会場はもちろん、中継でそれを目の当たりにした視聴者も大混乱な喧騒をBGMに、キッドは悠々とした足取りを緩めることなく腕の中で眠っている名前を覗き込んだ。
薬を嗅がせて眠らせたが、そんなに強くはないのでもうじきに目を覚ますはずだ。
彼女は自分を見てどういう反応を返すだろうか───揶揄でくるまれた口説き文句を実現させる気はない。

漸く歩みを止めた先、裏から回らなければ入ることが出来ない2階脇にある音響室から、観客達を眺めることが出来る。
しかし彼ら彼女らの視線が、この場所に向けられることはない。
こぢんまりとした此処が全面リニューアルの際に設計図面から削除された、本当なら『存在しない部屋』だからだ。


「さて、説明してもらおうかしら?怪盗さん」


ぽつんと残されたソファーに降ろされた途端、銃を模した指先を突きつけながら名前が口を開く。
タイミングギリギリだと内心冷や汗をかいたキッドだったが、それが面に出ることはない。
寧ろ、初めて会ったあの時のオマージュなのだと察し、楽しげに笑みを浮かべたぐらいだった。


「捕らわれの姫に想いを伝えたかっただけですよ」
「冗談を言っている暇はないと思うけど?小さな名探偵の怖さ、知ってるよね?」
「ええ、勿論。ですが私は嘘はついていません」


突きつけられた名前の手を取り甲にキスをすると、キッドは彼女が体を起こすのを手伝った。
名前は一見ただの民間人だが、この状況での肝の据わり具合や頭の回転の速さがけして『普通』ではないと告げている。

最初は綺麗な人だと思った。
同時に不思議な人だとも思った。
世間から注目される自分に興味や関心を抱いていなかったから。
日本では所持しているだけで犯罪になる本物の拳銃を持っていながら、使いどころは自分の理解を遥かに超えた世界の面々。
いつからか、いくつも年上だからこそ足を踏み入れることが出来ない関係を羨ましいと思っていた。
その一方で、自分と同じ感覚で接することが出来る幼さも残っていると知った。
何の変哲もない音楽を嗜む成人女性ではなく、何か大きなものを背負い戦う大人だと気付いた。


「私は私として、貴女の味方でいたいと思っているんです」
「味方?」


いくら設計図面に存在しない部屋だといっても、扉はあるし、キッドとはライバルでもある小さな名探偵なら、空間の穴を容易く見つけ出してしまうだろう。
逢い引きの時間は長くはないと分かっていても、探り探られの駆け引きが出来ると示したかったのだ。

対する名前は、頭上にクエスチョンマークが見えそうな程訝しげに彼の真意を見抜こうとしていたが、さすが日本警察を手玉に取る怪盗とでも言えばいいのか、一歩を踏み出せずにいた。
出会い頭にミスをしたのは間違いなく彼女だが、それ以来何かと気にかけられている自覚はあったし、彼と何度も対峙しているコナンや沖矢からも何かあると思われている。
確かに『何か』はあった。
だが同時に『何もない』のである。
いくら自問自答しようが答えは出ない。


「怪盗である私に出来る事は少ないと理解しています。ですが貴女を阻む物を断ち切る手伝いが出来るなら、いつでも力になりますよ」
「何を言って……」
「私の本心です…信じていただけませんか?」


名前の瞳には困惑がありありと浮かんでいる。
常に人を観察し、その才に長けたキッドがそれに気付かぬはずがない。
こういう言い方をすれば、常識人で子供好きな彼女に選択肢なんてなくなるし、まるでオセロの如く誘導した方が勝つしかなくなるのだ。


「私は怪盗キッド。ただのしがない怪盗です。今日此処で出会したのも何かの縁…差し支えなければ貴女のお名前をお聞かせいただけませんか?」


白を翻して頭を垂れ、あの時と同じ台詞を紡ぐ。
漣のように共鳴するこれを、返し返されるのも悪くはない。
運命なんてチープな言葉に何の魅力もないのだから。


「…怪盗の手を借りるまでもないわ。私はしがないバイオリン奏者だからね」


繋がれたままの手を振り解くと、名前はゆっくりと立ち上がり背を向けた。


「でもまぁ…何かあったら頼りにさせてもらおうかな」


それが本心でないと分かっている。
だからこそキッドは勢い良く名前の腕を後ろから引くと、軽々と横抱きにして駆け出した。


「ちょっと、キッド…!」
「すみません…次は働き者の彼らに仕事をさせてあげないといけないので」
「仕事?」


そのまま窓を開け放ち外へ飛び出せば、彼の背から白い翼が飛び出す。
宙を悠々と飛び回るその姿に、あちこちに散っていた日本警察が騒ぎ出した。
次郎吉や園子の声も飛び交っている。


「エスコートぐらいさせていただけますよね?」
「どちらかと言えば、エスケープだと思うけど…」
「それはそれで、私としては好都合ですよ」


一方、有言実行で『夜のデート』中の2人を博士お手製のメガネを使って追っていたコナンは、訝しげに独り言ちた。


「あの2人、どんな関係だって言うんだよ…」


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