけど、無理するなよマジで」

「してないし、しないよ」


甘やかすように言う伊月に頭を撫でられながら、遥はマスクを装着し直した。

今日はもうこれを手放せない。


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