赤井さんの位置取りは、私のような素人から見ても完璧なものだった。
ベルツリーの第一展望台からターゲットを狙う犯人を、確実に狙い撃つことが出来る唯一のベストポジション。
ただし、煽りでかなりのロングレンジとなるこのルートを使用出来るのは、群を抜く狙撃技術を持つ彼ぐらいだろうが。
あの聳え立つベルツリーの第一展望台は此処からでも目立ってよく見えるけど、ざっと見ても2000yd以上離れてるからね。


「絵里衣」
「はい」


射程距離が凄そうなスナイパーライフルを設置しスコープを覗いていた赤井さんが、何かを放り投げてきた。
慌てて両手で掴んで見てみれば、それはどうやら予備で持ってきていたのであろうライフル用のスコープのようだ。


「それなら見えるだろう。ベルツリーにはジョディ達が向かっているだろうが…気になるなら見ていればいい」


と言われても、何処でどうやって調整すればいいのか分からない。
とりあえず覗いてみたり触ってみたりしながら漸くベルツリーを確認出来た頃には、赤井さんはもうライフルから弾を放っていた。


「フッ…」


弾道はさっぱりだけど、自信たっぷりに笑っているから犯人には当たったのだろう。
スコープをゆっくり動かしながら第一展望台付近を探る。
……今何か動いた?


「…制圧しきれなかったか…」


どうやら先程蠢いた影は、ダメージは受けたらしい犯人───写真で一方的に知っているケビン・ヨシノだったようだ。
赤井さんは一発で息の根を止める気だったのかもしれないけど、奴は生きているし、動けている。
と言うことは、次に考えられる犯人の行動は『逃走』。

第一展望台内に皆がいるはずだが、スコープに慣れていないせいなのか場所が悪いからなのか、薄暗いし内部までよく確認出来ない。
一か八か電話をかけるか…いや駄目だ、これで気が散っては元も子もないし、判断が遅れると命取りになる。
後は、私達と同じようにサイコロの謎を解いているであろう小さな探偵さんだけど…彼は真っ先に最後の狙撃の阻止に動いているはずだから、今何処で何をしているのかも不明だ。
狙撃位置から考えれば、この浅草スカイコートから見える何処かにいるかもしれないが、捜している時間なんてあるはずがないし。

とその時、展望台内の向かって右側が、何度かチカチカと光った。
あんな光り方をする状況なんて、現場に乏しい私でも1つしか思い当たらない。


「マズルフラッシュ…!?」


つまり犯人が、展望台内で連射が出来る、恐らく機関銃を撃っているということだ。
早く片を付けなければ、怪我人だけでなく最悪の事態も覚悟しなくてはならなくなる。
私はただ見ていることしか出来ないと言うのに…!


「奥は使わせるなよ…こっちに連れてこい」


頼みの綱である赤井さんなら、チャンスがあれば処理してくれるのだろうけど───犯人はもう一段仕込んでいたらしい。
突如ベルツリーが黒煙を上げ、見る見るうちに光を失っていく。
いきなり起きた爆発…犯人の策略で停電となったのだ。


「成程…闇に乗じて逃走する算段だったというわけか…どうする?」


何も出来ない、今はとうとう見守ることすら出来ない。
やっぱりいっそ、ベルツリーにいた方がまだ役に立てた気すらする。
勿論気がするだけで、実際戦闘力皆無な私に太刀打ち出来る保証はないけれど。
それでもこんなにもどかしくて、苦しい思いをするぐらいなら───


「そんな顔をするな…もう一度チャンスは来る。あのボウヤなら、必ず」
「そんな顔って…ずっとスコープ覗いてるくせに、見えるわけないじゃないですか…」


今だってそうだ。
気を遣って話しかけてくれてはいるけど、いつでも撃てるように目も指もライフルに集中したままなのだから。
そんな状態で私の表情が、気持ちが分かるはずがない。


「お前は案外、気を許した相手のこととなると感情が顔に出るんだ…普段が普段なだけによく分かる」
「え…?」
「だから信じて待っていろ。そして、恐怖から解放された彼女達の支えになってやればいい」


そんな大役、私じゃ務まりません。
もうさっきから怒ったり怒られたり不安になったり慰められたりで、こっちの胸中はぐちゃぐちゃだ。
赤井さんの飴とムチは癖がありすぎるんだから。
でもお陰で、大きすぎる不安からは解放された。


「来た…」


光る何かが空を切る。
それに気付いた時には、ベルツリーの前に大きな花火が広がっていた。
これって、この間沖矢さんと見た阿笠邸上空の打ち上げ花火───コナン君だ。
近所迷惑レベルではない、眩しすぎる程の光がベルツリーの第一展望台を照らしている。


「チッ…」


舌打ちと共に放たれた弾丸がきっかけとなったのだろう、いつぞや彼女と初めて会った時に見たキレのある空手技で、ケビン・ヨシノが哀れなまでに吹っ飛んだのがスコープ越しでも分かった。
彼女の空手の腕前は本物…これで間違いなく沈黙だ。

しっかりと任務を果たした沖矢さんが、ライフルから離れ立ち上がる。
それとは対照的に、心配することしか出来なかった私は、結局結末ぐらいしか把握しきれないままその場にへたり込んだ。
いろんな意味で、いろんな意味で物凄く疲れた。
もう当分、ベルツリーも銃も花火も見たくないと思うぐらいには。


