「ありがとうございましたー」


深夜らしい気怠い店員の声を背に自動ドアを潜る。
入口付近にあるゴミ箱横で、チェーンのコンビニ御用達のコーヒーに口をつけると、私は人知れず溜め息を吐いた。
明日皆と東都水族館に行くのが楽しみで眠れない───なんて小学生のような理由で眠れないのなら可愛いものだが、生憎そんなキャラでもなければ年齢でもない。
寝付きは良かったはずなのに、勘とでも言えばいいのか、妙な胸騒ぎがして起きてしまったのだ。
そのせいですっかり目が冴えてしまったので、こんな時間にレギパンとゆったりしたドレープTシャツという何とも緩い格好でコンビニに来る羽目になったのである。
念には念を入れて、拳銃を忍ばせたハンドバッグを持っているところ以外、完全に夜中に暇を持て余した民間人だ。

空になった容器をゴミ箱に放り、帰路につく。
万が一こんな姿を知人に見られ、それが隣人の耳に入ろうものなら、過保護すぎる彼からたっぷりお説教を食らうことになるだろう。
それこそ、本当に家から出してもらえなくなるかもしれない。

そんな懸念を更に煽るように、見たことのない厳つい赤い車が横に附いた。
明らかに私目当ての行動に不快感露わに立ち止まれば、此方側である左の窓ガラスが下げられる。


「……あ………!?」


そこに現れた人物の名を咄嗟に飲み込んだ私を誰か褒めていただきたい。
左ハンドルの運転席から、黒いニット帽を被った目つきの悪い無表情を貼り付けた男が、真っ直ぐに私を見ていた。
死んだはずの男───赤井秀一が、私を。


「こんな時間に外に出ているとは…枷が必要なら望み通り用意するが」
「……すみません。少し胸騒ぎがして目が覚めてしまったので」


誤魔化せる程の手札を持っていないので正直にそう返すと、赤井さんはほんの少し目を瞠った。
何かあったのだろうか。


「……お前に全く関係のない話でもないからな。乗れ」
「は?」
「話は中で。飛ばすぞ」


状況がよく分からないまま助手席に乗り込む。
ぐんぐんスピードを上げる車内で赤井さんの口から飛び出したのは、確かに私にも少なからず関係のある緊急事態だった。


「組織の奴らが、今晩警察庁に…?」
「ああ…しかも狙いはノックリストだ」


NonOffcial Cover、通称NOC。
つまり奴らの狙うノックリストとは、私達のような立場の人間ならその名称を知らぬはずがない、諜報員情報一覧のことである。
日本警察のノックリストがどれ程のレベルのものか知らないが、アンダーカバーを担っていた赤井さん、現在もその職務を全うしている零さんや水無怜奈、そして───


「私の母が載っているかもしれない、と」
「警察庁が保持するノックリストだからな…SISMIの狼と謳われるイタリアの諜報員、斎藤レベッカの情報も含まれている可能性は高い」


何と言うことだ。
ノックリストが外部に漏らされれば、もはや戦争の火蓋は切って落とされたも同然。
分かってはいたものの、身近な人間の死が急速に現実味を帯びてくる。
個人情報を含む情報管理を請け負う『鳥籠』として、そして以前身代わりとして他国の諜報員に命を救われている身として、ノックリスト漏洩は必ず防がなければならない。


「ありがとうございます、教えて下さって」


ハンドバッグからそっと腕を引き抜き、膝の上に晒したのは鉄の塊。
ジャムらないようにいつも手入れはしてあるし、今日阿笠邸を出る前にも確認済みではあるけれど、もう一度異変がないか確かめる。
掌に収まるその銃は、小柄で華奢だと言われる私の手によく馴染んでいた。


「ベスト・ポケットか」
「最近物騒なので」
「…護身用、と」


さすが、一目見て分かってしまう赤井さんは何でもお見通しのようだ。

今日持ち歩いている拳銃は、コルトM1908ベスト・ポケット。
アメリカではお馴染みの自動拳銃である。
名の通り、ベストのポケットに入れておける大きさのこの銃は、精密射撃には向かないものの、力の弱い女性でも扱いやすいからと護身用に人気の銃なのだ。
此処が日本でなければ、私がプライベートで所持していても何ら不思議はない。


「お前に銃を使わせるつもりはないがな…」
「撃つつもりはありません。それが積んであるのなら出番もないでしょうし」


彼お得意の物が積んであるであろう後方に、チラリと視線を送る。
この人にライフルを使わせれば右に出る者はいないのだから、私が撃つ暇なんてないだろう。
あの赤井秀一なら、私が構えているうちに標的射殺なんて朝飯前のはずだ。
何とも頼もしいが、同時に絶対敵に回したくない相手でもある。

ぽつぽつ会話をしながらもかなりの速さで走っていた車が、緩やかにスピードを落とし、停車した。
暫し車内に沈黙が落ちる。


「……!」


通る車の音ぐらいしか聞こえていなかった静かな空間を、突如劈くような急ブレーキ音とクラクションが裂いた。
途端、エンジンを吹かした私達が乗る車も勢い良く飛び出す。

前を走る古そうな黒い車は、容赦ない荒っぽい走りで高速に入ると、前方の車を次々と縫うように進んでいった。
対する赤井さんの運転技術もFBI切ってのものだ。
そう簡単に振り切られやしない。
代わりに、助手席の私はいろんな意味で必死ではあるが。

