京都から戻って早数日、私はいつもと変わらぬ生活を送っている。
たまには阿笠邸に顔を出すよう哀ちゃんから言われていたので、京都土産片手に色々遠回りもした上で細心の注意を払って遊びに行けば、博士も哀ちゃんも温かく出迎えてくれたけど、隣家から颯爽と現れた住人にドライブデートと称される帰宅命令を頂戴し、私としても都合良く切り上げることが出来た。
ジェイムズさんに匂わした話が早々に彼に伝わったらしい。


「随分立派な家だな」
「下にはゲストルームとかもあるみたいですよ」


新しい家へ案内すれば、沖矢さんは部屋中をぐるりと見渡して言った。
職業病で何か仕掛けられていないか調べているのかもしれないけど、何かあったら本当に色々な意味で困る。


「ホォー…駐車場にも高級車が並んでいたが、ブルジョアの集まりということか」
「警察庁の手のひらの上ではあるようですね」


警察庁の息がかかったこのマンションは全部屋それなりのお値段だろうが、そもそも私のような訳あり入居者しかいないはず。
エントランスやエレベーターで住人に出会して挨拶を交わしたことはあるけど、きっとそれは表の顔だ。


「本題だが───ジェイムズの話は本当か?奴らが『お姫様』を居城へ招待する可能性がある、と聞いたが」
「断言は出来ません…が、確実に私の周りで動きはありました」


無駄に大きなテレビの前にある無駄にボリューミーなソファーに向かい合い、コーヒー片手にこんな話をするだなんて、端から見ればさぞ滑稽だろう。
御伽噺の中ではあるまいし…ではあるが、そもそもの呼称が既におかしいのである。


「白馬の王子が来るのではないということは間違いないでしょう」
「成程…であれば此方も対策は必要だな」


どうやら組織に必要な人物であるらしい、『お姫様』。
私が知っているのは、その『お姫様』が私のことで、死ぬとその価値がなくなってしまうということぐらいだ。
後は奴らに『お姫様』がFBI関係者とバレているということ、そして日本に潜伏しているとほぼバレている、ということがキーだろうか。

この状況で私達が取る正しい行動がどれか、しっかり考えを摺り合わせる必要がある。
『お姫様』を使って奴らを壊滅させることが出来るなら、私は喜んで囮にでも人柱にでもなるけど、優しい仲間達は十中八九それを良しとしない。
だからと言って今この機会を───奴らが動く機会を使わないという手はないということも、皆分かっているはずなのだ。


「発信器は?」
「持ってます」


とりあえずは私の行動に制限と、複数名の監視がつくことになった。
近日中にジェイムズさんやジョディ達と打ち合わせの場を設けるらしいけど、赤井さんも私も今は公に出ない方が良い。
と言うわけで、文明の機器を利用したネットミーティングの準備を進めることで合意。
私としてはそれで全く問題はない。
このマンションは無線環境も整っている。


「では、お気を付けて」
「お招きいただきありがとうございました。治安は良い地域と聞きますが、物騒な世の中ですしくれぐれも気を付けて下さいね」


沖矢さんの皮を被った赤井さんは、いつも通り飄々と帰っていった。
見送るついでに買い物に行くことにしたのだが、今日はいつもと違って大通りのスーパーまで向かう。
これも勿論、赤井さんと打ち合わせた上での行動だ。
ちなみに彼は、私が帰るまでこのスーパー付近を巡回してくれることになっている。








買い物自体はすぐ済んだ。
粗方買う物は決めてあったし、何せこのご時世、インターネットを使えば不自由がないからだ。
この件が落ち着くまで外出に制限はかかるが、無理に買い込む必要もないのである。
ああでも、この住居を掴まれれば、宅配業者に変装して…ということも出来るのか。
居候兼ボディーガードなんて名目で、FBIの誰かに来てもらうのはアリかもしれない。
って、そうなったら沖矢さんだよね、来るの。

1人百面相しながら帰路につく。
何の変哲もない、いつもの街並みだ。
夕暮れに染まる空の一部は、鮮やかな橙から深い紺へと色を変えつつある。


「………」
「……!」


親子や学生、サラリーマンなど様々な人達と擦れ違いながら歩みを進めていたが、突如背筋に冷たい何かが走った。
今の、もしかして───


『どうした』


振り返ったら駄目だ。


「すみません、いきなり」


このまま自然に姿を眩ませなければいけない。


「今少し───」


粟立つ背中に、固い何かが押しつけられた。


「───声が聞きたくなっちゃって」


足を止める。
背中の痛みが強くなった。
後ろを振り返らなくても分かる。
これは拳銃だ。


『……………』


事態を飲み込んでくれたらしい沖矢さんから返事はない。
此方の音を聞こうとしてくれているのだ。


「…………?」


スマホを耳に当てたまま、出来るだけ不思議そうに振り返る。
今の私は、『知人に電話しながら道を歩いていたら、背中に何かが当たったので振り返った』状態だ。
素人演技が何処まで通じるか分からないが、とにかくやり切るしかない。


「状況、分かるだろ?適当に電話を切りな。勿論電源ごとだ」


低く小さく命じたのは、やはり先程擦れ違った男だった。
私が日本に来る前にやり合った、あの男と瓜二つの顔をした全身黒ずくめの男。
彼は私の前で死んだはずだから、私を揺さぶるためにわざわざ変装でもしたか、そっくりな兄弟というところか。


