「……遥」
突如真後ろで発せられる自分の名前。
「!?」
大袈裟な程に肩を跳ねさせた遥が振り返る前に、逞しい腕が体に絡み付いた。
火を使っているせいもあり、目を白黒させるしか出来ないでいる遥を背後から抱き締め、木吉はぐずるように低い位置にある耳元へと顔を寄せる。
「遥」
「…どうしたの?危ないよ?」
「いや、遥だ、って思って」
当然と言えば当然のセリフに、遥は小さく笑みを零した。
「鉄平が呼んだのにね」
「……マジで?」
「え?」
想定外の疑問で返された遥が首を反らせ見上げる先には、どうやら本当に思い当たる節がないらしい木吉の姿。
昨夜のメールは間違いなく木吉から送信されていたものだったし、それを見たからこそ遥は今此処に居るのである。
「もう遅かったし、メール送るか迷ってやめたつもりだったんだ」
「あ、そうだったんだ…。何かの拍子に、送信ボタン押されちゃったのかもね」
「すまん。でも…ありがとう」
嬉しそうに目尻を下げ、木吉は遥へ擦りよった。
身長差から辛い体勢なはずだが、彼はそんなことをお構いなしに身を屈め彼女へ顔を寄せる。
木吉にすっぽり覆われ満足に身動き出来ない遥は、擽ったさに身を捩った。
「鉄平擽ったい」
「んー」
「んー、じゃなくて」
「遥が居るのが嬉しくてな」
と、木吉は慣れた手付きで遥の腹辺りの高さにあるコンロを操作し、火を消す。
そして2人が戯れていた間も熱を加えられ続けていた土鍋の蓋を開けてみれば、温かそうな湯気と食欲をそそる香りが立ち上った。
いつの間にか、いい具合に煮立っていたようだ。
「お、これは美味いな」
「まだ食べてないのに…」
「遥の作る飯は美味いよ。ばあちゃんも筋がいいって褒めてたし。だから、もし美味くなかったとしても美味い」
意味が分からない───と言いかけて、遥は思いとどまった。
遥の知る木吉鉄平は、とても心優しい人物だ。
そのため、共通の友人が料理をしたときもそうだったように、今もフォローしてくれるに違いない。
特に今回は、誤送信とは言え彼に呼ばれて作ったのだから、尚更だろう。
「…料理勉強しようかな。花嫁修行にもなるし」
「ばあちゃん喜ぶぞ」
「?…うん、そうだね」
密かに噛み合っていない2人を叱咤するように、雑炊はぐつぐつと煮え立っていた。
END
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