「おかえりなさい、絵里衣さん。少し宜しいでしょうか」


「博士達なら先程出掛けたので」と、工藤邸の門の前で待っていたらしい沖矢さんに呼び止められる。
博士から哀ちゃんを連れて鈴木大図書館に行くと聞いていたので、私は1人留守を任されるはずだったのに、不動産屋でそれは凄い営業にあって遅くなってしまったのだ。
今更いつ帰ろうが一緒だと、足を止めて話を聞こうとしたその時、ほんの一瞬だけ人の気配を感じた。


「!?」
「まだいたようですね」


そう言った沖矢さんは私の手を引いて歩き出す。
あれよあれよと連れてこられたのは、あの可愛らしい車の前だ。
いつも通り落ち着いているあたり、例の組織と関係はないらしい。


「お前と同じように、俺も先程視線を感じ───撮られた」
「撮られた?」
「ああ。おそらく犯人は怪盗キッド…」
「キッドですか?接点が見えないんですが…何で彼が私達を?」
「奴は変装が得意と聞く。その資料だろう」


怪盗キッド───老若男女問わず人気で注目の的でもある怪盗。
私も会ったことはあるが、少年に分類されそうなぐらい若く、それでいてミステリアスな人物だった。
所謂『悪』とは違う雰囲気の彼は、現在此方が遂行中のミッション上では無害のように思える。
しかし、では何故今私達は車で鈴木大図書館に向かうことになっているのか。


「その写真に写り込んでいる可能性がある」
「もしかしてキャメルさん?時々工藤邸にいらっしゃっているようですけど」
「いや、完全に俺のミスだが───この変声器が、だ」


ハンドルから離れた指先が、彼の服に隠れた喉元に突きつけられる。
この気温で首を覆う服装は、さぞ暑く苦しいだろう。
その一瞬の隙が、たまたま写真に収まってしまった可能性があると言うのだ。
CIAのNOCまで巻き込んだ沖矢昴の絡繰りがこんな所から暴かれるなんて、あってはならない。


「相変わらず、と言うか…日本警察は相当数配備されているようですね」
「ええ…今回も大々的に宣伝されていましたから」


写ってはいけない物が写っている可能性のある写真データの削除要求のため、やってきた鈴木大図書館は、パトカーは勿論、かなりの警察官が導入されているようだった。
だが館内の方は真逆の仕様で、阿笠博士の知り合いだと言えばノーチェックの素通り。
拍子抜けする程、あまりに緩すぎる。
キッドが狙う三水吉右衛門の絡繰箱付近は、さすがに厳重なセキュリティーが用意されているんだろうけど。


「月の光に似た青い光彩が綺麗に出ている、まさに…」
「アデュラレッセンス…その特殊効果が見られるブルームーンストーンは価値が高い。しかもその大きさなら、確かに三水吉右衛門の絡繰箱と釣り合うかもしれませんね…」


館内を進み、見知った姿を捉えたところで沖矢さんが口を挟んだせいで、その場にいた全員の視線が私達に集まる。
鈴木次郎吉氏と園子ちゃん、毛利探偵と蘭ちゃんとコナン君、博士と哀ちゃん…残ったご婦人が絡繰箱の持ち主か。
それにしてもアデュラレッセンスなんて、ミステリー好きな工学部の大学院生はさすが知識も豊富なようですね、沖矢さん?


「あら、わざわざ絵里衣さんまで連れて…興味ないんじゃなかったの?」
「どうにも気になってしまって…」


大分緩和されたと言っても、けして仲良くはない哀ちゃんからの訝しげな目を、彼は何とも思っていないように躱してみせる。
この姿だと意外と子供も好きなように見えるし、彼からすれば可愛い嫌味なのかもしれない。


「でも、よくここに入れたね」
「阿笠博士の知り合いだと話したら、ノーチェックで素通りでしたよ」
「今回はそういう方針じゃ!さすがにあからさまなキッドファンは入館を断っておるが、一般客は入れておるよ」


どうやらこの手薄な体制だけでなく、例の絡繰箱もテーブルの上にポツンと置かれているだけで、図書館内にいる人なら誰でも自由に触れるようになっているらしい。
しかしテーブル下の床に埋め込んである重量センサーによって、持ち運ぼうとする人がいれば檻が降ってくる仕様になっているし、絡繰箱は開けたらオルゴールが鳴るようで、こっそりと箱を開けることも不可。
それにもしこの檻の鉄柵をすり抜けて箱ごと宝石を持ち去ったとしても、連動して図書館の全ての出入り口に設置した鋼鉄のシャッターが降りるシステムになっているため、脱出は不可能だそうだ。
前回もそうだったけど、次郎吉氏とキッドの対決は想像を超えるかたちで行われるから、ある意味では非常に面白いと思う。


「んで、この箱の開け方が書かれた紙っていうのは…」
「夜中主人がその箱を閉めた後、箱の図面に矢印や数字が書き込まれた紙を何かの本の間に挟んで仕舞っているのを見ましたので…」


私達としてはキッドに現れてもらわないといけないので複雑な心境ではあるけど、彼より先に絡繰箱を開けるため、開け方が書かれた紙が挟まれている本探しが始まった。
別室に天井高く所狭しと並べられている本の冊数は、ざっと一万冊。
全て亡くなられた友寄さんの書斎にあった本で、次郎吉氏がスタッフ総出で丸一日かけて探しても見つからなかったらしい。
これだけの冊数、1ページ1ページ丁寧に見ている暇はないが、可能性が高いのは奥様である公華さんが読まないミステリーや怪奇小説だろうか。