「あ、ごめんなさい。よく知った顔を見かけたので───また後で連絡させてもらいますね」


矢継ぎ早にスマホをポケットへ仕舞う。
勿論通話は終了していない。
多少聞こえ辛くはなるだろうが、ある程度声は拾えるはずだ。
発信器だって機能している。


「そのまま真っ直ぐ進んで、すぐ右の脇道に入るんだ…こんな所で騒ぎを大きくしたくないだろう」
「…分かりました」


スマホを確認することもなく、男は満足そうに笑った。
彼に見張られるまま言われた通り脇道へ入ると、外壁に向かって突き飛ばされる。


「…!」


振り返れば目の前には拳銃。
あれよあれよと追いやられて壁に背中をつければ、バレルで顎を上げられた。
いつでも喉を撃ち抜ける状況だが、彼がトリガーを引くことはない。
私は殺すべき対象ではないからだ。


「噂通りの美人だな。間違いはなさそうだ」
「どちら様でしょうか。初めましてのようですが」


見れば見る程よく似ている。
私がまだアメリカにいた頃、FBI本社前で出会ったあの男に。
弓形の瞳も下品な笑い方も、本当にそのままだ。


「『初めまして』?つれないこと言うなよ。俺達はあんなにも───」


あんなにも?


「!」


その時、劈くようなけたたましいサイレン音が響き渡った。
油断していた心臓がきゅっとなるぐらいには大音量で、周りの音が一気に掻き消される。
すぐ先の道路にパトカーがいるらしい。
男は鬱陶しげに舌打ちすると拳銃を仕舞う。


「明日の同じ時間、1人で此処まで来い。誰かにこのことを漏らせば、お前にかかわった者全て消す。ガキだろうと関係ねぇ。1人残らずだ」


ベルモットから、此処での私の交友関係も聞いているということか。


「そう言えばアンタのことを尋ねたら嬉しそうに話をしてくれたぜ。道案内まで買って出て…いい子達じゃないか」


本当によく回る舌だこと。


「俺達が有言実行出来るってこと、賢いアンタなら分かるだろ?」


突き出された住所が一行走り書きされたメモに目を通せば、次の瞬間にはビリビリに破られ風に乗って消えてしまう。
記憶力に自信があって良かった。
あの一瞬でも、後で検索出来るぐらいには覚えている。

ふっと笑ってから踵を返した男は、そのままサイレンをBGMに民間人に紛れるように去っていった。
かと思えば入れ違いで、見慣れた男性が此方に駆け寄って来、正面から抱き締められる。


「…絵里衣」
「沖矢さん…」


漸く肩の力を抜くことが出来たと同時に、足腰からも力が抜けてしまった。
沖矢さんが抱き留めてくれているお陰で尻餅をつくことはないが、彼は驚きながらも体を支えてくれる。
そして軽々と私を横抱きにすると、何ともないようにすたすた歩き始めた。
現役FBI捜査官は、私ぐらいの荷物では動じないらしい。


「さすがにこれは恥ずかしいんですけど…」
「周りの目が気になるなら顔を埋めていればいい。お前がまともに歩けるよう待っている暇はなさそうなんでな」
「じゃあもう大丈夫です降ります」
「駄目だ」


口調はすっかり赤井さんに戻っている沖矢さんに言われるがまま、彼の胸に顔を埋める。
擦り寄った逞しさがいっそ憎らしい。

少しの間揺られていると、赤い丸っこい車の助手席へと降ろされた。
この辺りに見覚えはある。
ちょうどパトカーのサイレンが聞こえた付近の路地裏にあたるはずだ。
盗聴の心配もないであろう車内でそれはもう盛大に溜め息を吐けば、運転席に乗り込んだ赤井さんから鋭い視線が送られる。


「ある程度聞こえてはいたが…何があった?」
「私が日本に来る前、例の組織の男に襲われ応戦した後自殺されたという話をしたと思いますが、その男と瓜二つの男に出会しました」
「それで『よく知った顔』か」
「はい」


赤井さんは緩やかに車を発進させた。
と言っても素直に帰れるはずがないので、それはたっぷり迂回して尾行がないかも確証を得てから帰宅となるだろうけど。


「奴はベルモットからの指示で私を確認しに来たようでした。拳銃を所持してはいましたが発砲する様子はなかったので、やはり向こうとしては生け捕りにしたいのではないかと」


住宅街を進んで暫くすると、車は湾岸沿いに出た。
夕暮れの橙の空が色鮮やかで、こんな時でなければさぞ美しく感じたことだろう。
沈みゆく太陽が海に溶けようと揺らぐ様は、まるで誰かのようだと思わず笑みが零れた。


「その後すぐにパトカーのサイレンが聞こえたので、拳銃を仕舞った奴はお決まりの捨て台詞を吐いてそそくさと姿を眩ましました。そしてほぼ入れ違いで赤井さんが来て下さったんです」
「つまり大した収穫はなしと言うことか」
「はい。残念ながら私の顔を確認されたというマイナスな話以外は」


騙し騙されが通用するなんて思っていない。
だが私が今優先すべきは、人質として取られている小さな友人達の安全のため、此方側に非を作らないということだ。


「明日以降も警戒を続けます」
「ああ。ミーティングは帰宅次第行うようジェイムズには掛け合ってあるが…くれぐれも勝手な真似はするなよ」
「籠の中の鳥に自由はありませんから、ご心配なく」


ごめんなさい、赤井さん。


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