その時、私達の横を更に荒っぽい白い車が駆け抜けていった。
それは凄まじいスピードで、例の人物が乗る黒い車に突っ込んでいく。


「あの何か綺麗な白い車って…」
「車種を言えとまでは言わないが、もう少しマシな表現は出来ないのか」
「すみません、免許は入局のためだけに取得したペーパーで、車に拘りもなくて」
「RX-7…お前の想像通り、安室透の愛車だ」


やっぱり安室透───零さんか。
本職で動いているのは分かるけど、相手は組織の人間だというのに堂々と追跡していいものなのだろうか。
まぁノックリストを漏洩されればそれどころの騒ぎではなくなるが、潜り中の零さんにはどっちにしろ不利すぎる。
此処日本で私達が出しゃばって、阻止出来ればいいけれど。

組織・公安・FBIという何とも豪華なメンツで競り合いを続けながら、激しい音を立ててドリフトする。
ライトに照らされて、前を走っていた車の運転席が見えた。
右ハンドルの車と左ハンドルの車が、左カーブでドリフトを決めたのだから、運転席に座る両者は互いの顔をそれはよく確認出来ただろう。
何故か昔から馬が合わないらしい、互いの顔を。

整った顔立ちを驚きの色に染めた零さんは、助手席にいる私にも分かるぐらい明確にその名を口にした。
これで愛国心の強い彼に火が点いたのは間違いない。
元々熱く真っ直ぐで誇り高くて、目的のためなら自分の身を投げ出すことも厭わない彼のことだ、赤井さんへの対抗心で更に過激になるだろう。


「先に言っておきますが、安室さんを煽るのはやめて下さいね」
「それは彼の態度次第だな」


聞く気ないなこの人。
2人が啀み合ったところで損しかないのだから、もう少し周りを見て行動してほしい。

私の心配なんてお構いなしに、さすが組織の人間とでも言えばいいのか、周りの被害を一切考えない奴のせいで前から吹っ飛んできた車を躱す。
と思ったら、何故か赤井さんは車を急停止させた。
零さんは、相変わらず凄まじい速さで奴を追っていく。


「降りろ。迎え撃つ」
「…渋滞ですか」


あれだけ激しくカーチェイスをしていたにも関わらず、いつの間に確認したのかカーナビにはこの先の渋滞情報が表示されていた。
車間距離も狭い渋滞の中、あの形振り構わない零さんの猛攻を振り切れるはずがない…つまり赤井さんは、奴が切り返して引き返してくると読んだのか。
一体いくつ同時進行で考えているのやら。

大人しく助手席から降りた私は、ボンネットでライフルを構える赤井さんとは反対に、後輪側に身を潜めた。
彼は対象を処分するつもりのはず───どう考えても私の出番はないが、用心に越したことはない。
いつでも撃てるように、身を守れるようにハンドガンを構える。

遠くから叫び声のようなスキール音と連続したクラクションが聞こえた。
此方へ突っ込んでくる黒い車は、スピードを落とす気配がない。
殺すための狙撃だと気付いたらしい気性の荒そうな女が、姿を隠すように身を伏せる。
そして次の瞬間、赤井さんの放った弾丸が前輪を撃ち抜き、制御不可となった車は大きく右にハンドルが切られた。


「……!?」


その時、女と目があった。
束ねた銀の髪、左右異なる色彩のオッドアイ───その類い希な双眸で間違いなく私を認知した女の唇が、動く。
読唇術なんて修得していないが、彼女の唇は単純な文字を、一番聞きたくなかったあの単語を形作った。
まさか、もう私のことを───?

一瞬の邂逅の後、女の車は、私達の背後で立ち往生となっていた一般車両も巻き込んで下に落ちていった。
激しい爆発音と共に大きな火が上がる。
海沿いの倉庫街へ車ごと落下し爆発…つまり最悪、彼女をまんまと逃がしてしまったかもしれないということだ。


「赤井、貴様…!」


その後すぐに此方に戻ってきた零さんが、その跡を見て忌々しげに悪態を飲み込んだ。
対峙する赤井さんは、彼を睨み返すだけで何も言わない。
遠くからサイレンが聞こえてくる。
私達も零さんも、早くこの場から去らないと。


「日本警察からすれば、不愉快な行動であるという自覚はあります」


私が後ろからそう口を挟みながら歩み寄れば、零さんはびくりと肩を揺らした。
色々な意味で赤井さんしか見えていなくて、私に気付いていなかったのだろう。
丸く見開かれたその瞳は、酷く動揺しているようだ。
しかしすぐさま切り替わるその様子に、彼の聡明さが表れている。


「……貴女がそちら側だと理解はしています。だからと言って、俺は彼との約束を違える気はない」
「零さん…」


踵を返し、彼は足早に立ち去った。
車が小さくなっていくのを眺めていると、背後から肩に手を添えられる。


「随分見せ付けてくれるじゃないか」
「ややこしい言い方はやめて下さい。前にもお話ししましたが、彼は三足の草鞋だけでなく、私の父の個人的な頼みも遂行しようとしているんですから…」
「だからこそ妬けるんだよ」


赤井さんといい沖矢さんといい零さんといい安室さんといい、何でそう皆含んだ言い回しをするんだろう。
互いが互いにそんなことをして腹の探り合いをするせいで、より一層拗れてややこしいことにしかなっていないではないか。


「帰るぞ」
「はい」


素早く助手席に乗り込むと、車は闇の中を米花町に向かって走り出した。
私が零さんと話している間にジェイムズさんに状況は報告済みらしく、後は足がつかぬよう姿を消すだけらしい。
目立つ車3台で首都高を滅茶苦茶にして変電所にまで被害を及ぼしておいて、ではあるが、警察庁としてもこの件を公には出来ないだろうし、私達側はジェイムズさんが上手くやってくれるのだろう。


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