今日は哀ちゃんと一緒に、ちょっと贅沢な夕食を作る約束をした。
贅沢と言ってもなんちゃってレストラン風に、前菜からデザートまで簡単なコース料理にして雰囲気を味わうだけだけど、普段よりちょっぴり刺激のある日になるだろう。

そんなわけで、小学生とは思えない程大人びた彼女が学校から帰ってくる前に買い出しを済ませようと近所の行きつけのスーパーに行ったら、一人暮らしではまず手に取ることはないであろう大きめのアイスの箱を抱える知人に遭遇した。
整った容姿が主に女性から注目を集める彼は、近くの喫茶店でアルバイトをしている私立探偵の安室透だ。


「おや、絵里衣さんじゃないですか。こんな所で会うなんて、僕は今日ツイてるみたいですね」
「お久しぶりです、安室さん」


にこにこと人懐こそうに笑ってくれた彼の正体を、今此処にいる何人が見抜けるだろうか。
私も私でこう見えて米国の某捜査局員だけど、彼は日本警察の中でも少々特殊な任務に就いている人物である。
そのせいで、密かに裏で繋がっている私達の会話は、やはり穏やかなものではなかった。


「あの男とは会っているんですか?」
「…いえ」


『あの男』が誰を指すか分からない程私も馬鹿ではないが、目の前の彼と色々あったらしい私の死んだはずの仕事仲間は、今日も今日とて隣家で仕事中のはずで、そしてそれは彼の言う『あの男』であって『あの男』ではない。
屁理屈だろうが何だろうが、私の返答に間違いはないだろう。


「…そうですか。絵里衣さんの隣にあるべきは此方だと、伝言をお願いしたかったんですが」
「私絡みだけでなく、あの人に何を言っても嫌味しか返ってきませんよ」
「…そうかもしれませんね」


むしろ、真面目に回答されたら私が困るというのが本音だ。
いつもふざけているわけじゃないけど、あの人は常に私より上にいて、余裕たっぷり首を絞めるタイプだから。
時には希う程にゆっくりと。
またある時は躊躇いもなく一瞬で。
そんな人からすれば、私なんて掌の上の駒にすぎない。


「あ、そうだ。良ければ今日、ポアロに来てもらえませんか?勿論、その荷物を置いてからで結構ですので」
「ポアロに?」
「ええ。小さな探偵達にお礼をしなければならないはずなので───と言うのは建前ですけど」


甘いマスクでクスリとしながらサラリと言ってくれたが、私はどう受け取るのが正しいのだろうか。
意図的な接触を避ける方が好ましいはずの彼が、敢えて近付くよう言うのだから、重要度は低くはないはず。
でも逆に、重要度が高ければ私の耳に入れておくべき事象も多いだろうから…判断がつかない。
まぁ、この人の頭の良さが私以上であることは確実だし、大きな被害に繋がらないから声をかけたのだと信じよう。
そう言えば、博士がコナン君から預かっているサスペンダーの修理が終わったと言っていたから、会える可能性があるなら持っていくのがいいかもしれない。


「…分かりました。後でお伺いします」
「ありがとうございます。お待ちしてますね」


いそいそとバイト先で使うのだろうアイスを買って帰る彼の姿は、まさに『安室透』そのものだった。








約束通り私がポアロを訪れたのは、安室透料理講座が今まさに行われようとしていた時だった。
少年探偵団の無邪気な3人に急かされてカウンターまで向かうと、安室さんからは優しい笑顔、コナン君からは絶句、見知らぬ男性からは会釈、そして看板娘の可愛らしい店員からは意味深な明るい挨拶が送られる。
いやホントこれ…何?


「ハムは安いものでいいんですが、出来るだけ脂のないものを選んで下さい」


全く事態は読めないが、安室さんの料理講座が始まった。
メニューはハムサンドらしい。
使うのは、スーパーでよく見かける食品会社のハムみたいだけど…ハム…安い…公安?
いや、警察機関の人間はそれぞれその国に忠義を尽くしてるだろうけど…まさかね。
そんな単純な理由でハムサンドとか…まさかね。

それにしても、安室さんの料理のクオリティは素晴らしかった。
ハムにオリーブオイルを塗り、マヨネーズに隠し味の味噌を混ぜ合わせる。
レタスをお湯に浸してシャキシャキ感が続くようにして、見切れ品のパンを蒸し器でふわふわに───って、いやほんと彼何者?
専門家なの?
ただのアルバイトが、ただの私立探偵が、ただの公安警察が、こんなこと知ってるのって普通なの?
もしかして私は、日本警察を侮っていた?

薄々感じていた通り、私の周りには普通じゃない人が多い。
言葉では表現しきれないけど、とにかく一般社会の考えでは枠に収まらない人が多いのだ。
それぞれのベクトルは別方向に好き勝手向いているせいで、個性は広がったまま戻る気配がないではないか。


「私は、パン職人です。パンなら工夫出来ます。だから…だから、あなたのこのサンドイッチをウチの店で売らせて下さい!」


一同が安室さんのテクニックに感心している中、パン職人の男性は、見ている此方がそれは吃驚な程真っ直ぐ熱意を持って頼み込んだが、私は別の意味で驚きを隠せなかった。
勿論、職人にここまで言わせる日本警察の器用さにである。


「お、おじさん…いくらなんでもそれは…」
「いいですよ」


───そう言えば、私何しに此処に来たんだっけ?
ああそうだ、安室さんだ。
完全にハムサンド講座に巻き込まれてるけど、彼と話をするために来たんだった。
赤井さん絡みかと思いきやそうではないみたいだし、となれば父か組織か…何にしろ場所は変えることになるだろう。

そうこうしているうちに、手早く人数分のハムサンドを作った安室さんに促され、私もそれにお邪魔することになった。


「出来ました。さぁ、どうぞ」
「「いただきまーす」」


続いて、すぐにあちらこちらから絶賛の声が上がる。
確かにこれは美味しい。
温かみと味に深みのあるサンドイッチは、小洒落た喫茶店にもよく似合っていると思う。
いや、小洒落たは失礼か…でも、街の一角の小さな喫茶店で気軽に振る舞われているとは思えないクオリティだ。


「ちょっと失礼」


喜ぶ面々を優しく見ていた安室さんが、一言断って席から離れた。


「はい、安室です」


どうやら電話がかかってきたらしい。
それを横目にコナン君に声をかければ、彼はじっと安室さんの背中を見つめていた。


「あ、そう言えばコナン君、博士がサスペンダーの修理が終わったって言ってたよ…」


返事がない。
私の声も耳に入らないぐらい、集中しているらしい。


「…コナン君?」
「ねぇ絵里衣さん、絵里衣さんは何で今日此処に?」


コナン君の視線は、未だ通話を続ける彼に向けられたままだ。
つられて私も彼を見やるも、その背から何かを読み取ることは出来ない。
そもそも彼は、そう簡単に内側を見せてくれる人ではないけれど。


「ちょっと彼と話をしに。呼び出された側だから、内容は知らないけど」
「…いい話じゃないかもね、それ」


コナン君の推測が正しかったかは分からない。
ただこの後、私は安室さんに「少々事情が変わりました」と詳しい説明のないまま帰されることとなる。
まさかこれがあんな事件を引き起こす前触れだったとは、この時の私は知る由もなかった。

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