零さんが家に来た。
安室さんではなくスーツ姿の零さんが、だ。

何の約束もなく訪れたことを詫びる彼をリビングへ通し、とりあえずお茶を出した。
時刻はもうすぐ日付が変わろうとする頃なので、コーヒーや紅茶は控える方がいいと思っての判断である。


「すみません、突然お邪魔して」
「いえ、それは問題ないですが…何かありましたか?」


事前に連絡も寄越さず、世間的に非常識と言われても仕方のない時間に訪ねてきたのだ。
何かないはずがない。

零さんはスッと目を伏せると、珍しく言い淀んだ。
手の中のスマホに指を滑らせているように見えるけど、頭の回転が速く、話術に長けた彼にしてはやけに煮え切らない態度である。


「零さん?」
「…奴ら組織の人間が、貴女を生け捕りにしようとしているのは知っての通りです」


飛び出した核心を突く名称に、自然と肩が強張る。
トリプルフェイスを使い分け、組織の一員として暗躍する彼の持つ情報の信憑性は高い。


「今のところ組織内で大きな声は上がっていないので、万事上手くいっているようですが…時々気が気でなくなる時があるんです」
「それは…その、私を心配して下さった、と」
「この状況なら何もないと分かってはいるのですが…情けない話ですね」


彼は多忙な人だが、与えられた任務を妥協したりする人でもないと私もよく知っている。
だからこうやって、常に気にかけて、何かある前に様子も見にきてくれるんだろう。


「まぁ部屋に異常もないみたいですし、もういい時間ですから今日はこれぐらいでお暇します」
「…え?」


この一瞬で室内を調べられていたなんて。
きょとんと馬鹿丸出しな私が面白かったのか、零さんは控えめにくすりと笑った。


「勝手知ったる…でして。勿論僕なりに名前さんのプライバシーは守っているつもりです」


そう言いながら、手に持ったスマホを揺らす。
このご時世らしいと言うか、室内に何か取り付けられていないかとかそういった物を調べていたのだろう。
多分、だけど。
私は現場を飛び回る捜査官ではないし、その類に長けた技術部や対策部でもない。

腰を上げた彼を玄関まで見送る。
私より背も高く、細身ながら鍛え上げられたこの体が沢山の物を背負っているのかと思うと、後ろ姿が何だかとても大きく見えた。


「本当はこのまま一晩共にいたいところですが、まだ僕にその権利はないので」


靴を履き、玄関を少し開けたところで零さんが振り返る。


「せめて夢の中だけは貴女の傍にいさせて下さい」


近付いてくるそれは端正な顔立ちと唇に淡い熱を感じた次の瞬間、彼は扉の先へと消えていった。

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