静かな通りを少し行くと、街頭の下にやけに高い影があるのが見えてきた。
近付けば近付く程見覚えのある姿に、遥の唇から掠れた声が零れる。
「……真太郎」
「七瀬先輩」
大きな体を屈めて、目の前の自販機から飲み物を取り出したらしい緑間は、一瞬目を瞠っただけですぐにいつもの表情へと戻ってしまった。
仏頂面、とまではいかないが、その端正な顔立ちは何を考えているのか読み取らせてくれるつもりはないらしい。
「それ、おしるこ?」
「はい」
「真太郎は絶対それだもんね」
緑間愛飲のおしるこが売っている自販機とはなかなかのものではないかと、遥は1人感心していたのだが、その間にかつての後輩は鋭く周囲に目を光らせていたようだ。
「珍しいですね。こんな時間に貴女1人なんて」
「そう?」
「誰かの自主練の付き添いであれば分かりますが」
遥は否定を示して頭を振った。
さらさらと揺れる髪から、仄かに潮の香りが漂っている気がする。
今頃海辺では、向上心でいっぱいの部員たちが走り込みをしているかもしれない。
そう思うと、遥は何とも言えない胸騒ぎに苛まれた。
「……先輩?」
「ちょっと外の空気吸いたくなっただけなの。誰かを誘う気分でもなかったし」
「それはインターハイが黄瀬対青峰だからですか」
「……!」
固く冷たい風が駆け抜ける。
それはけして現実のものではなかったが、貫いた芯からどんどん広がっていった。
「貴女は昔から、何かとあの2人を気にかけていたのだよ。まぁ、手が掛かるせいだろうが」
「可愛い後輩ですから」
「……それだけではない、と」
変わり者だが賢い後輩は、1ページ1ページ丁寧に本を捲るかの如く切り開いていく。
しかし核心部を抉り出すつもりを見せないのが、緑間自身の優しさを表しているようだった。
「色々考えちゃうお年頃なんだよ」
そっと目を伏せれば、思い浮かぶのはかつての後輩と───どうにも出来ない愚かな自分。
「オレはもう貴女の仲間ではないし、後輩ではない」
「今は敵だけど、学校は違うけど、真太郎は私の後輩だよ」
緑間は小さく溜め息を吐くと、利き手で眼鏡のブリッジを押し上げる。
「……貴女がそう言うなら、オレはいつまでも貴女の後輩でありたいと思う。おそらくそれは、アイツ達も変わらないのだよ」
「真太郎…」
遥はカーディガンの袖を強く握り締めた。
「何を思い悩んでいるのかオレには分からない。…………が、貴女の後輩として、今なら胸ぐらいは貸すのだよ」
弾かれたように顔を上げると、月明かりから逃げるように顔を逸らせた緑間が視界に入る。
不思議なところはあれど、やはり緑間は遥にとって紛れもなく大事な後輩だった。
「…じゃあ、お言葉に甘えてお借りします」
喜びを隠せぬまま頬を緩めて距離を縮めると、躊躇いがちに大きな手が背中に添えられる。
何故か暑さは気にならない。
縋るようにその優しさに包まれながら、遥は少しの間目を瞑っていた。
明日からまた、七瀬遥としていられるように。
END
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