「リコの家だから、もし何かあってもすぐどうにか出来るけど、無理はしないでね」
「………はい」
少しは回復したのか、黒子は答えながら顔を上げた。
やや血色が悪いように見える頬を、新たな雫が伝っていく。
遥は手を伸ばしてその雫を拭った。
「寒くない?パーカー着る?」
「……いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
自身のパーカーのファスナーに手をかけた遥を、黒子は礼と共にやんわりと制する。
「ギャ───!!!」
ちょうどそのとき、遠くから部員たちの悲鳴が聞こえてきた。
この場所からは死角になって見えないが、おそらく今プールは大変なことになっているのだろう。
「………………………」
遥と黒子は言葉を失ったまま、見えないそこへと首を巡らした。
せっかく戻りかけていた黒子の顔色が、悪い方へ逆戻りしていく。
「もう少し休んでよっか」
黒子は大人しく頷いた。
「あ、そうだ」
何か閃いた様子で、遥は手にしたままだったタオルを弄り始める。
いくつかの過程を経て、手中のタオルは別の物へと変化した。
元来の無邪気さと遥なりの気遣いが重なって出来たそれを、黒子の頭へと翳す。
「猫耳テツヤの出来上がり」
気を逸らすために作られたタオルの耳を頭に、黒子は目を瞬かせた。
ずっと手で支え続けなくてはならない即席の耳が、なかなか似合っている。
「似合ってるよ。さつきが見たら騒ぎそう」
思ったより可愛く仕上がったと、遥は嬉しそうだ。
優しい色をした瞳と唇が、満足げに弓形を描いた。
すぐ近くで動く温かそうなそれに引き寄せられるように、ざわつく胸を抑えながら、黒子は重心を移動させる。
「テツ…っ」
冷たいその感触に、今度は遥が目を瞬かせた。
柔らかく触れ合った唇から、熱が奪われていく。
「すいません。……………つい」
「つい…?」
取り繕って"つい"で済ましてしまっているが、黒子自身、自分の行動に困惑しているようだった。
「こんなつもりじゃなくて………」
続けながら、冷えた手で遥の腕をさり気なく押し返すと、タオルの耳が彼女の頭へと辿り着く。
「……これ、遥先輩の方が似合います。可愛いです、凄く」
黒子のまっすぐな瞳には、驚いた表情の遥だけが映り込んでいた。
そしてトドメの一言。
「持って帰りたいくらいに」
彼が冗談を言うような人物ではないことを、ここ何年かの付き合いで理解している遥の体温が、目眩く速さで上昇していく。
そんな先輩の隣で、すっかり調子を取り戻したらしい黒子は穏やかに微笑んだ。
Sel'ge Liebe auf den Mund
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