翌日、事態は特にいい方向へは転ばなかった。
警視庁の公安部と刑事部は連日会議に時間を割いているらしいけど、毛利探偵の状況は下向きのままで、とうとう送検されることになったそうだ。
つまり法の裁きを受けるカウントダウンというわけだ。

そんな中私はと言うと、FBIとしても何も進展はなく、情報共有を受けながらも、ただ黙って指を咥えて見ているだけ───なはずだった。
雑居ビルに呼び出されるまでは。
突然例の彼から、時間であろう数字と緯度らしき数字と経度らしき数字、そして部屋番号と思しき数字だけが記載された簡素なメールが送られてきたのだ。
理解までそれは時間を要したし、一体何のつもりだと問い質す権利が私にはあるだろうが、指定されたと思われる埃舞う薄暗いその部屋は、中央に据えられたテーブルと椅子ぐらいしかめぼしい物はなく、呼び出した張本人の姿も見えない。
此処ではなかったのか。
人の気配はないようなので、恐る恐る中へ足を踏み入れる。
目張りされた窓から僅かに日差しは差し込むが、異様な雰囲気のそこはまさに『陰』のように思えた。
何もかもを隠して行動する、『彼ら』のように。


「………っ!」


突如、音もなく背後から現れた手に口元を覆われる。
ピクリと大きく震えた体を力強く抱き込まれ、それでいてあやすように肩口を叩かれた。
一気に体から力が抜けていく。


「零さん…」
「すみません、突然呼び出してしまって」
「寧ろよく呼び出されたものですけどね」


拘束を解きながら謝罪を口にはするものの、彼から一切その気は感じられない。
私が本職を差し置いてあのメールを読み解き此処に来ることは、彼の中で確定事項だったようだ。
さすが頭の回転が違う。


「FBIなら大した情報は掴んでいませんよ」
「ええ、此方も多くを流していないので」


此方が流していない情報を他国の機関が掴めるはずがない───わざとらしい言い回しが何とも彼らしい。
私を煽って一体どうしたいのか。


「下へも上へも流していない情報を、僕は絵里衣さん、貴女に流します」
「何のつもりですか?」
「貴女がそれを他に流すも流さないも自由です」


完全なる一方通行。
彼は私を使って何をする気なのだろう。
前々から分かっていたけど、彼が見えない。
彼の考えが、思いが、何も見えないのだ。

気に食わないというのが顔に出ていたのだろうか、零さんはフッと笑って表情を緩めた。


「お父様から伺っていますから。絵里衣さんがどれだけ優れた存在かということを」
「何を───」
「日本を守るためなら娘を利用しても良い、と許可をいただいていまして。勿論、絵里衣さん本人が許可する限りですが」
「は?」


ここで父が出てくるのか。
彼が見せてくれたスマホ画面には、間違いなく父からのメールが届いていた。
時刻は今から約3時間前、内容は先程零さんが言った通りである。
最後に『他国の警察機関として取り引きに使うことが出来るし、監視も出来て私としても都合がいい』ともわざわざ付け足してあったけどね。
言わんとすることは分かるが、娘本人の意見を最初に聞いてもらいたかった。


「それで、私をどう使うんですか?知っての通り、元日本人と言えども現在はアメリカ人で、そちらの所謂警察機関所属です。しかも職務はその裏方にあたるので、立場も知識も経験も、今回の件で利用価値はほとんどないかと」
「それはどうでしょうか」


部屋の中央にまで進んだ零さんが手招きする。
促されるまま椅子に座れば、同じように横に腰掛けた彼はノートパソコンを用意し始めた。


「貴女は自分が思っている以上に優秀だ。人望も厚い。僕が流した情報をいつ誰に流すべきか、逆に流さず自分の中だけで囲うべきか───適切な判断を下せるでしょう」


桁数の多いパスワードを流れるように打ち込んで、手際良く資料が開かれていく。
刑事部にも伝えられていない、彼ら『ゼロ』だけが持つ情報なのだろう。
その中に、現場の爆発物の欠片から爆発源がIoT圧力ポットだと判明したという文言を見つけ、思わず目を瞠る。
フェイクの高圧ケーブルでも爆弾でもなかったのね。
国際会議場はレストラン併設のはずだから、火元は単純にそのキッチンでいいだろう。
そしてガス栓にアクセスし操作したのは毛利探偵ってことになっているけど、実際ログはゼロで急ぎ調査中───にしても、犯人はもしかしたら相当頭がいい人物かもしれない。
あえて文明の機器である圧力ポットを起爆剤にしたという点で。

