『久しぶりだな、バーボン…いや、今は安室透君だったかな?』


推理は決して間違ってはいなかった。
だが、今来葉峠で自身の部下の電話を介して話している男は、紛れもなく、捜し求めていたあの赤井秀一だ。
ついさっきまで対峙していた、赤井秀一の仮の姿だと見ていた『沖矢昴』は、今もすぐ傍、工藤邸の一室でマカデミー賞に夢中である。
つまり、沖矢昴と赤井秀一は同一人物ではない。
そして赤井秀一は、来葉峠でやはり死んではいなかったのだ。

喜び、憎しみ、怒り、驚き───淡々と要件を語る男の声を聞きながら、安室透───降谷零の脳裏には様々なデータが走馬灯のように巡っていた。
赤井秀一の死の偽装に、例の小さな切れ者が絡んでいたのは確実。
奴が生きているのであれば、そして小さな天才がその背後にいるのならば、やはり彼女の───斎藤絵里衣の処遇が変わってくる。
どうするのがベストなのか。
どうすれば、彼女は…


『そう言えば、ウチのお姫様が世話になっているようだが…』


FBIの『お姫様』。
愛しくも憎いその愛称に、降谷は怒りのまま忌々しげに舌打ちをした。
感情的になってはいけないと分かってはいても、奴の脳裏に彼女がいると思うだけで、頭が、体がそれを拒否するのだ。


「彼女はそもそも此方側の人間だ」
『だが、その絵里衣自身が此方を選んだということを、聡い君ならとっくに理解しているはずだが』
「軽々しく彼女の名を口にするな…!」


そんなことは分かっている。
その名からも察することが出来るように、彼女は彼女自身で此方ではない道を選んだ。
だからこそ降谷は別の角度から手を差し伸べ、己の使命を全うしようとしているのである。
今日で赤井秀一を───沖矢昴という後ろ盾を無くすはずだった彼女のために。


『ホー…そこまで徹底するか。この通話が盗聴されていないということは、他でもない君が一番良く知っているだろう。それとも、このお仲間の前ではタブーなのかな?』
「フン…貴様には分からないだろう」
『ああ、分からないな。君がアイツを守ろうとしているということ以外は』


赤井は降谷の正体に辿り着いただけでなく、その目的もすっかり見抜いているらしい。
必然的に見えてくる絵里衣との関係も把握しているだろうが、それでいて攻め入ってこないのは一体どういった了見か。
彼女の無事を確かめるわけでなく、彼女の居場所を訊ねるわけでなく、強制力があるわけでもない。
余裕綽々、すっかり安心しているように見えるのは、斎藤絵里衣を信頼しているからなのか。
腹の底から湧き上がる感情が、次々に鬩ぎ合う。


『それと───


しかしそれにトドメを刺すように、最後の一言が放たれた。


───彼の事は今でも悪かったと思っている」


さっさと通話を断ち切ってスマートフォンを返すと、赤井はキャメルに次の指示を飛ばした。
全ては例のボウヤの読み通り、予定通り行われ、予定通り進み、予定通り終わろうとしている。
もうこの来葉峠に用はない。


「で?あいつら一体何だったの?全然話が見えないんだけど…しかもエリーの名前まで出てくるし…」
「立場は違うが、本質は俺達と同じ…奴らに噛み付こうとしている狼達だよ」


警戒を解くことのない日本警察を置いて走り出した車内、ジョディやキャメルの動揺は何のその、後部座席で手早く支度を整えながら、赤井は淡々と返した。


「それから、どうやら絵里衣は今彼らの…いや、正確には1人だが、とにかく日本警察の監視下にあるらしい」
「な、何ですって!?」
「まさか我々と同じく人質に!?」
「そう焦るな…彼らの本質は俺達と同じだと言っただろう。彼はアイツに危害を加えるどころか、守るために1人で動いている」


ますます状況が把握出来なくなった2人は、目を丸くした後更に赤井を問い詰める。
バーボンが組織の人間ではないということは理解出来たが、それとこれとは別問題だ。
しかし、常に冷静で少々言葉が足りないエース捜査官が、その答えを紐解くことはなかった。


「彼は絵里衣に手を出せないし、絵里衣の意見を尊重せざるを得ない…つまり必ず絵里衣は帰ってくる。我々FBIの元にな」
「んもう、全然答えになってないわよ!」
「でも、何故あの男はエリーさんを…」


事態を理解させてもらえないFBI2名の脳裏から、『?』はそう簡単に消えてはくれない。
敵ではなくとも味方でもない不透明な男が、何故FBIだと表に出ていない、一般人であるはずの絵里衣を囲っているのか。
それも人質ではなく、守るために。
赤井が絵里衣を信頼し、彼女の行動や力量を見定めているのは分かる。
斎藤絵里衣は表に出る捜査官ではないと言っても、FBIの端くれとして死線も越えてきているのだ。
頭だって切れるし、咄嗟の判断だって的確に行えるし、データの扱いや記憶はお手の物だし、一見ただの子供好きなだけの彼女は、FBIに必要不可欠な人材であることは間違いない。
だがそれと同じくらい、赤井はあの男のことも信頼しているように見えるのは、この見えない糸のせいだろうか。
この2人にどんな繋がりがあるのか定かではないが、久しぶりだと電話越しに会話を交わす姿は、親しい友人というよりは、互いの手の内を知る悪友のようではなかったか。


「知らないのか?アイツの…斎藤絵里衣の父親を」
「いえ…」
「ICPOのアメリカンイーグルでしょ?知ってるわよ。エリー本人から聞いたこともあるし…」


ガタガタと揺れる高級車の車内にふと飛び出したのは、警察機関に身を置く者なら知らぬはずがない人物だ。
『鳥籠』に入る所以でもある彼女の父親は、この世界では少々有名人である。
勿論現役FBI捜査官であるジョディもキャメルも、会ったことはなくとも、何度か噂を耳にしたことはあった。
しかしその彼女の父が、今回の件にどう絡んでくるというのか。
ただ1人全てを把握している男は、ハンドルを握る部下に短く指示を送ると、けして乗り心地が良いとは言えない厚みのあるシートに背を預けた。


「イタリアや我々アメリカだけでなく、日本もまた斎藤絵里衣の味方というだけだ」

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