警察庁に侵入したキュラソーからの中途半端なメールにより、ノックの疑いがかかったバーボンもとい安室透、キールもとい水無怜奈は各々脳をフル回転させて脱却方法を思案していた。
とある横槍により火急の始末は免れたようだが、以前ジン達に生死を握られたままの状況は変わらない。
埠頭の人気のない倉庫で未だ柱に後ろ手に手錠をかけられ拘束されたままの水無と、突如倉庫が暗転した隙に拘束からは逃れ物陰に身を潜めることとなった安室。
両者共にキュラソーのメールの通りノックであり、目的達成のために此処で死ぬわけにはいかないのだ。

別の場所で待機していた蝶を携えた狙撃手との通話を終えた長身痩躯の男に、蠱惑的な容姿の女が声をかける。
彼らの会話に不穏な文言が登場したからだ。


「ジン、まさか本気でアレを使う気じゃ…」


その回答を得る前に、外へ飛び出して行ったと思われるバーボンを追っていたウォッカが倉庫へ駆け込んでくる。
洞察力に長け諜報を得意とするバーボンは勿論頭が切れる男だが、今回急遽一時的に彼の代役を勤めた人物もそれは頭が切れる男だ。
更に組織のNo.2であるラムからの電話───優秀な探偵の機転もあったお陰で、見事窮地を脱することに成功したらしい。


「兄貴、駄目です!逃げられました!」
「構わん。バーボンとキールは後回しだ。まずはキュラソーを奪還する」


膝をついたまま身動きが取れないキールに一切の興味を無くしたらしいジンは、真っ黒なコートを翻すと扉へ向かい歩みを進める。
その途中、ふと先程ポケットへ仕舞ったばかりの携帯を取り出した。


「しかし病院には警察や公安共が…」
「キュラソーは既に病院を出た」
「では何処へ?」


不思議そうなウォッカを横目に、ジンが歩みを止める。
その鋭い視線が、携帯の画面に向けられた。


「行き先は、東都水族館」


暗闇の中にいるベルモットが、驚きに目を見開く。
彼の布石に気付いたからだ。


「ジン、貴方まさか、こうなることを読んであの仕掛けを…?」


肯定も否定もせず、フン、と鼻で笑った男は、片手で素早く操作した携帯をしまう。


「ベルモット、エリングについてあの方からの命令だ」


倉庫内で聞き耳を立てることとなっていた安室透は、急に登場した聞き慣れない単語に眉を顰めた。
コードネームを持つ彼は、組織の中では比較的上の地位にいるはずなのだが、その彼が今まで一度も聞いたことのない単語だったのである。


「状況に応じて、殺しはせず生きたまま連れてこい───だそうだ」
「これからキュラソー奪還にアレを使うって言うのに…忙しくなりそうね」
「今はキュラソー優先で構わねぇ。例え所在が割り出せなくとも、リニューアルオープン当日の東都水族館に足を運ぶ女だからな…」


息を殺す安室の脳裏に、嫌な考えが過ぎった。
奴ら組織はどういうわけか、ある東洋系の女を生け捕りにしようとしている。
それは組織に属する安室自身、よく知っている話だ。
現時点で『エリング』が何を示しているのか定かではないが、今のジンとベルモットのやり取りは、そのある女の話と似通っているのである。
もし、この話がある女、つまり例の『お姫様』に関することであれば、安室は───降谷は一刻も早くこの会話の意図を読み取り、次の行動に移らねばならない。

持ち前の知識と経験をフル活用し、降谷は思考を巡らせた。
不可解な単語『エリング』は、間違いなく人物、しかも女性を指し示している。
エリング───erringとは、『間違いをする』や『誤る』といった意味の動詞errの現在分詞形だ。
ラテン語の『道に迷う』が語源であり、『道から逸れる』といった訳があてがわれることもある。
そのままの意味で考えていいのか、それとも何かを省略した形なのか、はたまた暗喩や隠語なのか。
焦る気持ちが選択肢を奪っていく。
しかし此処で焦っては、真相を掴むどころか自らの命が消えることになってしまうだろう。


「ウォッカ、行くぞ。車を回せ」
「はい!」


倉庫に残っていた3人が出て行った。
独特のエンジン音が消えるまでもう少しだ。
音を立てぬよう深呼吸し、男は再度思考を切り替える。
落ち着いて、冷静に、機会を逃してはいけない。

そろそろ頃合いかと気配を窺っていると、ふと彼の脳裏に1つの可能性が浮上した。
アナグラム、つまりerringのアルファベットを入れ替えると、ringerになる。
そう聞く単語ではないが、ringerの意味は『鈴を振る人』や『替え玉』、そして───『非常によく似ている人』。
一般的に『死』と訳されるdeadを付け足したdead ringerという形で『瓜二つ』とでも言えば、何重もの意味で彼らの会話と辻褄が合うだろう。
即ち、同じ生け捕り対象である、ワシントンで消息不明となった『お姫様』と似通った人物───斎藤絵里衣を、状況に応じてけして殺しはせず、生きたまま連れてこいという会話だと取れるのだ。
降谷も自身の目で確認した通り、彼女は何故か昨晩、あの赤井秀一と共にカーチェイスに参加していた。
本職でこの件について動き、キュラソーの所在を確認するために東都水族館にいたところ、ジン達の目に留まったとしても不思議ではない。
あの2人の会話から察するに、恐らく『東都水族館敷地内にお姫様によく似た人物がいた』というだけで、そのよく似た人物の容姿以外の情報はまだ調べがついていないのであろう。
早く手を打たなくては、本当に奪われてしまうかもしれない。

盛大に舌打ちしそうな程逸る感情を無理矢理飲み込み、降谷は周囲に気を配りながらも駆け出した。
ノックリスト、組織の情報、そして個人的に絶対守り通さなければならない女のために。


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