それから零さんは丁寧に捜査状況を話してくれた。
勿論部外者に話せる範囲をコントロールして、ではあるだろうけど、全貌を掴めていないFBIからの報告やテレビを見ているよりは余程中身のある話だ。
だが話を聞けば聞く程疑問が募る。
まだ彼は、何か大きなものを背負っているように見えるのだ。
それを訊ねたところで、無関係な私に素直に答えてくれるはずはないけれど。
全てを話さない代わりに、直接餌を撒いているのだから。
であれば、私は彼の希望通り甘んじて受け入れるしかないだろう。
これをどう消化するかは私の自由。
ここ日本で日本警察が言うのだから、言わば上からの許可は出ている。


「そう言えば…怪我、もう大丈夫なんですか?」


用は済んだと片付けを始めていた零さんは、その端正な顔に分かりやすく驚きを浮かべた。
昨日とは打って変わったリアクションだ。


「ええ…僕はちょうどその頃建物の外にいたので、大した怪我はしていないんです」


私が見る限り、歩き方におかしなところはなかったし、腕も大丈夫そうだ。
ボディを庇うような仕草も見られない。
よく見れば右頬に傷跡が残っているようだけど、それももう綺麗に塞がってほとんど分からないぐらいだ。
『建物外にいたから大した怪我はしていない』という彼の発言に、嘘はないのだろう。


「そんなに見られると恥ずかしいですね」
「すみません、零さんそういうの全部隠して1人で何でもこなしてしまうタイプだろうし…そうなると足となる風見さん達も大変だと思って」


まじまじと上から下まで視線を走らせたからか、擽ったそうに笑った零さんだったが、次の瞬間には挑発的に顔を寄せてきた。
わざとらしく首元を弛めつつ、だ。


「僕が何ともないって証拠…お見せしましょうか?」


くい、と顎を掬われ、無理矢理視線を合わせられる。
澄んだ双眸は奥深く、『安室透』や『バーボン』とはまた違った荒々しさがちらちらと垣間見えている気がした。
心だけでなく、魂ごと毟り取るような、絶対的な意志が。


「……零さん」
「すみません、誰かに真剣に心配されるのがこうも幸せな事だったかと思って」


顎から離れた彼の指先が、それは優しく頬を辿る。
擽ったさに身を捩れば、辿り着いた唇を柔らかく撫でられた。
その間何に思いを馳せていたのか───スッと立ち上がると、ほとんどない荷物を纏めた彼は身を翻し扉へと歩き出す。
餌の時間は終わりだ。


「…これからもっと踏み込んだことをするつもりなんですよね」
「そうかもしれませんね」
「じゃないと、毛利探偵を巻き込んで無理矢理調査を続けたりしないでしょう」
「やはり凄いですね、貴女は。能ある鷹は爪を隠す───普段謙遜しすぎですよ」


肩越しに振り返る零さんは、先程同様冗談めかして言った。
彼は何をどうするつもりなのだろう。


「私はまだ何も分かっていません。貴方が見えないから」
「僕はまだ知られては困ります。貴女自身が欲しいから」


いくら駆け引きをしたところで、彼に勝つビジョンが見えない。
だからこそ彼を、彼らを見届けようと思う。
それが今回私に与えられた任務だ。








「ごめんなさい、絵里衣さん。急に来てもらって…」
「ううん、私も力になれていなくてごめんね。状況は?」


夜の帳が下り、街灯も少ないこの高架下の公園は暗く静まり返っていた。
そんな所でこんな時間に小学生と待ち合わせなんて、彼のご両親からお叱りを受けるかもしれないけど、今は事態が事態なだけに見逃してもらいたい。

