「ところで絵里衣…俺に言うことがあるだろう」


車内が先程とは別の緊張感に包まれる。
私に見えていたのだから、当然赤井さんにも見えていたというわけか。
それでいて、火に油を注がないように零さんの前では黙っていた、と。


「……彼女は私を見て、『プリンセス』と言ったように見えました」
「やはりな。選りに選って、組織のNo.2の腹心とは…」


さて、どうしたものか。
彼女が私を見て、組織が捜している『お姫様』だと認識したのであれば、奴ら組織は既に私の顔を完全に特定している可能性が高いだろう。
世の中には自分ととても顔立ちの似ている人が3人いると言うし、ドッペルゲンガーやバイロケーションなんて言葉で片付けられれば楽なんだけど。


「本当に家から一歩も出られないようにしてやってもいいが…」
「デッドエンドはいりません。明日は少年探偵団と水族館に行く約束もしているんですから」
「冗談だ」
「赤井さんは何処からが冗談で何処からが本気か分かりません。安室さんといい赤井さんといい、何でそんな誤解を招く言い回しばっかりなんですか…」
「ホー…また彼か」


ガクン、と体が揺れる。
赤井さんが急ブレーキを踏んだからだ。
一体何があったのかと左を向けば、身を乗り出してきた彼の利き手が後ろの窓ガラスに伸びた。
此方を見る2つの翡翠は酷く不機嫌そうで、元々よくない目つきが更に悪く見える。


「彼を煽るなと言うわりに、自分はよく煽ってくれるじゃないか…」
「……?」


どうやら私は、いつぞやのちょっとした拉致監禁事件から更に過保護に拍車がかかっている赤井さんの、何かのスイッチを入れてしまったらしい。
酷く冷たいのに熱いソレが、間抜けな私を射抜く。


「俺はけして出来た男ではなくてね」
「あの、赤井さん…?」
「煽られれば…燃えるんだよ」
「…………ん…っ」


空いた右手で顎を持ち上げられたかと思えば、そのまま重ねられた唇。
すぐ近くにある端正な顔、嬲るように薄く開かれた翡翠を見ていられなくてキツく目を閉じる。
両手で彼の筋肉の張った胸を押し返すが、物ともせずに私の唇を数度舐めて食むと、するりと舌まで差し込んできた。


「…っ、待…ぁ、赤井、さ…」


抵抗も何もかもを飲み込まれ、絡め取られる。
何で彼とこんなことをしているのか。
何で彼とこんなことになっているのか。
脳までも全て蕩けてしまうように弄られ吸い上げられ、主導権を握る彼が満足するまで離してもらえそうにない。
じわじわと奪われる理性、どんどん欠けていく思考、この心臓の鼓動すら支配されているような感覚。
押し返していたはずの両手は、いつの間にか彼のジャケットに縋りついていた。
そうでもしないと、赤井さんに私の全てを持っていってしまわれそうだ。

リップノイズと共にやっとのことで腰が抜けるような激しい刺激から解放された時、すっかり骨抜きにされた私は力無くシートへ凭れる羽目になった。
煩い心臓と乱れた息は簡単に戻ってはくれない。
いつも余裕たっぷりな赤井さんですら、熱い息と共に吐き出したのは私への怒りだけではないようだ。


「これでお分かりいただけたかな?」
「…もう…意味が分からないです……何でこんな…」
「煽ったのはお前だ。これに懲りたらもう少し俺を意識することだな」


熱が集まる頬を見られたくなくて顔を背ける。
鼻でふっと笑った赤井さんは、その熱くなった頬をわざとらしく撫でてから運転を再開した。
もっと考えるべき大問題に直面しているというのに、意図も容易く私を翻弄する彼はやっぱりとても頼りになる味方であり、同時に最も厄介な人物である。


「明日の水族館行きは許可するが、状況が状況だ…分かっているだろう?」
「……はい。彼女があれで死んだのなら、私がこの近辺にいるとバレてはいないでしょうが…どちらにしろ、そっくりさんとして民間人を貫くべきでしょう」
「もう少し、余韻で動揺してもらいたいぐらいの回答だな…お気に召してはもらえなかったか」


人がせっかく真面目に考えているのに、さっきのことをぶり返すのはやめてほしい。
ぞくぞくと駆け上がるそれを思い出したら、羞恥で顔が見れなくなる。


「………とりあえず適当に用をでっち上げて皆と一緒の入場は避け、かつ早めに抜けようと思います。沖矢さんの名前を借りても?」
「構わない」


沖矢さんに呼び出されたから帰ると言えば、私が彼に会うのをよく思っていない哀ちゃんはまだしも、コナン君は本職絡みだと察してくれるだろうし、残り3人は彼との仲を嬉々として冷やかすぐらいで大した影響はないだろう。
もしかすると沖矢さんを優先することに嫉妬するかもしれないが、そこはそっちの方向に誤解されてでも丸め込むしかない。
これでひとまず、少年探偵団との約束も守りつつ、民間人からFBIへ切り替えることが出来るはずだ。
端から行かないというのが周囲を考えるなら安全だけど、下手にそうしてしまうと私が例のお姫様であると証明しているようなものだから、民間人としてかつFBIとして言い訳出来るようにしておきたい。
ノックリストの流出有無、そして私のことを何処まで察しているのかはジェイムズさんや本部が洗い出してくれるだろう。
その頃に、私もあくまで民間人として別件のために抜け出し、鳥籠として、そして諜報員の娘として動き出せばいい。


