「あ、絵里衣さん!」


声が聞こえなかったのか、澄まし顔のまま絵里衣は角を曲がっていってしまった。
1人でただ道を歩いているというだけだったからだろうか、雰囲気がいつもと違うように感じられる。

子供好きで、綺麗に笑う人。
でも時には自分も犠牲にしてしまう程真面目で、正義感の強い人。
挑発的に微笑みながら、目の前でトリガーを引いてみせた事もあった。
自分が元の体に戻る糸口の1つでもある女性は、普段はこんな冷たい雰囲気なのだろうか。

そんな小さな不思議を胸に、コナンは絵里衣が去っていった先を見つめた。
何の変哲もない、ただの住宅街の一角だ。
だが彼女の住まいからは少し離れているし、この先に駅や彼女が好みそうな店はない。

コナンが今此処にいるのは、少年探偵団とこの近くで依頼を解決していたからだ。
財布が盗まれたと言うから念のためスケボーまで持ってきたが、結局生まれたばかりの妹に嫉妬する幼い兄のイタズラと分かり、家族の絆が深まっただけの平和な事件だった。
この地区は駅や主要道路からも離れているファミリー層の多い閑静な住宅街で、FBIが根城にもしにくいと思われる地区なのである。


「車…?」


通りの角から、紫がかった赤い車が出てきた。
知識豊富なコナンはすぐにそれがアルファロメオだと理解したものの、同時に自分の目を疑う事となる。
遠くてしっかりと確認出来なかったが、運転席───それも左にあるハンドルを握っていたのは、かの絵里衣ではなかったか。
コナンが知る限り、絵里衣は運転が出来ない。
遠くに移動する際は、専ら公共交通機関か、誰かの運転する車だ。
免許はアメリカで取得しただろうから乗るなら左ハンドルかもしれないが、運転しなれていない人がこの右ハンドル左側通行の日本で、左ハンドルの外車を運転するのは中々リスキーではないだろうか。


「………悪ーな、絵里衣さん」


眼鏡の望遠機能で車を捉えながら、コナンはスケボーのスイッチを踏んだ。
適度な距離感を保って後を附ける。
実は彼女は運転が得意で、車も所持していた───それならばいいのだ。

前を走る車は、至極落ち着いた運転で通りを走り抜けていく。
車種はアルファロメオMiTo、イタリアの大手メーカーの車だ。
サンルーフがついているところから見るに、伊国直輸入のマイナーチェンジモデルだろうか。
殊更、運転出来ない彼女が乗るには疑問が残る車である。








高架下を抜け、車は夕陽に照らされる海を臨む事が出来る埠頭で緩やかに停止した。
眩しいばかりの橙の中に降り立った絵里衣は、脇目も振らず1つの倉庫へ入っていく。
重い扉が閉まりきる前に、コナンもそっと中へ体を滑り込ませた。
カツカツと靴音を響かせる絵里衣はいつも通り、ブラウスにジャケット、パンツとフォーマルで小綺麗な格好だが、コンテナやよく分からない紙袋が山積みにされた薄暗い倉庫内には酷く似つかわしくない。


「大人しく此方に来る気になったかい、お姫様?」


靴音が止まると同時に男の声が響き渡った。
その姿を現しても、対峙する彼女は口を開かない。


「だんまりを決め込むか…それでも此方は構わないさ。五体不満足でも、生きて組織に連れ帰ればコンプリートだ」


コナンが身を潜めるコンテナからは、絵里衣の後ろ姿と挑発を続ける男が見える。
嬉々としてペラペラと話し続ける男は20代〜30代。
やけに軽装であまり頭が良さそうには思えないので、近くに仲間がいるかもしれない。
周りには大小様々なコンテナが積まれており、隠れる箇所は山程ある。
壁際の中身が分からない紙袋も、成人男性の背を遥かに超える高さまで積み上げられているし、袋の鼠なんてどころではないだろう。
裏を返せば、この男にも逃げ場がないのである。


「あの時みたいに腕を撃ち抜こうか?そして次はその細い足を…安心しな、動けなくなってもオレがきっちり運んでやるから」
「『五体不満足でも』───ね」


漸く絵里衣が口を開いた。
煽るような口調で言いながら、ジャケットから抜き出した鈍色の塊を自身のこめかみへと突き付ける。


「つまり組織は、この脳が必要ってコトね」


その時、流れるような一連の言動を後ろから見ていたコナンは確信した。
記憶力は勿論のこと、彼は絶対音感の持ち主で、そもそも耳が良いのだ。
よく似ているが、この声は斎藤絵里衣のものではない。
極めつけはこの拳銃───『右手』で構えたベスト・ポケットを『右こめかみ』に突き付けている。


「やめろ!お前が死んだら───」
「───彼女が死んだら困るのは、なにもお前達組織の人間だけじゃないんだよ」


静かに打ち寄せる波のような声音が挟まれたかと思うと、勢い良く放り投げられたハンドガンが、コナンがいるコンテナまで飛んできた。
空いた右手で彼女が背中から引き抜いたのは、ベレッタM1938A───通称モスキート。
凄まじい速さで容赦なく繰り出される弾は男の背後にある紙袋を総ナメし、舞い散る粉塵の中、次の瞬間には大爆発を起こしていた。

