「すみません、安室さん。本当に最後まで付き合っていただいて…」
「いえ、間近さんからも頼まれていましたし…僕としても役得でしたよ」


手慣れた様子でハンドルを切る安室さんは、チラリと此方に視線を向けて微笑んだ。
本当に嫌味など一切感じないその表情に、思わず言葉そのまま受け取ってしまいそうになる。

今日はいつぞやの約束通り、安室さんのクライアントである間近さんから物件の紹介をしてもらうはずだった。
しかし今朝急遽重要な会合に参加することになり、物件情報と鍵を安室さんに託してご自由にどうぞとなったそうだ。
いくら有能な探偵だからと言って信頼しすぎでは…と思ったけど、何でも社員の1人が社外秘の資料を盗み出そうとした所を安室さんの調査のお陰で阻止出来たとのことで、会社の恩人として彼に絶大な信頼を寄せているらしい。

と言うわけで、彼の案内のもと2人で何件か見て回って、此処が最後の1件だ。
今まで見てきたところは悪くはないが、可もなく不可もなくといった印象だった。
やっぱり私の希望が高すぎるのかな。


「資料を見る限り、条件的には此処が一番いいと思います」


案内されたのは、高層マンションの上層階、角部屋。
玄関から真っ直ぐ伸びた廊下の先にリビングと洋室があり、この廊下の左右に洗面所と浴室、更に寝室がある。
1人で住むには些か広すぎるような気はするが、サンプルとして置かれているらしい家具もシンプルなのに繊細な細工が施されていて高級感もあるし、それだけで良く見えるからポイントが高い。
元々手持ちの家具なんてないし、このまま借りれるならアリかもね。


「確かに…立地的にも今日見た中では一番かも」
「スーパーや駅も遠くないし、この辺りは治安も良い方で、マンションのセキュリティーも万全。1人で暮らすには少々広めなのでその分お値段は上乗せですが、他の条件を加味すれば十分検討の範囲内かと」
「そうですね…」


寧ろ、運良くこんな物件が空いていたことに驚きだ。
立地は悪くない、部屋のつくりも悪くない、防犯面も対組織以外ではまぁ悪くない。
家賃は正直安い方が都合はいいが、今回は目を瞑るとして…後はどこを見るべきか。


「ちなみに、家具家電は必要ならこのまま使ってもいいそうです。前の入居者の置き土産だそうですが」
「えっ」


それはもう此処に決めろということ?
中古だとしても、デザインはこじゃれているし、傷だってぱっと見た感じ見当たらないぐらい綺麗だ。
何なら、使用感がないぐらい───


「置き土産にしては綺麗すぎる気がしますけど…もしかして何かあったんでしょうか」
「所謂事故物件は全てリストから外すよう言ってあるので、マイナスな話はないと思いますが…資料には、『海外転勤が急遽決まった前入居者が処分に困っていたため引き取った』と書かれているだけですね」


安室さんに差し出された書面を見れば、確かにその通り記載されているだけだ。
前入居者の退去日は先月みたいだし、もうリフォーム済みということなのだろう。


「今すぐに決めないといけないというわけではないですし、質問があれば訊いておきますよ。前向きに検討されるなら、一旦キープも頼めますが」
「家賃以外の条件は凄くいいと思います…少しだけ考えさせてもらってもいいですか?」
「勿論です。間近さんには伝えておきます」








帰り道、安室さんの提案でカフェに寄ることになった。
それもわざわざパーキングに車を停めて歩かなければいけないような、住宅街の奥地にあるカフェである。
何でも、間近さんのお気に入りの店で、マスターの淹れるコーヒーがそれは美味しいらしい。
だがその途中───私はまた、私だけが何も知らなかったのだと痛感することになった。


「…安室さん?」
「僕が何の下心もなしに、今日1日付き合ったとお思いですか?」


彼の目が、私を捕らえている。
先程まであんなに穏やかな色だったのに、今はそれが全て消え去っていた。
一歩一歩距離を詰められる度に後退ると、背中に冷たい壁の感触が伝わってくる。
すっかり強張った顔の横に見せ付けるように手をつかれれば、もう私に逃げ場はなかった。


