前々から考えてはいたが、阿笠博士の家から出ようと思う。
沖矢さんと哀ちゃんのこともあったからお言葉に甘え続けていたけど、先日私の顔を知る組織員と出会してしまったし、今がそのタイミングと言えるだろう。

私の意見を聞けば、おそらく組織に関わる2人共いい顔はしない。
けど、此処で気付かぬフリをすれば、同じく居候の哀ちゃんは勿論、沖矢さんにまで探りが入る可能性がある。
だから私がわざとらしく動いて攪乱出来ればそれでいいし、釣れるなら釣れるでそれもまたアタリだ。

早速ネットで調べた物件何件かに見学に行ったが、即決出来るようなところはなかった。
今までの私なら考えなくて良かったことも考えないといけなくなったせいで、少々難航気味だ。
また家に帰ってネットサーフィンしなくてはならない。


「あれ…絵里衣さんじゃないですか」
「安室さん…」


道端でばったり出会したのは、私服姿の安室さんだ。
まさかこんな所で会うなんて。


「先日ぶりですね。またお会い出来て嬉しいです」


『安室透』の仮面をすっぽり被った彼は、眩しい程の営業スマイルを見せてくれる。


「私もこんな所でお会いするとは思っていませんでした。ポアロから距離もありますし…」
「午前中はポアロにいましたが、実は先程までクライアントと会っていたんです。海外出張が多い方なので、その方の仮住まいに今日この時間しか伺えなくて…」


しっかり私立探偵としての仕事もこなしていると聞いていたけど、朝から一仕事し、そのバイト先から離れているクライアント宅にまで足を運んでまた仕事とは、さすがの多忙ぶりである。
にしても、同じような高層マンションばかり立ち並ぶこの一角が仮住まいとは、クライアントはさぞ大物なのだろう。
治安とセキュリティーの観点から私もこの辺りには目を付けているが、ほとんどが桁違いの分譲で、他国籍の私には色々な意味で手が出し辛いエリアだった。
いずれ日本で暮らすかもしれないけど、今はまだFBIで働くつもりだからね。


「絵里衣さんも中々行動範囲が広いですね」
「楽器練習のためにたまに遠出はしますが…今日はちょっと物件を探していて」
「お引っ越しですか?」


それから、立ち話も何だから…と安室さんに誘われるがまま、喫茶店でお茶をすることになった。
彼の車が置いてあるパーキングの近くだからと選ばれた店は、メジャーなチェーンのせいか、店内はほぼ満席で賑わっている。
その片隅でコーヒーを飲んでいるだけなのに、入店してからずっと周りの女性客やウエイトレスからの視線が痛い。
いくら私でも、これだけあからさまな視線は分かる。
伊豆に行ったときもそうだったけど、彼の容姿は本当に女性受けがいいのだ。


「確か、今は阿笠博士の家に居候されているんでしたっけ」
「はい。元々住んでいたアパートが火事になって…次にいい所が見つかるまでと思っていたのに、ずるずる甘えてしまっていて」
「女性の一人暮らしなら条件も多いでしょうしね。この辺りでお考えですか?治安やセキュリティーからすれば好条件だと思いますが…」
「いえ…たまたま最後に見た物件がこの近くだっただけです」


なるほど、と言った安室さんは、徐にポケットから引き抜いたスマートフォンを操作し始めた。
どうやらメッセージを送っているらしい。


「もし宜しければ、僕に物件探しを手伝わせて下さい。先日知り合った…と言うかクライアントなんですが、不動産業界の方がいるんです」
「えっ、でも…」


柔らかく垂れた双眸が、真っ直ぐに私を射抜く。


「勿論絵里衣さんが気に入る物件はないかもしれませんが、選択肢は広がりますよね」
「それはそうですけど…」
「本当は僕の家に来て下さいと言いたいところですが、それはまだ時期ではないと思いますし…少しでも絵里衣さんの力になりたいんです」


伸ばされた大きな手が、テーブルの上で手持ち無沙汰だった私の手に重ねられた。


「それとも…僕では力になれないでしょうか」


トドメと言わんばかりに、あんなに強気だった瞳を揺らして覗き込まれる。


「あむ…」


───ガシャンドサッパリン!


その時、何かが倒れるような音、食器の割れるような音が響き渡った。
驚いてそちらを見れば、私達の斜め横のテーブルを片付けていたらしいウエイトレスが、鼻でもぶつけたのか、顔を押さえて蹲っている。
他の店員が慌てて駆けつけ、「失礼致しました!」と謝罪しているけど、向かいの席の女子高生達は同情の眼差しを向けているし、またその向こうのテーブルの主婦らしき女性達からは「あれは仕方ない」「知的かと思っていたらまさかの可愛い路線」「今のは確実狙ってた」なんて会話が聞こえてきたから、事件性はないようだ。
───いや待って、位置的にこれもしかしなくても安室さんのせいなんじゃ…。


「怪我はありませんか?」


その声にハッとして向き直れば、安室さんは私の足元を気にしているようだった。
ガラスが散っていないか気にしてくれているんだろうけど、そもそも原因が自分だと分かっているのだろうか。


「私は大丈夫です。ガラスは逆側に散っているみたいですし」
「なら良かった。貴女に怪我なんてさせたら、僕はもう生きていけません」
「大袈裟ですよ」


最初から最後まで優しく、エスコートまで完璧だった安室さんのお言葉にほぼ強制的に甘えさせられるかたちで、その後は彼の車で近くまで送ってもらった。
その間にしっかりと、彼のクライアントである不動産業を営む男性とのアポイントも取り付けられている。
無駄も抜かりもない完璧人間は、今日も今日とてそれはもう何も出来ないぐらいとことんスマートだった。
───そう、此方が疑いもせず全てを飲み込んでしまう程に。



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