「発信器は持ち歩いておけ。それから携帯には常に注意していろよ」
「分かりました」


ひょい、と無造作に投げられた発信器をハンドバッグに仕舞い込む。
互いに別の意味で顔を見られてはならない2人が行動を共にすることになるとは…何て危険な案件だろうか。
赤井秀一として組織に顔を見られてはならず、尚且つ零さんの前では赤井秀一として顔を見せなければいけない赤井さんに、顔がバレていようがいまいが、あくまで民間人として組織の視界からフェードアウトが好ましい私。
気を緩めた瞬間、後手に回ることになるようなシーソーゲームは勘弁してほしい。


「ありがとうございました。失礼します」
「ああ」


再度付近を確認しにいくという赤井さんに阿笠邸近くで降ろしてもらい、去っていく赤が小さくなるのを見送ってから歩みを進める。
ちょっと胸騒ぎがしたからとコンビニに行っただけで、まさかこんなことになろうとは…。

赤井さんにはああ言ったものの、私の立場はかなり悪いだろう。
組織は恐らく、お姫様=FBI関係者と認識しているはず。
つまり私=お姫様だとバレてしまうと、下手すれば芋づる式で表側もFBI側も全部やられてしまうのだ。
民間人としての私と、FBIとしての私、この両方を同時に存在させることが出来れば話は早いが、そんなこと出来るはずがない。
母らしき人物が身代わりになってくれた時のようなフェイクが再現出来るのなら、もうとっくに実行に向けて動いている。
やはり、今回私はただのそっくりさんを貫き通すしかない。
それでいて周りの、特に哀ちゃんを巻き込まないように、むしろ彼女から遠ざけるように動く必要がある。
哀ちゃんから離れながら、組織からも一定の距離を保ちつつ民間人と認識させるなんて、骨が折れるどころのレベルじゃないでしょ。
それもこれも、まずはあの女の生死、そして組織内での私の認識度、更にあの女の話が何処まで伝わっているかによるけどね。
本来であればこれを囮として奴らと一悶着と洒落込むのに……条件が悪すぎる。

念には念を入れて、明日は1人電車で行くことにしよう。
それから、どうやらもう一度コンビニに行っておく方がいいようだ。
最悪の場合、物凄く最悪の場合、私は『鳥籠』として奴らの前に出なければならなくなるかもしれないから。








後味の悪い夜を越え、翌朝私は1人で東都水族館へとやってきた。
博士達には「メンテナンスに出していた楽器を引き取ってから向かう」と伝え、車で先に行ってもらったのだ。
時間をずらしたと言っても、この水族館は今日がリニューアルオープンの当日で中々の混み具合のため、結局そんなに時間差はないかもしれない。

さっさと子供達と合流し、ある程度民間人を演じてから本職に戻らなければ。
とりあえず観覧車のある方に向かいながら誰に連絡しようかと携帯電話を取り出せば、ちょうどそれが着信を告げる。
登録外番号のそれは、ここ数ヶ月ですっかり見知った彼の連絡先だ。


「おはようございます」
『おはよう。もう中に入ったのか』


律儀に挨拶は返してくれたものの、すぐさま端的に用件が述べられる。
運良く空いている通路脇に設置されたベンチに背負っていた楽器ケースを下ろしながら肯定を返すと、「そうか…」と何とも彼らしい返事が返ってきた。
その言葉尻に不穏な空気を感じた私は、続きを促しながらケースの隣に腰を下ろす。


「何かありましたか?」
『いや、やはり奴は生き延びているようでな…お前のいる東都水族館付近に姿を眩ませている可能性が出てきた。日本警察もまだ捜索を続けている』
「あれだけの爆発に巻き込まれれば怪我もしているでしょうし、まだ身を潜めていても不思議ではないというわけですか…」


これはいよいよ、民間人として少年少女達と水族館を楽しんでいる場合ではないようだ。
それとなく周囲を観察し、その過程で出会わなければそのまま謝罪の電話だけして此処を出よう。
もし例の彼女に遭遇したとしても、結局私1人では太刀打ち出来ないだろうし、何より私繋がりで皆に被害が及ぶのは絶対に避けなければいけない。


「まだ建設途中のエリアもあるみたいですし、ひとまず周囲を窺ってから合流、でいいですか?出来るだけ遠巻きに確認するので」
『くれぐれも気を抜くなよ』
「了解です」


通信が切れたのを確認してから、それなりの重量である楽器ケースを背負い直し、私は今歩いてきた道を引き返した。


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