静かに歩みを進め、伊月は机に突っ伏している見覚えのある頭を愛おしげに撫でた。

流れた髪が、組んだ腕から覗いていた寝顔を隠す。

勿体ないような気がして、彼はその髪を優しく払った。

閉じられた瞼はぴくりともしない。

本当に呼吸をしているのか疑う程、遥は動かなかった。


「………遥」


返事はない。

ここ連日のいつもよりハードな練習のせいで、部員たちの疲労はピークだった。

伊月も例外ではなく、帰宅したら食事もそこそこに眠ってしまう程である。

そんな彼らを傍で見ていた遥は、自分は体を動かしていないから元気だと、1人最後の片付けや施錠を買って出ていた。

出来るだけ早く来てすぐに練習出来るように準備をし、部活中は部員たちと同じように集中し続け、そして全てを請け負って誰よりも遅く帰宅する。

部員たちも遠慮はしたのだが、彼女からすれば自分が出来ることを行っているだけの話であり、むしろ皆の役に立てていると喜んでいる様子だったのだ。

しかしそんなサイクルを続けていて、心身共に疲労が蓄積されないはずがない。


「甘えすぎだよな、オレら」


お人好しとでも言えばいいのか、遥の気遣いはたまに自身を滅ぼすことがある。

伊月は躊躇いなく、僅かに見える彼女の瞼へと口付けを落とした。

優しく触れた唇が離れても、遥は静かに眠ったままだ。


「……遥」


映ったものを離さないぐらいまっすぐな双眸は、未だ開かれない。

どこか焦れったさを感じ、伊月は静かに彼女の肩を揺すった。


「遥、起きて」

「………俊…?」


小さく呻き、傍らの伊月を焦点が合っていない瞳で見つめる遥。

その瞳に密かに胸を撫で下ろしつつ、伊月は出来るだけ驚かせないよう尽くそうとしたが、それより彼女が覚醒する方が早かった。


「あ─────!!!!」


大きく目を見開いた遥は立ち上がり、縋り付くように伊月へ詰め寄る。

その拍子に、下敷きになっていたらしいノートが机から滑り落ちた。


「え、待って今何時?部活終わっちゃった?どうしよう、1分だけのつもりだったのに…!」


ノートを持って帰るのを忘れていたことに気付き取りに来たものの、頭痛を伴う眠気に耐えきれず1分だけ休むつもりだった───と、伊月のシャツを掴んで弁明する遥は、すっかり動転してしまっている。

伊月は慌てふためく彼女に面食らうも、笑いながら痕が残るその頬を撫でた。


「この痕見たら丸分かりだし、怒られるだろうな」


───違う意味で。

ノートのせいでついた痕は、眠っていたという何よりの証拠。

だが、遥が真面目すぎる人間だということを部員たちは理解している。

怒る者はいても、咎める者はいないはずだ。

自分の失敗に涙目になっている遥を慰めるように、伊月は再度その震える瞼に唇を寄せる。


「ほら、泣くなって。大丈夫だから」

「……!」


反動で涙が引っ込んだ彼女の腕を引き、ノートを忘れず拾い上げた伊月はのんびりとした足取りで教室を後にした。




Aufs geschlosne Aug' die Sehnsucht


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