現在の状況としては、毛利探偵は送検され、娘の蘭ちゃんはすっかり落ち込み、奥様の妃弁護士はその立場を踏まえた打開策を思案しているところだそうだ。
毛利探偵の弁護は少々頼りなさそうな、だが公安事件を多く担当している橘弁護士が担当することになるらしいけど、相手検事が負けなしの敏腕検事・日下部検事らしく、追い風は吹いていないとのことだった。


「日本の日下部検事…」
「うん、日下部誠検事。地検公安部で負けなしの凄い検事さんって聞いたけど…絵里衣さん知ってるの?」
「Makoto Kusakabe…何処かでその名前を見たような…」


珍しい名前でもないけど、見覚えがある気がする。
漢字と一緒にアルファベットも浮かんだから、多分アメリカで。
私も警察機関所属だし、日本人の名前を見ることも少なくはない。


「もしかして、NAZU不正アクセス事件じゃない?」
「NAZU…ああ、去年起きたあの…」
「うん、その事件の弁護を境子先生が担当したんだけど、検事は日下部検事だったって言ってたよ。NAZUはアメリカの機関だし、捜査資料が絵里衣さんの目に入っても不思議じゃないよね」


そうだ、それだ。
日本のゲーム会社の社員が軽い気持ちでとんでもないところにアクセスしてしまったので、アメリカも大騒ぎになった。
日本人の技術の高さとアメリカのシステムの脆弱性も明らかになり、我々もいつもとは違ったかたちで噛むことになったんだけど。


「ありがとうコナン君、その通りだよ。あの時システムの見直しと再構築で鳥籠もちょっと協力したから、捜査資料見てる」
「そうだったんだ。絵里衣さん、パソコンも凄く詳しいんだね。勿論使えるのは知ってたけど…」
「詳しいって程じゃないよ。データベース化してるのはまぁ得意だけど、NAZUの時は悪戯の仕返しに仮想ページへのアクセス移行の提案ぐらいしかしてないし」


鳥籠は防御壁のサンプルとしての情報提供がメインで、要の匿名サーバーの追跡システムの作成に関しては管轄外だったのだ。
そちらはその分野のスペシャリストチームでないと太刀打ち出来ない。
何せあのNAZUのメインサーバーなのだから。


「と言うことは毛利探偵、けして有利ではないんだね」
「…うん」
「アメリカとしては今のところテロ組織の関与は全く不明。サミット会場は変更になったし、とりあえず警備強化でいくみたい。あの爆発が事件という証拠も事故という証拠も新たには掴んでいないよ」
「そっか…ボク達もあの爆発は爆弾じゃなくて圧力ポットだったってぐらいしか分かってないし…」


え?


「圧力ポット?」
「うん。博士のドローンで爆発現場を撮影して解析してもらったら、爆弾じゃなくてIoT圧力ポットのせいで爆発したってことが分かったんだ」


零さんから見せてもらった資料には確かにそう書いてあったし、彼はまだ警視庁に伝えていないと言っていた。
コナン君を傍受しているかもとは思っていたけど、めちゃくちゃ大事なことまで特定させて、その全てを聞いてるじゃないか。
博士がそれを解明したということも凄いが、布陣が各々特化してるし、それをまさに駒とする零さんが───


「絵里衣さん?」
「あ、ごめん…高圧ケーブルの格納庫に毛利探偵の指紋がついてたとか、あれだけの規模の爆発なら普通爆弾だって思うとか、余計なこと考えちゃって…裏方はやっぱり役に立たないね」


私が彼らと同じ土俵に上がるの、間違いじゃない?


「ねぇ絵里衣さん、明日ボクと一緒に警視庁に行ってみない?」
「警視庁に?」
「うん。目暮警部なら会ってくれると思うんだ。FBIとしてもいい情報が聞けるかもしれないよ」


色々な意味で部外者でかつ関係者の私は遠慮すべきだと分かってはいたものの、お願い、と可愛らしく懇願されれば、首を縦に振るしかなかった。


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