警視庁一帯は異常なまでに静まり返っていた。
停電とカプセル落下のために近隣住人も輸送済みなので、零さんの言った通り残っているのはほんの一部の公安警察だけらしい。
おかげで、規制線が張られていようが空いた道を車で移動出来たので時間短縮にはなった。
勿論、最短最適コースを選び走り抜けてくれた赤井さんのドライブテクのおかげでもある。
そんな彼を車に残したまま、車が停止するや否や、私は一目散に警視庁正面入口まで向かった。


「風見さん!」
「斎藤さん…!?何故此処に!?」


入口前で書面を広げながら部下に慌ただしく指示を飛ばしていた風見さんは、私の顔を見ると案の定それは動揺いっぱいで駆け寄ってくる。
零さんや諸々の関係者から圧力がかかっているのかと思うと申し訳ない。
そんな彼の腕を引いてしゃがむよう促せば、彼は戸惑いながらも大人しく耳を寄せてくれた。


「今回私は零さんの『協力者』です───現在の状況を可能な範囲で教えて下さい」
「…!」


やはり何も聞かされていなかったらしく一瞬躊躇いを見せたが、風見さんは周囲を見渡してから口を開いてくれる。


「犯人により、はくちょうのカプセル落下地点が警視庁に書き換えられたのはご存知ですか?」
「はい」
「それを降谷さんが爆弾を使って太平洋に逸らそうとしたのですが、その反動で開かなかったはずのパラシュートが開いてしまったこともあり、3万人が避難しているエッジ・オブ・オーシャンのカジノタワーに軌道が逸れてしまいました……………失礼」


スマホに着信が入ったらしく、彼は一言断ってから通話ボタンをタップし背を向けた。
今の話から察するに、私がマンションで見たあの低空での爆発は、警視庁から太平洋へ軌道を逸らすためのもの。
じゃあ零さんは、続いてカジノタワーへの落下を阻止するために、エッジ・オブ・オーシャンに向かったはず。
でも警視庁上空でもうあの高度だ。
カジノタワーに逸れたと分かってから動いて、間に合うの───?


「斎藤さん、カプセルは無事東京湾に着水したと降谷さんから連絡がありました。カジノタワーには掠っただけで人的被害はないそうです」
「良かった…!」


最悪の事態をこの状況で回避するとは、さすがとしか言えない。
風見さんも無事終息を迎えることが出来たからだろうか、何だか嬉しそうだ。

埋め立て地の方を見ても、此処からは静まり返った街並みしか見えない。
今は人がいなくなったただ暗く冷たいだけの酷く殺風景な空間だが、明日にでもいつもの街に戻るだろう。
彼らが命懸けで守った、いつもの街に。


「降谷さんは今から此方に戻ってきます。応接室を使えるようにしておきますので、そちらにいて下さい」
「え、そんな…」
「これからまたこの膨大な処理に追われる事になるんです…あの人も、精神的な意味での『協力者』でもある貴女に会っておく方がいい」


自分も走り回らなければならないだろうに、私を親切にも応接室に案内してくれてから彼は自分の仕事へと戻っていった。
とても真面目で、零さんを理解しようとしてくれる優秀な部下だと思う。
「拒否するかもしれませんが、念のため預けておきます」と何故か救急箱を手渡されたのが気になるところだけど、きっとと言うか絶対零さんが怪我でもして帰ってくるのだろう。








電気が未だ復旧していない中、重厚なソファーに腰掛け、傷1つない立派なローテーブルの上に置かれた救急箱を眺めて、どれだけ時間が経っただろうか。
壁に沿って立ち並ぶ棚の中を見て回るわけにもいかず、弾力のありすぎるソファーに身を預け、かなりの時間を持て余したはずだ。
そして漸く開かれた扉の先で、彼はそれは大きく目を見開いた。
と同時に、私もある一点に釘付けになる。


「何で絵里衣さんが…!?」
「そんなに怪我してるなんて聞いてませんけど…!?」


左腕を右手で押さえているということは、支えが必要な程度では負傷しているということ。
顔も怪我しているようだし、また爆発にでも巻き込まれたのかと思うぐらいだ。
私がいることに驚いている彼を無視して無理矢理ソファーに座らせれば、変に腕を動かしてしまったのか小さく声を漏らした。
右手で隠れていたジャケットが、この月明かりでも血に濡れているのが分かる。
これは本当に、思ったより重傷かもしれない。


「ジャケット脱げますか?それとも脱がせましょうか?」
「…自分で脱ぎます。何だかいけない事をしている気になってしまうので」


痛みを堪えながらだろう、ゆっくりと汚れてしまったジャケットを脱ぎ捨て、中のセーターとインナーにも手をかける。
どうやら切り傷のようだ。
それを横目にトイレまで走ってハンカチを濡らし、救急箱からは消毒液や包帯など使えそうなものを手当たり次第取り出した。
諸々の後始末でどうせ動き回るだろうから、病院に行くまで保ってくれればいい。


「………っ」
「痛いですよね」
「ええ、まあ…ですが我慢出来ない程ではありません」


出来るだけ優しく患部を拭うが、相当痛いのか零さんは時折眉根を寄せる。
熱を持っているようだし、ざっくりと切れているから貧血気味かもしれない。
風見さんの言い方だとこの応急処置が拒否される可能性があったみたいだけど、大人しく手当てさせてくれて良かった。