「貴女が好きなんです」


普通の女の子なら、この距離で彼程の人から告白なんてされれば、揃って目をハートにするだろう。
だが生憎私は普通の女の子ではない。
分かるのだ。
彼が安室透であって───安室透じゃないということが。


「っ、やめて…!」
「静かに。いくら人気はないと言っても此処は外ですよ。それに僕だって、ただ気持ちを押し付けたいわけじゃありません」


スッと近付いた彼の唇が、開かされた首筋に落とされる。
その生々しい感覚に両手で肩を押し返すが、容易く一纏めにされてしまった。
熱い吐息に擽られ、乾いた唇にゆっくりと嬲られる。
少しでも避けようと身を捩っても、靴と地面が虚しく音を立てるだけだ。


「…んっ」


───パキン。

その音でハッと我に返る。
足元を見ると、目に留まるのは砕けた黒い何か。


「これ、もしかして…」
「お察しの通り、盗聴器です」


粉々に砕けてはいるけど、マイクのような部品は見て取れる。
安室さんを見上げれば、もうすっかりいつもの彼に戻っていた。


「手荒な真似をしてすみません。そろそろ偶然を装って盗聴器を壊しておきたくて…でもそれで貴女を泣かすなんて騎士失格ですね」


そう言って悲しげに嘲笑してみせた彼に目元を拭われる。
少し乱れた服まで丁寧に正してくれている間も、茫然とされるがままだった。
私…泣いていたのか。
確かに色々な意味で怖かったけど、涙まで出ていたなんて。


「いえ、この盗聴器に気付かなかった私が悪いので…」
「盗聴器は絵里衣さんではなく、僕についていたんです」
「え?」


彼はさっき自分を騎士だと言った。
この比喩を使うということは、本職の、私の父からの個人的な頼みが絡んでいるということだ。


「まさか…」
「ええ。ベルモットが貴女を『お姫様』ではないかと疑っています。この間の事件の帰り際、僕に探るよう言ってきました」


やっぱり組織が動きだしたんだ。
あの時は梓さんに化けていたせいか直接話すことはなかったけど、しっかりマークされていたわけね。
安室さんが露骨にアピールしだしたのもあれからだし、今日までハニートラップに嵌められていたということか。
本当に私はめでたい頭をしているらしい。
今思えば、辻褄はピタリと合っている。


「今日のこの一件で、僕は少し距離を置きながら調査を続けることになったと彼女には報告しておきます」
「…分かりました」
「それから物件ですが、仲介業者の『間近さん』は架空の人物で、僕の部下です」
「間近さんも?」


そこも彼の手の中だったのか。
でもこれで、筋が通る。
最初から公安がリストアップした物件を紹介されていたのだ。


「最後のあのマンションから駅を挟んで点対照の位置に、外観は異なりますが間取りが全く同じタワーマンションがあります。家具家電も、同じブランドの物が既に運び込まれているので、中は先程と全く同じです」
「駅を挟んで点対照って…」
「ええ、以前僕がクライアント───貴女のお父様とお会いした、お父様のセーフハウスです」


嘘でしょ?
この安室さんを巻き込んでの物件探しの発端となったあの日、安室さんは父の家で、父と会っていた?
私がベルモットと会ってしまってから今日まで、全部計画通りだったってこと?


「そのタワーマンション、実は警察庁の息がかかっていまして…鍵も預かっているのでいつでも入れますよ」


差し出されるままに受け取ったのは、黒のシックなカードキー。
父が利用するために借りたのか、それとも私を住まわすために用意したのかは分からないけど、最初から私が此処を利用するのは決まっていたようだ。
またこうやって、当事者であるはずの私が知らないところで何かが起きている。
周りの見えない力で、私は生かされているのだ。


「父は…父は元気でしたか?」
「ええ、とても。頭の回転の速さはさることながら、洞察力や経験値の高さにも感服しました」
「…そうですか」
「絵里衣さんに会えない事が寂しいと、幼い頃の話を沢山聞かせて下さいましたよ」
「いや、それちょっとズレてるし、何を勝手に…」
「そして改めて頼まれました。絵里衣さんの事を」


こうして私が、彼を縛っていく。
同時に彼もまた、私を縛っていく。
このスパイラルが解けた時、私達はどうなっているのだろうか。


「僕は貴女とこの国を───必ず守ってみせます」


  return  
「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -