「いっぱい動画撮ってくるね!」
「絵里衣さんのためにも、頑張ってきます!」
「腹出して寝るんじゃねーぞ!」
「行ってらっしゃい、歩美ちゃん、光彦君、元太君」


元気いっぱいな少年少女は、そう口々に言った後、手を振りながら博士の車へと駆けていった。
今日は、少年探偵団と阿笠博士で凧揚げに行く日なのである。
勿論私も声をかけてもらったんだけど、此処数日よく分からない悪夢のせいで眠れておらず、見るからに体調不良だからと、ドクターストップならぬ哀ちゃんストップがかかった。
当初は哀ちゃんも此処に残ると言っていたけど、他の皆は行くのに彼女だけ…なんてことをさせるわけにもいかず、最終的に私が一人留守番で収まったと言うわけだ。


「絵里衣さん…」


歩美ちゃん達より数歩遅れて、今日も相変わらず大人びた2人の小学生は、相も変わらず大人びた様子でしっかりと言い逃げをしてから踵を返してくれた。


「出来るだけ早く帰るようにするから、もし何かいるものがあったら早めにメール頂戴…」
「何もないと思うけど、気を付けてね。一応昴さんにも事情を話しておいたから…」


コナン君、沖矢さんへの報告はいらなかったんじゃないかな。
密かに胸中でツッコミを入れて車が発進するのを見届けてから、私は阿笠邸へと戻った。
悪夢を見るせいで寝不足になり、挙げ句体調不良とは…笑いすら出ない。

そもそも、人間の不思議とでも言えばいいのか、『悪夢』が思い出せないのが厄介である。
毎日うとうとした頃に、夢で何か恐ろしい目に遭って覚醒するんだけど、その『恐ろしい目』が何だったのか、綺麗さっぱり忘れてしまっているのだ。
記憶力にはわりと自信がある方だと言うのに、私の意識をそれははっきりと覚醒させたモノを、全くもって覚えていない。
一体何があって眠れず、何があって眠ることが怖くなったのか。
子供がオバケを見たわけでもあるまいし───夢占いでもすれば面白いかと思ったんだけどね。

すっかり静かになった阿笠邸で横になり、1人ゆっくりと目を閉じる。
この辺りは元々静かな住宅街だから、子供達が遊びに来なければそれは静かなのだ。
今は車の通る音すら聞こえないし、いっそこの静寂が怖いぐらいである。

体は休息を求めていたのか、徐々に眠気が訪れてきた。
じわりじわりと頭の隅から広がるそれが、少しずつ、でも急速に意識を奪っていく。
生温い熱に溶かされていくチョコレートかの如く体全体が重くなっていくのを感じながら、うつらうつらと闇へ沈んでいく最中、ふと頭に『揺りかご』が浮かんできた。
ゆらゆらと揺れるそれは、眠気を誘う心地好いイメージを描き───


「…………?」


勢い良く水面へ顔を出したかのような浮遊感の後、視界に飛び込んできたのは見覚えのない───いや、通常であれば見覚えのないはずが最近すっかり見慣れてしまった天井。
ゆっくり上半身を起こすと、厚いベッドのスプリングが僅かに軋む。
そしてベッドの先、私の足元側で悠々と椅子に腰掛け本を読んでいるのは沖矢さんだ。
A Study in Scarlet…シャーロック・ホームズか。


「よく眠れましたか?」


栞を挟むことなく本を閉じた彼が言った。
そう言われれば、久しぶりに『夢を見た』という感覚が残らないまま眠っていた気がする。
反射的に右手首に視線を落とすが、目的の腕時計が見当たらない。
かと思えば、それはすぐサイドチェストの上で見つかった。
ベルトに傷が一筋入った、海の向こうで購入したノーブランドの腕時計である。


「5時間も寝てたんですね、私…」
「ええ、ぐっすりと。此処まで運ぶ際もよく眠っていましたよ」
「…………………。」


そうだ。
根本的な問題を忘れていた。
何で私は阿笠邸ではなく工藤邸の客間で寝ているんだ。
コナン君から話を聞いて、彼が介抱してくれることになったのだろうけど、わざわざ此処に運ぶ必要はないのでは?
って言うか、いい歳した仕事仲間の介抱をつきっきりでっていうのも何だか…ねえ?


「顔色もよくなったみたいですね。クマが酷かったですよ」
「貴方に言われたく…いえ、何でもありません」


よしよしと、あやすように頭を撫でてから、彼は「飲み物をお持ちします」と言って部屋を出て行った。
どうやら彼は、私を子供扱いするのが余程好きらしい。
『沖矢昴』の設定上、こうやって気にかけている方が都合がいいのだろう。
そのせいで、周りからからかいのネタとされているのは言うまでもないけれど、ホント何て言うか……過保護だ。


「コナン君から、貴女が体調不良だと聞いて驚きました。最近眠れていなかったようですが…まさか、また誰かに付け狙われているのですか?」


たまに家に帰ってきているという有希子さんが選んだらしい紅茶を淹れて戻ってきた沖矢さんは、私をベッドから出す気がないようだ。
明らかに長丁場を想定して先程の椅子に腰掛けると、それは優雅にティータイムと言う名の尋問を開始した。
当然、彼のカップの中身はコーヒーだろう。


「いえ、違います。夢見が悪いだけなので」
「そう言えば、以前もそう言っていましたね」


馬鹿げた理由だというのは私が一番分かっている。
彼の表情からは、ありありと半信半疑の色が見て取れるが、生憎これが嘘偽りのない事実なのだ。


「…私の言うことが信じられませんか?」
「いいえ…私で良ければ、いつでもナイトキャップに付き合うのに、と思っただけですよ」
「お気持ちだけいただいておきます。ただの隣人である貴方に、そこまでしていただくわけにはいきませんから」


本音半分、建前半分。
大前提として、私と彼は仲間ではあるが、けして同じライン上の人間ではない。
私は首輪に繋がれた待てが出来ない駒で、彼はその手綱を泳がす指揮者とでも言えばいいのか…上下関係が明確な駆け引き相手なのである。
余計な交差は不要、そもそも彼が見ているのは私ではなくその背後なのだから、表にかまけている場合ではないだろう。
私としても、甘い糸に縋る程盲目でないと思いたい。


「私が絵里衣さんに好意を寄せている…と言っても?」
「私相手に、無駄な労力を使う必要はありませんよ」


元々設定上面倒ではあったけど…今日はヤケに突っかかってくる。
赤井さんではなくずっと沖矢さんだし、もしかして『沖矢昴』に誘導されているのだろうか。
実践で幾度となく使用しているであろう人相手に、私が太刀打ち出来るはずがないのに。


「…無駄な労力ですか。それは心外ですね」


余裕あり気に、それでいて端から攻め立てるように、沖矢さんは真っ直ぐ此方を捉えて言った。
それは甘く重く深く抉るかと思いきや、緩やかに辺りを漂い、そして優しく柔らかく全身を締め上げていく。


「貴女のためなら喜んで、どんなことでもしてみせますよ。どうぞお好きなようにお使い下さい」


これが真実で現実なら、私はさぞ幸せだっただろう。
それこそ『お姫様』のように───


「心にもないことを…」
「おや、こんなに素直に気持ちを言葉にしていると言うのに…意地が悪いですね」
「その言葉、そっくりそのままお返ししますよ」


彼の目的と私の目的は似て非なるもの。
最終的な着地点は同じだけど、だからと言って、今こうやって沖矢さんに乗せられるのは御免だ。
彼にも私にも、やるべきことがあるのだから。


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