「その類の本ならあの辺りにまとめてあるわい!」
「んじゃまずはそこから…ゴホゲヒガヘゲホ」
「探す前に病院で出してもらった咳止め薬、トイレで飲んでくれば?」


風邪気味の毛利探偵を先頭に、博士とコナン君もお手洗いへと向かう。
その後すぐ蘭ちゃんと園子ちゃんもお手洗いに行ったので、本探しに残ったのは沖矢さんと哀ちゃんになった。


「これは骨が折れそうですね」
「ミステリー好きとしては、中々興味深いですが…」


そう言った沖矢さんは、何処か楽しそうに推理小説や怪奇小説をテーブルへと運んでいる。
対する哀ちゃんは、興味なさげにそれらを手に取ると、1ページ1ページ捲り始めた。
私もそれに倣ってページを捲るが、これは確かに途方もない作業だ。


「絵里衣さんって本好きなの?あんまり読んでるイメージないけど…」


暫く沈黙が続いていたが、ふと哀ちゃんが話しかけてきてくれた。


「嫌いじゃないけど、日本に来てから読む機会は減ったかな。哀ちゃんは雑誌を読んでいるのはよく見るけど…頭良いし、沈黙の春で読書感想文とか書けそうだね」
「あれは中々興味深かったわ…」
「本を読むのが嫌いではないのなら、是非ウチの書斎に来て下さい。と言っても、持ち主は私ではなく家主の工藤氏ですが…」
「…絵里衣さんは今、貴方じゃなくて私と話をしてたんだけど?」


「それはすみません。仲間に入れていただきたくて」なんていつもの笑みを浮かべたまま、沖矢さんは私を見やる。
これは私と言うより、哀ちゃんをからかっているのだろう。
その証拠に、そっぽを向いてしまった彼女はまたページを捲る作業に戻ってしまった。








「あれ?蘭姉ちゃんと園子姉ちゃんは?」
「2人共君達のすぐ後にトイレに行きましたけど…」


暫くして、お手洗いに行った男性組が戻ってきた。
あれから何冊か見てはみたものの、開け方の書かれた紙はまだ見つかっていない。
と言うか、沖矢さんも哀ちゃんもかたちは探してはいるが、沖矢さんはキッドの気配を探る方メインだし、哀ちゃんは心底退屈そうだ。
かく言う私だって、やる気があるのかと聞かれれば答えにくい立場ではあるけれど。


「あらお醤油とみりんの匂い…肉ジャガかしら」
「あ、はい」


沖矢さんの袖口の匂いに気付いた公華さんは、自分の得意料理がご主人のお母様直伝の肉ジャガなのだと嬉しそうに続けた。
彼が今日阿笠邸にお邪魔するのに使ったのは、日本の家庭料理の定番・肉ジャガらしい。
哀ちゃんの警護と一応私の監視のため、事あるごとに隣家を訪問しなければならない彼の趣味の1つがこの料理なのだが、なんだかんだで器用な人だし、かなりのレベルになっていそうだ。
園子ちゃんと蘭ちゃんは、工学部の院生である彼が自炊していると聞いて好感度を上げたようだけど、その料理をする理由を知ったらどう思うだろう。


「あれ?園子、ちょっとメイクしてない?」
「さっきトイレの中でこっそり!だってキッド様が来るのよ?少しぐらいお洒落しなきゃ!」
「たとえ来たとしてもあの防犯装置や絡繰箱に阻まれて、中の月長石は盗れないんじゃないかしら?あのキザな大泥棒さんでもね…」


そう言えば───以前彼が真純ちゃんに化けたとき、お手洗いで入れ替わっていた。
と言うことはもしかして、もうこの中にキッドが紛れ込んだりしてる?
沖矢さんと哀ちゃん以外、皆この部屋から出ていったし、入れ替わる機会はいくらでもあったはずだ。


「!」


そんなことを考えていたせいか、本を取るために使っていた階段の上でバランスを崩してしまった。
が、すぐに強い力に引き寄せられる。


「…大丈夫ですか?」
「あ、はい」
「上の方は私が取りますから、絵里衣さんは危ないことはしないで下さい」
「不注意だっただけで、けして危ないことでは…」
「言い方を変えましょう。心配させないで下さい」


沖矢さんに抱き留められながら嫌味を頂戴すると、園子ちゃんが楽しげに口笛を吹いた。
蘭ちゃんが止めてくれているけど、またまんまと彼女達に先入観を植え付けたわけだ。


「ねぇ、絵里衣さん」
「どうしたの?コナン君」
「…キッドと何かあった?」


突然何を言い出すんだろう。
何かあった覚えはないし、何かあるとしたら…いや、やっぱり何かあるはずがない。
そもそも数える程しか会っていないし。


「何もないけど…私が何かした?」
「さっき園子姉ちゃん達がキッドについて喋ってる時もだったんだけど…絵里衣さんが昴さんと喋った時も、キッドの気配がした気がするんだ。だから羨ましかったのかなって思って」
「ホー…彼が絵里衣さんに、何らかの感情を抱いていると?」


つまりキッドが沖矢さんと私の仲に嫉妬した結果、自身の気配を揺らしてしまったってこと?
まさか…それこそ有り得ない憶測のように思える。
「気のせいかな」とは言うものの、私の返事が腑に落ちなかったらしいコナン君は、再び何かを考え始めた。



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