「対象は沈黙。オールクリアです」


赤井さんはジェイムズさんに結果報告しているらしい。
私もジョディに連絡しておくか。

変に緊張したのか、小さく震える手で携帯を取り出して、メール作成画面を表示しようとした瞬間、耳に飛び込んできた声のせいで携帯が滑り落ちる。
手から離れたそれは、カシャンと乾いた音を立てて地面に着地した。


「…了解」


何でもないただの短い返事だが、今聞こえたのは確かに赤井さんの、死んだはずのFBI捜査官・赤井秀一の声だ。
此方を振り返った彼の姿形は大学院生の沖矢昴───しかし、その奥に見える表情や口調、そして声までもがあの赤井秀一である。


「そんなに驚かれるとは…」
「だって赤井さん、今までずっと変声器は切ってなかったじゃないですか」
「声と言うのは案外人の記憶に残るものだからな…沖矢昴は、あくまで大学院生の沖矢昴として存在しなければならない」


沖矢さんの顔をした赤井さんは、ゆっくり私の前に来ると視線を合わすように片膝を付いた。
そして伸ばした利き手の甲で、そっと私の頬に触れる。
まるで涙を拭うように。
私は泣いてなんかいない。
けど、その手は酷く優しかった。


「赤井さん…?」
「すまない…慰め方が分からないんだ」
「慰めてもらうようなこと…」
「俺がしたいだけだと言ったら?」
「………それは」
「これでも、キツい言い方をした自覚はあるんだが」
「だって、あの時は、私が…」


元々考えが読めない人だったけど、今日で更に分からなくなった。
車内で彼を怒らせたのは、私が最善を考えることなく早まった行動を取ろうとしたからだ。
だから別に、そんな、何で───。
これから、この難攻不落じゃ済まないレベルの要塞相手に、どう立ち向かえと言うの?
こっちに有効な手段なんかないし、最初から勝てる相手とも思っていないのに。

きゅっと眉根を寄せ真っ直ぐ此方を見つめる沖矢さんの顔に、記憶の中の赤井さんが被る。
何で貴方が辛そうな顔してるんですか。
やめてよ、そんな貴方見たくない。
私のせいで、誰かが、また───。


「赤井さんの気が済まないと言うなら………好きにして下さい」
「…了解」


憂いを帯びた翡翠が月明かりに煌めく。
更に縮まる距離を、私から開くことは出来なかった。








数日後、今日も今日とて阿笠邸は賑やかだった。
先日あんな目に遭ったとは思えない程元気な少年探偵団達は、コナン君と哀ちゃんを除いてプールに行くらしい。


「寂しいですけど灰原さん、コナン君の見張りお願いしますねー!」
「はいはーい。…手が止まってるわよ」
「皆、行ってらっしゃい」
「「「行ってきまーす!」」」
「たっくあいつら…残り全部やらせる気かよ」


3人を見送ってから、ぶつくさ文句を言うコナン君の向かいのソファーに腰を下ろせば、小さな探偵さんはふてくされた顔を瞬時に仕舞い込んだ。


「そう言えば絵里衣さん、この間は大丈夫だった?」
「うん…何故か沖矢さんといたから、変なのには巻き込まれなかったよ」
「昴さん、絵里衣さんのことすっごく大事にしてるみたいだもんね…」


心なしか呆れられている気がするのは、気のせいではないだろう。
小学生からこんなリアクションを頂戴するなんて、そろそろ本当に誰か彼を止めた方がいいんじゃないだろうか。
ただでさえ話のネタにされているぐらいなんだし、裏事情を知る子供にすらドン引きされているとか、当事者の私としても好ましくない。


「大事にしていると言うか、しょっちゅう彼女を工藤邸に連れ込んで……端から見れば拉致監禁よ。居候の分際でね」


哀ちゃんの辛辣ながらもご尤もな意見に、私とコナン君は顔を見合わせる。
コナン君の隣で本を読んでいた彼女からすれば何気ない、むしろ至極普通の意見だろうけど、私とコナン君からすれば笑えない冗談なのだ。
いつぞやにストーカーに誘拐された際、コナン君には助けにきてもらっているし、私は私でつい先日沖矢さん本人にこのネタで脅されたばかりなのである。
本当の拉致監禁は絶対回避したい。
と言うか、回避しないと色々マズい。


「そう言えばコナン君、今回も大活躍だったみたいね」
「そ、そうでもないよ…」
「あの犯人からのメッセージを読み解き、最終局面では花火のアシスト…その辺りの普通の小学生じゃとてもそんなこと出来ないわ」


最大限褒めているつもりなのだが、コナン君は気まずそうに尻窄みに謙遜している。
こういう態度も小学生には見えないのよね、やっぱり。


「サイコロの意味が分かったのはたまたまだし、花火はボクに出来ることを必死でやっただけだから…」
「それがとってもcoolなのよ。これからも何かあった時は宜しくね?小さな探偵さん」
「が、頑張るよ…」


何故か顔が引き攣っているコナン君を横目に、クスリと大人っぽい笑みを口元に浮かべた哀ちゃんが、手にしていた本のページを捲った。

私も、また今日からただの民間人として頑張らないと。
私のために、そして皆のために。


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