今日1日のスケジュール構成と身支度に時間を費やしてから、楽器ケースを背負った私がまず向かったのは公園だ。
バイオリンの練習のため何度も利用しているこの公園は基本的には開けているが、生い茂る木々で陰となるところや一時的に死角となる箇所もある。
極力外出禁止で自宅で大人しくするよう言われている私がわざわざ此処で時間を使うのは、仲間達の監視と組織の監視がどの程度なのか把握するためというのが1つ。
そしてまた別の理由としては、FBI側に私が何か目的があって外出しているのだと気付いてもらうためだ。
ただ独断で言いつけを守っていないわけではなく、何かのために破らざるを得ない状況である、と。

たっぷり時間をかけて公園内を移動し、お昼をかなり回ってから次に向かったのは喫茶ポアロ。
今日も明るく可愛らしいウェイトレス・梓さんが出迎えてくれる。


「いらっしゃいませー…あ、絵里衣さん!」
「こんにちは。まだランチって大丈夫ですか?」
「大丈夫です!」


キッチンにも例の彼は見当たらない。
カウンター席で昼食を注文すれば、梓さんはそれは残念そうに言った。


「安室さん、探偵の仕事が入ったみたいで急に休みになっちゃったんです。こっちは大丈夫なんですけど、絵里衣さんが来るなら来てほしかったなぁ」
「本職が忙しいんですね」


それ探偵の仕事じゃなくて、組織の方だよね。
バーボンがどれほど『お姫様』捜しに噛んでいるのか知らないけど、少なくともベルモットが穏やかではないはずだから、一緒にいるところを見たことがあるバーボンが駆り出される可能性は十分考えられる。
彼を敵に回して利益なんてあるはずないし、ただでさえ多忙なのに手を煩わせることになっていたら申し訳ない。

私としては、このポアロに来たのは『安室さんに会うため』ではなく、『梓さんに会うため』なので既に目的は達成だ。
梓さんも安室さんが私に気があると思っている1人だから、私が来店すれば必ず彼にそのことを話すはず。
そしてこの喫茶店の上は毛利探偵事務所で、あの親子と居候は度々この店に訪れる常連。
言わずもがな、この3人は私と顔見知り。
突如私が姿を眩ましても、その理由を速やかに理解し紐解いてくれるだろう。
全てにおいて人頼み、なんて頼まれる側からすれば迷惑極まりない話だと思うけど、私は私に非がないかたちで向かい合いたいのだ。
合法とは違うが、正論は残しておきたい。
勿論、通じる通じないは置いておいて。


「ご馳走様でした」
「絵里衣さん、良かったらこれ食べてみてくれませんか?」


下げられた皿の代わりに、また新しい皿が現れる。
真ん中に鎮座したたっぷりのクリームとイチゴが乗っているケーキは、それは美味しそうだ。


「美味しそう…いいんですか?」
「はい!安室さんが作ってる試作品で、常連さんに味見してもらっているところなんです」
「えっ…それ本当に私が食べていいんですか?」
「絵里衣さんはもうお得意様ですし…次回来店時に安室さんに感想聞かせてあげて下さい」


早ければ来週にでも正式にメニューの仲間入りをするらしいケーキは、まさかの安室さん手作りのものだそうだ。
いつぞやには喫茶店のメインメニューであるサンドイッチで職人を唸らせ、その後も定期的に新作を考え、いよいよケーキまで作ってしまうとは、彼に不得手はないのだろうか。
天は才能を与えすぎだと思う。


「美味しい…」
「ですよね!濃厚なケーキとまろやかなクリームが絶妙なんです!」


味は文句の付けようのない美味さだった。
ふわふわのスポンジは卵の味がしっかり感じられる濃厚な風味が特徴で、そのスポンジをすっぽり覆い隠すクリームのマイルドな舌触りと諄くない甘さが上品に互いを引き立てている。
瑞々しいイチゴやオレンジの仄かな甘さがアクセントになって、いくらでも食べられそうだ。


「これは人気出そうですね」
「安室さん手作りなんて言ったら、ファンの女子高生達だけで完売かも」


梓さん曰く、安室さんは年齢問わず凄まじい女性人気っぷりだが、一番は女子高生かららしい。
顔が良くて優しくて料理が出来て話し上手で…確かにティーンからすれば憧れのお兄さんかもね。
ただ彼女達は、イケメン店員がいる喫茶店としてSNSで拡散し売上に貢献する一方で、色目を使う女店員がいるなんて中傷もしているようだけど。
どうやら彼は社会現象レベルで人気らしい。
そんな彼の正体が日本国を守る警察官だと知ったら、それは更に加速するだろう。


「ご馳走様でした。ケーキもありがとうございます。メニュー入り楽しみにしていますね」
「ありがとうございました。今度は安室さんがいる時に是非食べに来て下さい。またのお越しをお待ちしています!」


なんだかんだでゆっくりしてしまった。
会計をすまして外に出れば、太陽はまだ上の方で照り輝いている。
今から遠回りに移動して1時間少々…ちょうどいい頃か。
右手首の時計とスマホを見比べ、これからのスケジュールを弾き出す。
今のところは概ね順調だ。
後はいつ周りが気付いて、動いてくれるか。
出来ればこの楽器ケースの中のものは使いたくないが、そうも言っていられない状況だ。
どちらが先に出し抜くか───スタンドオフからの逆転劇ってクールだよね?








住宅街を縫うように歩みを進める。
今日1日だけでかなりいい運動になっていそうだ。
これだけ無駄な動きを見せれば誰かしらアクションを起こすかと思ったけど、今のところ敵味方共に接触はない。
味方に至っては、今も付いて来ているのかすら分からないぐらいである。
赤井さんからの連絡もないから、私の意図に気付いて距離を置いてくれているだけだろうか。


「ふぅ…」


もし今日が無事に終わったら、日本を発とうと思う。
奴らを釣る餌として日本に来てから、良くも悪くも知人が増えてしまったからだ。
とても有り難いことだし、彼ら彼女らはかけがえのない存在に違いない。
ただ、今の私では彼ら彼女らを守ることが出来ないのである。
私のせいで何かあったら死んでも死にきれないし。
要である私が日本からいなくなれば、少しは平和が戻るだろう。
勿論これら全て、今日という日が無事に終わればの話だけど。

余計なことを悶々と考えていたせいか、前方不注意だった。
胸に残る蟠りはそのままに角を曲がろうとした矢先、自分とよく似た背丈の女性にぶつかり、数歩よろけてしまう。


「ごめんなさい、不注意でした───」


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