「何故絵里衣さんが此処にいるのか、聞かせてもらえますか」
「警視庁上空での妙な爆発を見て、いてもたってもいられなくなったというのが1つ。そしてもう1つは、今回私は貴方の協力者で───監視役だったからです」
「監視役?」


洗浄と消毒が終わり、次は簡単にテーピング。
出血は落ち着きだしてはいるが、ガーゼを当てた上で最後に包帯だ。
これを可動しやすくかつ取れにくく巻かなければいけないわけだけど、正直彼自身にやってもらう方が綺麗に出来る気がする。
多忙すぎで頭の回転が速すぎる彼は、それに加えて何でも出来るそれは器用な人なのだ。


「父からのメールの文面の最後、覚えていらっしゃいますか?」
「確か『他国の警察機関として取り引きに使うことが出来るし、監視も出来て私としても都合がいい』と書いて───まさか」
「ええ、その『監視』の対象が貴方だったんですよ、零さん」
「成程…謀られたのはこっちだったという事か」


あの父からのメールは一見、必要あれば私を利用しろという内容に思われる。
親が日本警察で日本に情もある一方で、今回のサミット参加国・アメリカの警察でもある私なら、日本での違法捜査を逆手に取って持っている情報を横流しさせることだって出来るはず。
国際テロの懸念もある段階で、十分利用価値のある人材だった。
例の組織との関係もあり、父から直々に私のことを任されている零さんなら、私を巻き込むことで監視下にも置けるのだから、日本のためにも使わない手はない。
だからこそ父は、目に見えるかたちでこの指示を出し、それを受け入れた零さんは私に証拠として見せたのだ。
だが私があのメールを見た時、先に私に話を通してほしいと思うと同時に違和感も覚えた。
『監視も出来て私としても都合がいい』───『私』の監視なら今に始まったことではないし、この事件絡みなら尚更。
ならば『私の監視』ではなく、『私が零さん達を監視』することで、この事件の海外への影響を最小限にしようという企みがあったのではないか。
兎にも角にもあの文面は、最初から零さんが私に見せることを前提としたものとしか思えなかったのだ。


「腕、動かしにくいとか何かありますか?」
「大丈夫です。ありがとうございます」


左腕を前後左右に動かしながら、零さんは僅かに痛みに顔を顰めている。
筋や腱は大丈夫だろうか。
最悪縫わないといけないと思うけど、彼にそんな時間はない気がする。


「あ、そうだ服…血塗れですけどまた同じの着てもらうか、とりあえず今は私の上着ぐらいしかないんですけど」


手当てのためではあるけれど、彼は今上半身裸だ。
普段から背が高くスタイルもよく見えるが、鍛え上げられた体には綺麗に筋肉が張っていて、腹筋の凹凸もしっかり見て取れる。
まさに無駄がない肉体とはこのことを言うのだろう。
見ようと思わなくても見えてしまうし、非常に目に毒だ。


「大丈夫ですよ。こうしていれば暖かいので」
「……っ!」


勢い良く腕を引かれ、彼をソファーに押し倒すかたちで倒れ込む。
慌てて体を起こそうとするも、腰に腕を回されて逃げられない。


「零さん…!」
「すみません。さすがに今回の件は疲れました」


身を捩るも彼は擽ったそうに笑うだけだ。
こんなに近くで裏のない笑い声を聞くことになるなんて、恥ずかしいからやめてほしい。
その合間に苦しそうな呼吸も混ざるから、やっぱり痛いんだろうし、私をからかっている暇なんてないはずなのに。
そんな私の心配はそっちのけで、彼はクスクスと笑いながらそれは楽しそうである。

こうやって端整な顔立ちを見下ろすことなんてないので、何だか不思議な感覚だ。
露になった上半身は、私が倒れ込もうがビクともしない。
しかし褐色の肌に巻かれた真新しい包帯の白が眩しくて、見ていると居たたまれなくなってくる。

そんな私の心情に気付いたのか、彼の視線が自身の左腕に向けられた。
その頬に明るい色の髪がかかる。


「この通り、僕は怪我人でして…あまり動かれると怪我に障るので、じっとしていて下さい」
「そんな言い方狡いです」
「狡くていいですよ。貴女をこの腕に抱いていられるのなら」


疲労の色を滲ませる双眸が、ふっと柔らかくなった。
私を抱えていることも物ともせず、易々と上半身を起こした彼にされるがまま、後頭部に手が添えられ、


「ん……」


唇が重ねられる。
ほんの数秒、優しく触れるだけの口付けは、何だか酷く胸が苦しくなるものだった。


「ご褒美、ご馳走様」


見せつけるようにぺろりと唇を舐めてみせる彼に、もう先程の無邪気な笑みはない。


「ばか……」
「馬鹿でいいさ。貴女をこの腕に抱いていられるのならね」
「だから、こんな時に何言ってるんですか…からかうのはやめて下さい」
「言ったはずだよ。貴女にはいつでも本気だって」


そう言い切った彼に、包み込むように抱き締められる。


「だからずっと、俺に守られていて」


何も言い返せないまま背中に手を回せば頬を擦り寄せられた気がして、やっぱり胸が苦しくなった。


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