その火力に吹っ飛んで倒れた男の背を、磨き上げられた黒の革靴が躊躇いもなく踏みにじる。


「お前…っ!?」
「おや、君のような下っ端でも、私のことは知ってくれているのかな?」


60代ぐらいであろうか、きっちりスーツを着込み、白髪混じりの髪を綺麗に撫でつけた男性は優しい声音で言った。
だがその声とは裏腹に、足元では怪我を追った男の背を踏みつけ動きを封じ続けている。
妙な動きをしようものなら顔を蹴り飛ばし、あの世という逃げ道も強引に絶っていた。
身長は180cm半ば程だろうか、グレーのスーツの上からでも分かる恵まれた体格から出される蹴りは、その動きに全く無駄がなく、それは重そうに見える。


「そう簡単には逃がさんよ」
「そうそう、これからたっぷりお話しましょう」


使命を果たした軽機関銃を肩に担いだ女が、その傍らにしゃがみ込んだ。
余裕綽々、いっそ悪に見える程清々しいその姿は絵里衣とは似ても似つかない。
やはり彼女は───


「そこにいるcool kid、悪いけどそのダミー拾ってくれるかしら?」


コンテナの陰で息を殺していたコナンの肩が、ピクリと跳ねる。
自分がいることが女にバレているどころか、まさかのご指名だ。
少なくとも彼女は、『彼女』の敵ではないけれど。

素直に姿を見せ、精巧に作られた偽物のハンドガンを拾ったコナンは女へと歩み寄る。
斎藤絵里衣にそれはよく似た女は、さっきとは打って変わって柔らかく微笑んでみせた。


「ありがとう。まさかキミに附けられていたなんてね。絵里衣の周りは普通じゃない子が多いわ」
「だからこそ今まであの子が無事でいるんだろう…っと、終わったか」


男性は胸ポケットからスマホを取り出すと、一言二言交わしただけですぐに通話を終える。


「おじさんとおばさん…絵里衣さんのお父さんとお母さんだね?」


小さな名探偵の確信を持った問いかけに、2人はあっさりと頷いてみせた。


「うちの娘が世話になっているようだね」
「やっぱり…絵里衣さんを助けるために、一芝居したんだ」
「あの子に用があるなら、まず私達を通してもらわないと」


ICPOの鷲と呼ばれるアメリカンイーグルと、SISMIの狼と呼ばれるイタリアンオオカミ。
自身の娘のために一肌脱いだ両親はその世界では有名人だが、例の組織にとってもそれは厄介な存在であるらしい。


「にしてもレベッカ、派手にやってくれたな…この中にはコイツしかいないと分かっていただろう?」
「派手にした方が外の奴らも中に気を取られるし、ただの事故として処理しやすいでしょ?」


片や貫禄のある見た目にも気を使っている男性、片や娘と見間違う程の若さを見せる女性であるが、両人共に容赦のなさは共通だ。
コナンとは穏やかに会話してみせてはいるものの、地に伏した男の身動きを封じ、近くに控えていた仲間を炙り出し、そして纏めて囲って挙げ句揉み消そうとしている。
表に出ない例の組織を、表に出さず締め上げるつもりなのだ。


「本物の絵里衣さんは、今何処に?」
「駐車場のMiToの中よ、小さな名探偵。キミが附けてきた、あのスタート地点」
「こんな小さな子がそんな所から附けていたのか…褒められたものではないが、将来有望だな。ここまでのレベルは彼以来だ」
「ああ、アナタの元部下の部下…だったかしら」


一見朗らかな会話の背後では、煌々と燃え続ける紙袋が倉庫内の酸素も使って大きな火柱を上げている。
位置が位置だけに退路は確保されているが、早々に脱する必要はありそうだ。


「さて、外の片付けも済んだようだ…お喋りはこれくらいにしてそろそろお暇しようか。残りの後始末は日本が引き受けるよ」
「名探偵君は私と帰りましょうか。毛利探偵事務所でいいかしら?」
「何でそれを…」
「絵里衣の周りは一応調べてあるからね」


倉庫の扉が開かれ、スーツ姿の真面目そうな男達が消防士を引き連れ幾人も雪崩れ込んできた。
消火活動と同時に例の男を手早く拘束し、連れ出していく。
それを見届け、コナン達もゆっくりと出口へ向かっていった。


「絵里衣の方には此方から迎えを出しているから安心してくれ。レベッカ、彼を頼んだよ」
「了解。たまには食事でも行きましょうね」
「ああ…予定を空けておくよ」


橙から紺に変わった空の下、赤いランプがいくつも点滅している。
今にもキスしそうな甘い雰囲気を漂わせながら、男は忙しなく動き回る人混みへ消え、女は小さな子を連れ車へと乗り込んでいった。


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