ちくり、と小さな針が遥の胸に刺さった。
それは縫い針よりも小さく細い針だったが、確実に的確にそこを抉る。
「…どないしたん?本に酔うた?」
「あ、いえ…大丈夫です。少し寂しいなって思っただけなんで」
出会いがあれば別れもある。
勝利があれば敗北もある。
遥が言わんとしたことを、彼は瞬時に察したらしい。
「あー…自分とこは先輩おらんもんな」
どこか甘やかすように、遥の頭を数度優しく叩きながら今吉は言った。
「あれやったら別に桐皇来てくれてええんやで。若松も青峰もちょっとは大人しなるやろ。桜井と桃井は知らんけど」
「諏佐さんは歓迎してくれるでしょうか…」
「アイツは常識人やからな。大喜びして小躍りでもするんちゃう?」
その姿を想像してしまい、遥は小さく笑い声を漏らした。
本当に数える程しか会話したことがないが、諏佐が小躍りするような人物でないことは容易に想像がつく。
もしかしなくとも遥を気遣った今吉のジョークだろうが、これが現実となればなかなか滑稽なことになりそうだ。
「あんま喋っとったら司書が来るかもしやんし…移動しよか。向こう席空いとったやろ」
「え、でも…」
優しく背を押され促された遥だったが、二つ返事で頷くことは出来なかった。
自分はまだ国語担当教師による捻くれた宿題のためというだけだからいいものの、今吉は今後の人生を左右する受験勉強のためにこの場にいるのである。
「そら勉強もするけど…親睦深めんのも大事やで。こんなチャンス滅多にないやろしな」
一瞬、今吉の双眸がスッと鋭く開かれた。
それはすぐにいつもの穏やかな弧を描いたが、2人を取り囲む幾数もの書物たちに口があったなら、けたたましく警告を発していたであろう。
一癖も二癖もある彼が、様々な意味で利益を得ることが出来る"今"を逃すはずがない。
「それとも…やっぱ1人でゆっくりする方が良かった?」
「そういうわけじゃ…」
眉を下げた先輩に悲しげに問われ、否と言い切ることが出来る後輩はいるだろうか。
遥は居たたまれなさに、慌てて首を左右へと振ってみせた。
「ほな行こか」
にっこり、と音が聞こえそうな程朗らかに微笑まれてしまえば、残された道はもう肯定しかない。
彼を前に微弱な否定も反抗も出来るはずがなく、あれよあれよといううちにすっかりペースを握られてしまう。
「───かわえぇなぁ、ホンマ」
そんな中、低く小さく発せられた彼の声を聞いていたのは、取り残された本だけだった。
逃すことなかれ
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